ふり返ると、もう50年、
半世紀も前のことから綴りたい。
最初に、私の詩集『海と風と凧と』のあとがきを転記する。
『私は根雪の残る北海道より上京し、
小学校の教員になりました。
その時初めて立った校庭には、
北国の冷たい鉛色の曇り空とは違った明るい春の光が
こぼれていました。
それは、これから始まる私の新たな歩みが
太陽の陽差しに恵まれたものになるような、
そんなことさえ予感させるものでした。』
その予感は、外れていなかった。
A氏との出会いは、その1つだったと今も思っている。
本ブログの16年6月4日に『A氏へ手紙』を書いた。
続いて、その一部を記す。
* * * * *
新米教師だった私は、職員室で初めて見た貴兄の、
あのスッとした立ち姿とセンスのいい服装に、
『都会の人』のオーラを感じたのです。
素敵だと見とれました。
ちょっとハスに構えたようなものの言い方、
教師でありながら、彫刻に情熱を注ぐ日々、
大人の洒落た気配りができる何気ない立ち振る舞い、
貴兄のそんな一つ一つに、私は憧れました。
「いつかは私もああなりたい。」
と、思ったのです。
さらに、「ロダンだ」「ブールデルだ」「マイヨールだ」
と名を上げ、彫刻や芸術を説き、
創作の魅力と自己表現の大切さを、熱く語ってくれました。
全く知らなかった世界観に、
私は、ただただうっとりと彷徨うばかりでした。
そう、あの頃から、
何かを創り出すこと、
何かを表現すること、
そしてその元となる、私自身を探し求めることに、
興味を持つようになったのです。
* * * * *
決してA氏には届くことのない手紙だと知りつつ、
私は最後をこう結んだ。
『いつか再びお会いする機会に恵まれたら、
美酒を交え・・談論風発はいかかですか。』
同じ学校で、6年間を過ごした後、
一緒に仕事をする機会はこなかった。
年賀状のやりとりと、
時折風のたよりだけで、彼を感じてきた。
でも、何年が過ぎようと、彼は色あせなかった。
ずっと『憧れ』ていた。
なのに、手紙では「談論風発」なんて、背伸びをした。
「いつか、対等に向き合えたら・・、語らえたら・・・」。
そんな願望が結びを書かせた。
そして、ずっと憧れの人との、
そんなシチュエーションを頭の片隅で、
勝手に夢想していた。
ところが、なんて非情なんだ。
つい数日前の昼下がりだった。
ラインメールが鳴った。
『こんにちは、突然で、ごめんなさい。
A先生が、1月30日に亡くなったと、・・連絡がありました。
本人の強い希望により、直葬で家族のみで、
2日に火葬したそうです。・・』
確か6歳年上だった。
喜寿を迎えたばかりなのではなかろうか。
「彼の死など、想像できない。」
思考はそのままで、ずっと時間だけが過ぎた。
どれだけ、肩を落としうな垂れていただろう。
やがて、遠い地から、今、できることを、
必死に探した。
「美酒を飲みながらの談論風発なんて、もうできないが、
死を受け止め、彼を悼もう。」
叶わなくなってしまった『美酒を交わす』。
そんな真似事をしよう。
そう決めた。
伊達で唯一の酒屋に向かった。
日本酒の長い棚には、全国各地の銘酒が所狭しと並んでいた。
その片隅にそっと置かれていた瓶の表ラベルに、目が止まった。
彼が記す字形に酷似した3字があった。
『 冬 花 火 』。
北海道に酒蔵がある『北の錦』の銘柄だ。
裏ラベルには、杜氏の添え書きがある。
「空気が澄み切った冬の花火はひときわ美しく、
華やかに広がり、さっと消えていく。
そんな冬花火のような酒を造りたい
という想いを込めて醸しています。」
彼を偲ぶに打ってつけに思えた。
その一升瓶を両手で大事に抱え、買い求めた。
家内の手料理で、深夜まで『冬花火』をかたわらに置いた。
『ひときわ美しく、華やかに広がり、
さっと消えていく冬花火』。
消沈しそうになる私を、その美酒が支えた。
* * * * *
赴任してまもなく、図工の先生(A氏)から展覧会に誘われた。
同僚4、5人で、日本橋のデパートの特設会場に行った。
メキシコの画家の展覧会だった。
確かシケイロスという名だった。
壁画を得意としているようで、1つ1つの絵が大きかった。
一面、真っ赤な風景画に釘付けになった。
まぶしい程の赤色だった。
「きっとメキシコの太陽の色なんだね。」
図工の先生が、私の横で教えてくれた。
しばらくその絵の前から離れられなくなった。
「シケイロスの赤はすごい。本物だ。」
何も分からないのに、そう感じた。
≪本ブログ17年3月3日『絵心をたどって』より≫
* * * * *
彼から学んだことは、限りない。
その1つ1つが、『冬花火』のそばで蘇った。
残念だが、その多くは今も消化できないままだが、
確かに、私のものにしたことも・・・・。
酔いとともに、想いは冴えるばかり、
でも、「あっ、もう深夜」。
そっとカーテン越しに南向きの窓から外を見た。
冬の花火なんて、あるはずがない。
暗い夜道を照らす街灯に、粉雪が舞い降りていた。
そう、「積もりそうな雪だった」。
だて歴史の杜公園もすっかり冬景色
半世紀も前のことから綴りたい。
最初に、私の詩集『海と風と凧と』のあとがきを転記する。
『私は根雪の残る北海道より上京し、
小学校の教員になりました。
その時初めて立った校庭には、
北国の冷たい鉛色の曇り空とは違った明るい春の光が
こぼれていました。
それは、これから始まる私の新たな歩みが
太陽の陽差しに恵まれたものになるような、
そんなことさえ予感させるものでした。』
その予感は、外れていなかった。
A氏との出会いは、その1つだったと今も思っている。
本ブログの16年6月4日に『A氏へ手紙』を書いた。
続いて、その一部を記す。
* * * * *
新米教師だった私は、職員室で初めて見た貴兄の、
あのスッとした立ち姿とセンスのいい服装に、
『都会の人』のオーラを感じたのです。
素敵だと見とれました。
ちょっとハスに構えたようなものの言い方、
教師でありながら、彫刻に情熱を注ぐ日々、
大人の洒落た気配りができる何気ない立ち振る舞い、
貴兄のそんな一つ一つに、私は憧れました。
「いつかは私もああなりたい。」
と、思ったのです。
さらに、「ロダンだ」「ブールデルだ」「マイヨールだ」
と名を上げ、彫刻や芸術を説き、
創作の魅力と自己表現の大切さを、熱く語ってくれました。
全く知らなかった世界観に、
私は、ただただうっとりと彷徨うばかりでした。
そう、あの頃から、
何かを創り出すこと、
何かを表現すること、
そしてその元となる、私自身を探し求めることに、
興味を持つようになったのです。
* * * * *
決してA氏には届くことのない手紙だと知りつつ、
私は最後をこう結んだ。
『いつか再びお会いする機会に恵まれたら、
美酒を交え・・談論風発はいかかですか。』
同じ学校で、6年間を過ごした後、
一緒に仕事をする機会はこなかった。
年賀状のやりとりと、
時折風のたよりだけで、彼を感じてきた。
でも、何年が過ぎようと、彼は色あせなかった。
ずっと『憧れ』ていた。
なのに、手紙では「談論風発」なんて、背伸びをした。
「いつか、対等に向き合えたら・・、語らえたら・・・」。
そんな願望が結びを書かせた。
そして、ずっと憧れの人との、
そんなシチュエーションを頭の片隅で、
勝手に夢想していた。
ところが、なんて非情なんだ。
つい数日前の昼下がりだった。
ラインメールが鳴った。
『こんにちは、突然で、ごめんなさい。
A先生が、1月30日に亡くなったと、・・連絡がありました。
本人の強い希望により、直葬で家族のみで、
2日に火葬したそうです。・・』
確か6歳年上だった。
喜寿を迎えたばかりなのではなかろうか。
「彼の死など、想像できない。」
思考はそのままで、ずっと時間だけが過ぎた。
どれだけ、肩を落としうな垂れていただろう。
やがて、遠い地から、今、できることを、
必死に探した。
「美酒を飲みながらの談論風発なんて、もうできないが、
死を受け止め、彼を悼もう。」
叶わなくなってしまった『美酒を交わす』。
そんな真似事をしよう。
そう決めた。
伊達で唯一の酒屋に向かった。
日本酒の長い棚には、全国各地の銘酒が所狭しと並んでいた。
その片隅にそっと置かれていた瓶の表ラベルに、目が止まった。
彼が記す字形に酷似した3字があった。
『 冬 花 火 』。
北海道に酒蔵がある『北の錦』の銘柄だ。
裏ラベルには、杜氏の添え書きがある。
「空気が澄み切った冬の花火はひときわ美しく、
華やかに広がり、さっと消えていく。
そんな冬花火のような酒を造りたい
という想いを込めて醸しています。」
彼を偲ぶに打ってつけに思えた。
その一升瓶を両手で大事に抱え、買い求めた。
家内の手料理で、深夜まで『冬花火』をかたわらに置いた。
『ひときわ美しく、華やかに広がり、
さっと消えていく冬花火』。
消沈しそうになる私を、その美酒が支えた。
* * * * *
赴任してまもなく、図工の先生(A氏)から展覧会に誘われた。
同僚4、5人で、日本橋のデパートの特設会場に行った。
メキシコの画家の展覧会だった。
確かシケイロスという名だった。
壁画を得意としているようで、1つ1つの絵が大きかった。
一面、真っ赤な風景画に釘付けになった。
まぶしい程の赤色だった。
「きっとメキシコの太陽の色なんだね。」
図工の先生が、私の横で教えてくれた。
しばらくその絵の前から離れられなくなった。
「シケイロスの赤はすごい。本物だ。」
何も分からないのに、そう感じた。
≪本ブログ17年3月3日『絵心をたどって』より≫
* * * * *
彼から学んだことは、限りない。
その1つ1つが、『冬花火』のそばで蘇った。
残念だが、その多くは今も消化できないままだが、
確かに、私のものにしたことも・・・・。
酔いとともに、想いは冴えるばかり、
でも、「あっ、もう深夜」。
そっとカーテン越しに南向きの窓から外を見た。
冬の花火なんて、あるはずがない。
暗い夜道を照らす街灯に、粉雪が舞い降りていた。
そう、「積もりそうな雪だった」。
だて歴史の杜公園もすっかり冬景色
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