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7年10ヶ月前
2011年5月GW真っ只中
岩手に物資を運んだ
何度も何度も往復した
震災の影響で東北道は大渋滞
路面の凹凸が半端なかった
東北道を降り三陸側へ向かった
建物は破壊され残っているのは基礎部分だけなものが多く
道路は寸断され迂回路が多く彷徨った
建物の上部に船が打ちあがっていたのを記憶している
三陸鉄道の路線橋も破壊されていた
土砂に瓦礫ありえない景色
津波によって陸に打ち上げられた魚の腐敗臭も
凄まじかった
12時間くらいかけてようやく辿り着いた
チームのみんなで荷下ろしをし
ちょいと一息していると
高台にある中学校の体育館から出てきた
杖をついたおばあちゃんがトコトコと
こちらにやってきた
そして “ありがとう”
小さな声だったが
はっきりと丁寧な言葉だった
申し訳なさそうな?憔悴しきっている様子は見てとれた
泣けた
その体育館は遺体安置所になっている場所だった
チームのみんなで泣いた
悪夢の日から明日で8年
3月23日には三陸鉄道も全線開通する予定
完全復興にはまだ時間は必要だけど
それでも途切れていた時間、三陸の皆さんの復興への願いが
少しでも繋がることを願うばかりだ
そして あの“ありがとう”は
絶対に忘れない
これ以上の経験はありません。
真面目にヘルプに行こうと一時決断していましたが、
そうすると父が亡くなってしまうことに気がつき
考えるだけで終わってしまいました。
ご苦労様でした。
はじめまして
コメントありがとうございます😊
平成16年 新潟県中越地震
平成19年 新潟県中越沖地震
そして
平成23年 東日本大震災
各地で被災された方々の現場に物資を運びました
現地で被災された方々の悲しみとやり場のない怒りに
微力ながら接してきました
達成感はありません 無力感だけが残っています
ただただ、これ以上被災された方々に
災いが起きないように
そして今後も日本列島に災いが降り注がないように
願うほかありません