2年前、書店のエッセイコーナーで、
重松清さんの『きみの町で』を見つけた。
表紙の帯には、
「小さなお話でも、深い問いかけを込めたつもりです。」
と、筆者の言葉があり、興味を持った。
教師、親そして子どもにも、お勧めしたい一冊である。
冒頭にある『よいこととわるいことって、なに?』では、
電車のロングシート席に座っている子どもが1人ずつ登場する、
4つの場面が描かれている。
その1人、ヒナコの場合はこうだ。
ロングシートに座っているヒナコの目の前に、
赤ちゃんを抱っこして、
小さなおにいちゃんを連れたお母さんが立っている。
吊革につかまることもできず、
両足をふんばってなんとか体を支えている。
ヒナコは席をゆずってあげたいと思う。
だが、頭が痛い。気分が悪い。
席をゆずったら、こっちが倒れてしまう。
すると、隣の席のおじさんが「どうぞ」と席をゆずった。
目の前に立ったおじさんが、小さく舌打ちをした。
ヒナコは思う。違うのに。
わたしは席を「ゆずらなかった」のではなく、
「ゆずりたくてもゆずれなかった」のに。
ヒナコの降りる駅はまだずっと先だったが、
次の駅で降りてしまった。
まぶたが急に熱くなって、涙がぽとりと膝に落ちた。
他の3人も、席をゆずることにまつわるお話である。
実に深い問いかけである。
重松さんは、ロングシートに座った4人の子どもを通じて、
こう言う。
『「わたしの正しさ」は、乗っているひとの数だけある。
でも、それは必ずしも「ほかのひとの正しさ」とは一致しない。
なんとなく決まっている
「みんなの正しさ」(それを「常識」と呼ぶ)から、
「それぞれの正しさ」がはみ出してしまうことだって、ある。
……あなたの「正しさ」はどこにある?
そして、それは誰の「正しさ」と衝突して、
誰の「正しさ」と手を取り合っているのだろう。』
そう言えば、長年携わってきた教育の場においても、
それぞれの「正しさ」があった。
そして、『なんとなく決まっている「みんなの正しさ」』、
つまり指導の常識があった。
そんな中で、誰の「正しさ」と衝突し、
誰の「正しさ」と手を取り合うか。
迷う場面もしばしばあった。
その1
30才代の頃だ。5年生を担任していた。
給食には、必ず牛乳がついた。
三角パックではなく、昔ながらの牛乳ビンだった。
ビンの口は紫色の薄いビニールをかぶり、
丸い厚紙のキャップでふさがれていた。
トラブルは、この牛乳キャップだった。
学級の男子の一部で、
そのキャップを使った遊びがブームになった。
机上に、それぞれ1枚ずつキャップを出し、
それを順に、爪の先ではじいて裏返しにする。
うまく裏返ると、そのキャップはその子のものになるのだ。
その遊びを通して、より多くのキャップを手に入れることに、
子ども達は躍起になった。
当然、負けの込んだ子は、新しいキャップがほしかった。
毎日飲む、自分の牛乳キャップだけでは足りない。
だから、給食後に集められたキャップの争奪戦が始まった。
給食が済むと、一時、教室の配膳台を囲んで
ジャンケンがくり返され、
やがてそれぞれの手中に、キャップが収まった。
私は、そんな遊びに夢中になる男子を黙認していた。
食後のキャップの奪い合いも、微笑ましく感じていた。
ところが、騒ぎがおきた。
給食が終わり、食器等載せたワゴン車を、
廊下の所定位置へ移動を終えた後だった。
女性で大ベテランのS先生が、
厳しい表情で私の教室に入ってきた。
後ろに3,4人の男子がいた。
S先生は、給食指導の主任をしていた。
給食の残量等の具合を調べに、
ワゴン車の集まった場所へ行った。
すると、そこに牛乳キャップを集め、
ポケットに入れている子ども達がいた。
「何してるの。」
S先生は、語気を荒げた。
子どもの1人が、平然と
「牛乳キャップをあつめています。」
と、答えた。
「やめなさい。それはゴミですよ。
まとめて捨てる物です。」
「僕たち、牛乳キャップを集めて、遊んでるの。」
「汚いでしょう。ダメ。やめなさい。」
「でも。」
子ども達は、ポケットからキャップを出そうとしなかった。
S先生は、私を見るなり、
「この組は、どんな遊びをしているんですか。
牛乳キャップを遊び道具にすることを、許しているんですか。
すぐに、止めさせて下さい。」
私は、S先生の剣幕に押され、
「すみませんでした。」と、頭を下げた。
子ども達は、少し距離を置いたところで、
その有り様を静かに見ていた。
S先生の姿が、教室から消えてからも、
渦中の男子たちはじっと私を見て、立ちつくしていた。
「さあ、掃除をはじめなさい。」とだけ言った。
しっくりとこない悔しさ、理不尽な思いが心に残った。
でも、それを子ども達に気づかれないようにと必死だった。
翌日から、男子はキャップ遊びをしなくなった。
「教室の中でなら、いいんだよ、」と言う私に、
「でも、先生に悪いから。」と、少し寂しい顔をした。
その2
K君は、幼稚園の年長さんだった。
園で一番足が速いことは、みんな知っていた。
運動会が近づいたある日、
年長さんを4つのグループに分けて、
リレーの練習をした。
「K君は、赤組のアンカー。」担任のY先生が指名した。
「K君がいれば、絶対に一番になれる。」
赤組のみんなは大喜びした。
K君も、そんな期待に応えようと、張り切った。
いよいよスタート。
4つのグループは、その色の輪っかバトンを握って、
一斉に走り出した。それぞれ、園庭一周を走る。
最初の1人目、そして2人目と接戦だった。
大声援の中で、リレーは続いた。
ところが、赤組にトラブルが発生した。
バトンを落とし、立ち止まる子が出た。
途中でころんでしまう子もいた。
K君は、そんな子にも大声を張り上げ、励まし続けた。
ついにアンカーのK君にバトンが渡された。
その時、すでに他のアンカーとは半周もの差がついていた。
K君は、あきらめていなかった。
全力で走り出した。
でも、園庭を半周すぎたところでゴールを見た。
もう3グループともゴールして、喜び合っていた。
悔しさがこみ上げてきた。
K君は、急に走るのを止めてしまった。
ふて腐れたように歩きだした。涙が出てきた。
みんなは、そんなK君を見て、
今まで以上に大きな声で、
「ガンバレ、K君」と、声援を送った。
その声に力を得たのだろう。
K君は、涙をぬぐって、再び走り出した。
園児たちは、そんなK君に、
今度は大きな拍手を送り続けた。
ゴールが近づくと、K君の目から再び涙があふれた。
K君は、涙をしゃくり上げながら、
ゴールを走り抜けた。
思っていたゴールシーンとは、かけ離れたリレーだった。
ゴールのすぐそばにいたM先生は、
K君に歩み寄り、ギュッと抱きしめてあげたかった。
あまりにも、K君がかわいそうだった。
K君の気持ちが心に響いた。
それでも、再び走り出したK君をすごいとも思った。
ところが、M先生が歩み寄るその前を、
担任のY先生が横切った。
Y先生は、泣きじゃくるK君の片腕をつかみ、
園庭の隅に連れて行った。
Y先生は、とても厳しい表情で、K君を見ていた。
きっと、途中で走るのをやめて、歩きだしたことを
責めているのだと思った。
▼ 今日も、日本のどこかの学校や幼稚園で、
類似したようなドラマが、繰り広げられているだろう。
私は、それぞれの先生の子どもを想う気持ちに、
偽りはないと思う。
だから、その「正しさ」をそのまま受け入れたい。
一人一人の先生の「わたしの正しさ」も、
そして、「それぞれの正しさ」からはみ出したことも。
つまりは、それが指導の豊かさや、
教育活動のしなやかさに通じると、私は信じている。
そんな柔軟さ、多様さが、
その子のその子らしさを育てるのではなかろうか。
明治25年建造『迎賓館』(旧伊達家住宅・市指定文化財)
※次のブロク更新予定は3月11日です。
重松清さんの『きみの町で』を見つけた。
表紙の帯には、
「小さなお話でも、深い問いかけを込めたつもりです。」
と、筆者の言葉があり、興味を持った。
教師、親そして子どもにも、お勧めしたい一冊である。
冒頭にある『よいこととわるいことって、なに?』では、
電車のロングシート席に座っている子どもが1人ずつ登場する、
4つの場面が描かれている。
その1人、ヒナコの場合はこうだ。
ロングシートに座っているヒナコの目の前に、
赤ちゃんを抱っこして、
小さなおにいちゃんを連れたお母さんが立っている。
吊革につかまることもできず、
両足をふんばってなんとか体を支えている。
ヒナコは席をゆずってあげたいと思う。
だが、頭が痛い。気分が悪い。
席をゆずったら、こっちが倒れてしまう。
すると、隣の席のおじさんが「どうぞ」と席をゆずった。
目の前に立ったおじさんが、小さく舌打ちをした。
ヒナコは思う。違うのに。
わたしは席を「ゆずらなかった」のではなく、
「ゆずりたくてもゆずれなかった」のに。
ヒナコの降りる駅はまだずっと先だったが、
次の駅で降りてしまった。
まぶたが急に熱くなって、涙がぽとりと膝に落ちた。
他の3人も、席をゆずることにまつわるお話である。
実に深い問いかけである。
重松さんは、ロングシートに座った4人の子どもを通じて、
こう言う。
『「わたしの正しさ」は、乗っているひとの数だけある。
でも、それは必ずしも「ほかのひとの正しさ」とは一致しない。
なんとなく決まっている
「みんなの正しさ」(それを「常識」と呼ぶ)から、
「それぞれの正しさ」がはみ出してしまうことだって、ある。
……あなたの「正しさ」はどこにある?
そして、それは誰の「正しさ」と衝突して、
誰の「正しさ」と手を取り合っているのだろう。』
そう言えば、長年携わってきた教育の場においても、
それぞれの「正しさ」があった。
そして、『なんとなく決まっている「みんなの正しさ」』、
つまり指導の常識があった。
そんな中で、誰の「正しさ」と衝突し、
誰の「正しさ」と手を取り合うか。
迷う場面もしばしばあった。
その1
30才代の頃だ。5年生を担任していた。
給食には、必ず牛乳がついた。
三角パックではなく、昔ながらの牛乳ビンだった。
ビンの口は紫色の薄いビニールをかぶり、
丸い厚紙のキャップでふさがれていた。
トラブルは、この牛乳キャップだった。
学級の男子の一部で、
そのキャップを使った遊びがブームになった。
机上に、それぞれ1枚ずつキャップを出し、
それを順に、爪の先ではじいて裏返しにする。
うまく裏返ると、そのキャップはその子のものになるのだ。
その遊びを通して、より多くのキャップを手に入れることに、
子ども達は躍起になった。
当然、負けの込んだ子は、新しいキャップがほしかった。
毎日飲む、自分の牛乳キャップだけでは足りない。
だから、給食後に集められたキャップの争奪戦が始まった。
給食が済むと、一時、教室の配膳台を囲んで
ジャンケンがくり返され、
やがてそれぞれの手中に、キャップが収まった。
私は、そんな遊びに夢中になる男子を黙認していた。
食後のキャップの奪い合いも、微笑ましく感じていた。
ところが、騒ぎがおきた。
給食が終わり、食器等載せたワゴン車を、
廊下の所定位置へ移動を終えた後だった。
女性で大ベテランのS先生が、
厳しい表情で私の教室に入ってきた。
後ろに3,4人の男子がいた。
S先生は、給食指導の主任をしていた。
給食の残量等の具合を調べに、
ワゴン車の集まった場所へ行った。
すると、そこに牛乳キャップを集め、
ポケットに入れている子ども達がいた。
「何してるの。」
S先生は、語気を荒げた。
子どもの1人が、平然と
「牛乳キャップをあつめています。」
と、答えた。
「やめなさい。それはゴミですよ。
まとめて捨てる物です。」
「僕たち、牛乳キャップを集めて、遊んでるの。」
「汚いでしょう。ダメ。やめなさい。」
「でも。」
子ども達は、ポケットからキャップを出そうとしなかった。
S先生は、私を見るなり、
「この組は、どんな遊びをしているんですか。
牛乳キャップを遊び道具にすることを、許しているんですか。
すぐに、止めさせて下さい。」
私は、S先生の剣幕に押され、
「すみませんでした。」と、頭を下げた。
子ども達は、少し距離を置いたところで、
その有り様を静かに見ていた。
S先生の姿が、教室から消えてからも、
渦中の男子たちはじっと私を見て、立ちつくしていた。
「さあ、掃除をはじめなさい。」とだけ言った。
しっくりとこない悔しさ、理不尽な思いが心に残った。
でも、それを子ども達に気づかれないようにと必死だった。
翌日から、男子はキャップ遊びをしなくなった。
「教室の中でなら、いいんだよ、」と言う私に、
「でも、先生に悪いから。」と、少し寂しい顔をした。
その2
K君は、幼稚園の年長さんだった。
園で一番足が速いことは、みんな知っていた。
運動会が近づいたある日、
年長さんを4つのグループに分けて、
リレーの練習をした。
「K君は、赤組のアンカー。」担任のY先生が指名した。
「K君がいれば、絶対に一番になれる。」
赤組のみんなは大喜びした。
K君も、そんな期待に応えようと、張り切った。
いよいよスタート。
4つのグループは、その色の輪っかバトンを握って、
一斉に走り出した。それぞれ、園庭一周を走る。
最初の1人目、そして2人目と接戦だった。
大声援の中で、リレーは続いた。
ところが、赤組にトラブルが発生した。
バトンを落とし、立ち止まる子が出た。
途中でころんでしまう子もいた。
K君は、そんな子にも大声を張り上げ、励まし続けた。
ついにアンカーのK君にバトンが渡された。
その時、すでに他のアンカーとは半周もの差がついていた。
K君は、あきらめていなかった。
全力で走り出した。
でも、園庭を半周すぎたところでゴールを見た。
もう3グループともゴールして、喜び合っていた。
悔しさがこみ上げてきた。
K君は、急に走るのを止めてしまった。
ふて腐れたように歩きだした。涙が出てきた。
みんなは、そんなK君を見て、
今まで以上に大きな声で、
「ガンバレ、K君」と、声援を送った。
その声に力を得たのだろう。
K君は、涙をぬぐって、再び走り出した。
園児たちは、そんなK君に、
今度は大きな拍手を送り続けた。
ゴールが近づくと、K君の目から再び涙があふれた。
K君は、涙をしゃくり上げながら、
ゴールを走り抜けた。
思っていたゴールシーンとは、かけ離れたリレーだった。
ゴールのすぐそばにいたM先生は、
K君に歩み寄り、ギュッと抱きしめてあげたかった。
あまりにも、K君がかわいそうだった。
K君の気持ちが心に響いた。
それでも、再び走り出したK君をすごいとも思った。
ところが、M先生が歩み寄るその前を、
担任のY先生が横切った。
Y先生は、泣きじゃくるK君の片腕をつかみ、
園庭の隅に連れて行った。
Y先生は、とても厳しい表情で、K君を見ていた。
きっと、途中で走るのをやめて、歩きだしたことを
責めているのだと思った。
▼ 今日も、日本のどこかの学校や幼稚園で、
類似したようなドラマが、繰り広げられているだろう。
私は、それぞれの先生の子どもを想う気持ちに、
偽りはないと思う。
だから、その「正しさ」をそのまま受け入れたい。
一人一人の先生の「わたしの正しさ」も、
そして、「それぞれの正しさ」からはみ出したことも。
つまりは、それが指導の豊かさや、
教育活動のしなやかさに通じると、私は信じている。
そんな柔軟さ、多様さが、
その子のその子らしさを育てるのではなかろうか。
明治25年建造『迎賓館』(旧伊達家住宅・市指定文化財)
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