やや曇天の朝だったが、日中はきっと快晴になるだろう。
気温の上昇が気になる。
体調はまずまずだが、
不安を挙げると切りがない。
それを払拭し、『洞爺湖マラソン』を走ることにした。
会場まで愛車で、25分、
その道々、満開の八重桜ばかりが目に止まった。
洞爺湖の景観に、その華やかさがよく似合った。
2年ぶりのチャレンジだ。
次第に高揚感と緊張感が高まるはずだった。
実は、それよりも不安ばかりが拡大した。
「どこまで走れるか。」
「走れるところまで、走ればいい。」
「弱気になるな。制限時間ギリギリでいいんだ。
ゆっくりゆっくりなら、ゴールまできっと走れる。」
スタートの1時間前に、会場に着いた。
不安と緊張が、2度3度とトイレへ向かわせた。
いつまでも葛藤などしてられない。
湖畔の公園広場には、
走力別に色分けされたゼッケンをつけたランナーが、
あちこちに集結していた。
私は、意を決めた。
4月14日の『伊達ハーフマラソン』では、
10キロも行かない所でリタイアした。
それから20日間余り、風邪のような症状で体調不良が続いた。
実は、昨年度も春先に同じような体調不良で、
洞爺湖マラソンを断念している。
だから、今年もダメかと、思うこともあった。
しかし、5月5日から10日間、
5キロ、10キロと、計70キロを走った。
それは、フルマラソンの走り込みとしては、
十分ではなかった。
でも、諦めたくなかった。
「ここまでやったんだから・・。」
だから、今朝、出場を決めた。
そんな今日までを振り返り、
気持ちを1つに固めたのがこれだ。
『自分で心は折らない。淡々と行けるところまで走る。』
雲が消え、日差しが強さを増し始めた。
初めてサングラスで走ることにした。
スタートの合図が轟いた。
もう迷わない。
人ひとひとの人混みの中、
70歳代108人のランナーの1人になった。
洞爺湖畔のマラソンコースは、期待通りの春だった。
湖に浮かぶ中島の緑、そのはるか先に残雪の羊蹄山。
その上、沿道の至る所に咲き誇る桜色。
菜の花畑の一面の黄色も、りんご園を被う白もいい。
今日に合わせたかのような、
鮮やかな新緑に囲まれた湖岸の道。
5キロ、10キロと、節目節目の給水所で、
予定通り水分を口にする。
プラン通りの速さで足を進める。
後ろを走る若いランナーの明るい会話が聞こえた。
「少し遅くない?」
「いや、これでいいよ。このペースで35キロまで行こう。」
「わかった。」
「35キロで余裕があったら、ペースを上げよう。」
「この調子なら、大丈夫だ。アハハ・・。」
「その調子、ハハハ・・。」
やけに楽しげ。
そんな余裕がほしいと次第に思い始めた。
そんな時、最初の制限関門の14,5キロが迫ってきた。
若干、余裕を持って通過できそうで安堵した。
ここまでに数人、歩き始めたランナーを抜いた。
どの人も、私と同程度の走力の方だと、
ゼッケンの色でわかった。
ところが、次に歩いているランナーは、
3時間代でゴールできる色のゼッケンをしていた。
気になりながらも追い抜いた。
それから、15分も走ったろうか。
17キロの表示まで来た。
そこにいる係員に、後続のランナーが訊いた。
「中間点まで、どの位?」
違和感を感じた。
中間点まで、後4キロに決まっている。
それをわざわざ訊いていた。
「変な感じ・・」。
私は、走りながら、その後続者が気になった。
彼は、すぐに私を追い越した。
そのゼッケンの色は、さっき歩いていた3時間ランナーだった。
「また走り始めたんだ。」
後ろ姿見送った。
緑色のランニングシャツと短パンが、
私らとの走力の違いを教えていた。
5分も進まない時だ。
前方のランナーが、ゆっくり左に傾き、
それを思いとどまり、真っ直ぐダラリダラリと走った。
次第にそのランナーが近くなった。
誰なのか、私は分かった。
左に傾き、持ち直す。
そのくり返しに私は危機感を感じた。
遂に路肩から逸脱しそうにまでなった。
もう放っておけなかった。
私は走り寄り、
緑色のランニングシャツの肩をつかんだ。
「その路肩に座って・・。もう無理です。」
彼は、道路脇に崩れた。
「座っていたら、後ろから係の方が必ず来ます。
それまで、座っていてくだい。いいですね。
わかりましたか。」
つい強い口調になった。
彼は、うなづくのが精一杯のまま、
うつろな目をしていた。
それでも、足を伸ばし、
雑草の道端に腰を下ろしてくれた。
それを見届け、私は再び走り出し、
中間点を目指した。
その時、まさか同じようなことが私に起こるなど、
全く思い至らなかった。
中間点を通過し、最大の難所である5キロもの、
坂道の上りと下りも走りきった。
2年前、その下り坂でふくらはぎがつった。
そこで走るのを止めた。
もっと走れたと悔いた所だ。
今年は心を折らずに、通過した。
3年ぶりに27、5キロの関門を過ぎ、
再び湖畔の道へ出た。
この辺りから、徐々に足が動かなくなった。
太ももの後ろが固い。
そんな経験は初めてだった。
今までと同じ走りができないほど、足がだるい。
疲れを感じた。
仕方なく、ゆっくり走った。
給水所で、頭にも足にも水をいっぱいかけた。
でも、ゆっくりしか足が動かなかった。
この辺りから、所々記憶が飛んでいる。
確か29キロの表示を通過した。
そこにいた係員が、不安げな顔で私を見ていた。
それを無視した。
「絶対に、自分から心を折らない。」
うつむいたまま、足を進めた。
もう周りの景色は目に入らなかった。
そして、30キロの関門まで、残り500メートル辺りだ。
遂に走ることができなくなった。
まもなくエイドがある。
しそジュースとゆで卵が待っている。
「それを飲めば、食べれば・・」と思った。
私は、500メートル先を目指した。
しかし、まさかの展開だ。
言い訳じゃない。
決して心を折ったりしていない。
少し歩けば、走れると思っていた。
一番驚いたのは、私自身だった。
足が1歩も前に出なくなった。
私は、立ち止まり、前かがみになって両手を膝についた。
目を閉じ、大きく肩で息をした。
2分3分と呼吸を整え、伸びをしてから前に進んだ。
ところが、真っ直ぐ歩いていなかった。
1歩1歩、体が右へ右へ行った。
これはまずいと立ち止まり、気持ちを落ち着かせた。
そして、また進んだ。
右へ右へと傾いた。
エイドの辺りには、民家が何軒もあった。
沿道で声援する方がいた。
「大丈夫ですか。」
私への声援は、これだった。
大丈夫ではなかった。
でも、「もうダメです。」
そう言わないと決めていた。
無理して、ゆっくりとうなずき、
右に傾きながら、また1歩1歩と歩いた。
ついに、エイドまで着いた。
テーブルには、カステラや羊羹がたくさんあった。
そして、ゆで卵が残っていた。
「これが食べたくて・・」
細い声で言った。
「あら、そうなの・・。嬉しいわ。」
ゆで卵を1つ手にして、テーブルを離れた。
「もう1個、持っていかない。」
係のおばさんが言ってくれた。
嬉しかった。
そうしたかった。
だが、そこへ戻る1歩がもったいなかった。
それより、100メートル先の関門まで行きたかった。
数歩進んでは、立ち止まった。
そこで、ゆで卵を食べるふりをして、息を整えた。
何度も何度も、わずか100メートルで、
それをくり返し、立ち止まった。
水分補給とゆで卵を食べたが、
私には、もう力が残っていなかった。
回復が望めなかった。
でも、30キロまでは行こう。
誰の手もかりず、関門を通過するのだ。
そんな思いが私を動かした。
今までとは違う自分を見ていた。
少し驚きながらも、
心が少し熱くなった。
関門通過後、
待機していた収容者用バスまで行った。
そのステップが上がれず、
ここでは、仕方なく係員に助けを受けた。
ゴールまでは無理だった。
しかし、心を折らずに行けるところまで行った。
自分に科した思いを守った。
そのために、自分と向き合った時間が何度もあった。
今までとは違う体験を、71歳がしていた。
10キロを見事に完走した家内と、
湖畔の遊具場であった。
30キロまでだったことをつげながら、
つい口が滑った。
「72歳でも走ろうかな。」
ビックリ顔に念を押した。
「こんな経験、誰もができる訳じゃない。
だから・・。」
ついでに、ニヤリと笑ってみせた。
じぇじぇじぇ クロユリが満開だ! だて歴史の杜
※次回の更新予定は、6月8日(土)です。
気温の上昇が気になる。
体調はまずまずだが、
不安を挙げると切りがない。
それを払拭し、『洞爺湖マラソン』を走ることにした。
会場まで愛車で、25分、
その道々、満開の八重桜ばかりが目に止まった。
洞爺湖の景観に、その華やかさがよく似合った。
2年ぶりのチャレンジだ。
次第に高揚感と緊張感が高まるはずだった。
実は、それよりも不安ばかりが拡大した。
「どこまで走れるか。」
「走れるところまで、走ればいい。」
「弱気になるな。制限時間ギリギリでいいんだ。
ゆっくりゆっくりなら、ゴールまできっと走れる。」
スタートの1時間前に、会場に着いた。
不安と緊張が、2度3度とトイレへ向かわせた。
いつまでも葛藤などしてられない。
湖畔の公園広場には、
走力別に色分けされたゼッケンをつけたランナーが、
あちこちに集結していた。
私は、意を決めた。
4月14日の『伊達ハーフマラソン』では、
10キロも行かない所でリタイアした。
それから20日間余り、風邪のような症状で体調不良が続いた。
実は、昨年度も春先に同じような体調不良で、
洞爺湖マラソンを断念している。
だから、今年もダメかと、思うこともあった。
しかし、5月5日から10日間、
5キロ、10キロと、計70キロを走った。
それは、フルマラソンの走り込みとしては、
十分ではなかった。
でも、諦めたくなかった。
「ここまでやったんだから・・。」
だから、今朝、出場を決めた。
そんな今日までを振り返り、
気持ちを1つに固めたのがこれだ。
『自分で心は折らない。淡々と行けるところまで走る。』
雲が消え、日差しが強さを増し始めた。
初めてサングラスで走ることにした。
スタートの合図が轟いた。
もう迷わない。
人ひとひとの人混みの中、
70歳代108人のランナーの1人になった。
洞爺湖畔のマラソンコースは、期待通りの春だった。
湖に浮かぶ中島の緑、そのはるか先に残雪の羊蹄山。
その上、沿道の至る所に咲き誇る桜色。
菜の花畑の一面の黄色も、りんご園を被う白もいい。
今日に合わせたかのような、
鮮やかな新緑に囲まれた湖岸の道。
5キロ、10キロと、節目節目の給水所で、
予定通り水分を口にする。
プラン通りの速さで足を進める。
後ろを走る若いランナーの明るい会話が聞こえた。
「少し遅くない?」
「いや、これでいいよ。このペースで35キロまで行こう。」
「わかった。」
「35キロで余裕があったら、ペースを上げよう。」
「この調子なら、大丈夫だ。アハハ・・。」
「その調子、ハハハ・・。」
やけに楽しげ。
そんな余裕がほしいと次第に思い始めた。
そんな時、最初の制限関門の14,5キロが迫ってきた。
若干、余裕を持って通過できそうで安堵した。
ここまでに数人、歩き始めたランナーを抜いた。
どの人も、私と同程度の走力の方だと、
ゼッケンの色でわかった。
ところが、次に歩いているランナーは、
3時間代でゴールできる色のゼッケンをしていた。
気になりながらも追い抜いた。
それから、15分も走ったろうか。
17キロの表示まで来た。
そこにいる係員に、後続のランナーが訊いた。
「中間点まで、どの位?」
違和感を感じた。
中間点まで、後4キロに決まっている。
それをわざわざ訊いていた。
「変な感じ・・」。
私は、走りながら、その後続者が気になった。
彼は、すぐに私を追い越した。
そのゼッケンの色は、さっき歩いていた3時間ランナーだった。
「また走り始めたんだ。」
後ろ姿見送った。
緑色のランニングシャツと短パンが、
私らとの走力の違いを教えていた。
5分も進まない時だ。
前方のランナーが、ゆっくり左に傾き、
それを思いとどまり、真っ直ぐダラリダラリと走った。
次第にそのランナーが近くなった。
誰なのか、私は分かった。
左に傾き、持ち直す。
そのくり返しに私は危機感を感じた。
遂に路肩から逸脱しそうにまでなった。
もう放っておけなかった。
私は走り寄り、
緑色のランニングシャツの肩をつかんだ。
「その路肩に座って・・。もう無理です。」
彼は、道路脇に崩れた。
「座っていたら、後ろから係の方が必ず来ます。
それまで、座っていてくだい。いいですね。
わかりましたか。」
つい強い口調になった。
彼は、うなづくのが精一杯のまま、
うつろな目をしていた。
それでも、足を伸ばし、
雑草の道端に腰を下ろしてくれた。
それを見届け、私は再び走り出し、
中間点を目指した。
その時、まさか同じようなことが私に起こるなど、
全く思い至らなかった。
中間点を通過し、最大の難所である5キロもの、
坂道の上りと下りも走りきった。
2年前、その下り坂でふくらはぎがつった。
そこで走るのを止めた。
もっと走れたと悔いた所だ。
今年は心を折らずに、通過した。
3年ぶりに27、5キロの関門を過ぎ、
再び湖畔の道へ出た。
この辺りから、徐々に足が動かなくなった。
太ももの後ろが固い。
そんな経験は初めてだった。
今までと同じ走りができないほど、足がだるい。
疲れを感じた。
仕方なく、ゆっくり走った。
給水所で、頭にも足にも水をいっぱいかけた。
でも、ゆっくりしか足が動かなかった。
この辺りから、所々記憶が飛んでいる。
確か29キロの表示を通過した。
そこにいた係員が、不安げな顔で私を見ていた。
それを無視した。
「絶対に、自分から心を折らない。」
うつむいたまま、足を進めた。
もう周りの景色は目に入らなかった。
そして、30キロの関門まで、残り500メートル辺りだ。
遂に走ることができなくなった。
まもなくエイドがある。
しそジュースとゆで卵が待っている。
「それを飲めば、食べれば・・」と思った。
私は、500メートル先を目指した。
しかし、まさかの展開だ。
言い訳じゃない。
決して心を折ったりしていない。
少し歩けば、走れると思っていた。
一番驚いたのは、私自身だった。
足が1歩も前に出なくなった。
私は、立ち止まり、前かがみになって両手を膝についた。
目を閉じ、大きく肩で息をした。
2分3分と呼吸を整え、伸びをしてから前に進んだ。
ところが、真っ直ぐ歩いていなかった。
1歩1歩、体が右へ右へ行った。
これはまずいと立ち止まり、気持ちを落ち着かせた。
そして、また進んだ。
右へ右へと傾いた。
エイドの辺りには、民家が何軒もあった。
沿道で声援する方がいた。
「大丈夫ですか。」
私への声援は、これだった。
大丈夫ではなかった。
でも、「もうダメです。」
そう言わないと決めていた。
無理して、ゆっくりとうなずき、
右に傾きながら、また1歩1歩と歩いた。
ついに、エイドまで着いた。
テーブルには、カステラや羊羹がたくさんあった。
そして、ゆで卵が残っていた。
「これが食べたくて・・」
細い声で言った。
「あら、そうなの・・。嬉しいわ。」
ゆで卵を1つ手にして、テーブルを離れた。
「もう1個、持っていかない。」
係のおばさんが言ってくれた。
嬉しかった。
そうしたかった。
だが、そこへ戻る1歩がもったいなかった。
それより、100メートル先の関門まで行きたかった。
数歩進んでは、立ち止まった。
そこで、ゆで卵を食べるふりをして、息を整えた。
何度も何度も、わずか100メートルで、
それをくり返し、立ち止まった。
水分補給とゆで卵を食べたが、
私には、もう力が残っていなかった。
回復が望めなかった。
でも、30キロまでは行こう。
誰の手もかりず、関門を通過するのだ。
そんな思いが私を動かした。
今までとは違う自分を見ていた。
少し驚きながらも、
心が少し熱くなった。
関門通過後、
待機していた収容者用バスまで行った。
そのステップが上がれず、
ここでは、仕方なく係員に助けを受けた。
ゴールまでは無理だった。
しかし、心を折らずに行けるところまで行った。
自分に科した思いを守った。
そのために、自分と向き合った時間が何度もあった。
今までとは違う体験を、71歳がしていた。
10キロを見事に完走した家内と、
湖畔の遊具場であった。
30キロまでだったことをつげながら、
つい口が滑った。
「72歳でも走ろうかな。」
ビックリ顔に念を押した。
「こんな経験、誰もができる訳じゃない。
だから・・。」
ついでに、ニヤリと笑ってみせた。
じぇじぇじぇ クロユリが満開だ! だて歴史の杜
※次回の更新予定は、6月8日(土)です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます