臨月近くの大きなお腹でサントリーホールまでわざわざ聴きに駆け付けてくれて。。
あの時お腹にいた赤ちゃんにやっと会えて、ニコニコ愛想よく
着物やレトロな洋装したりして 『つづくらいぶ』してた頃が懐かしい(笑)
タルトのおいしいお洒落なお店で みんなと素敵な時間。
優しいみんなのおかげでめちゃhappyな充実した旅になりました。
息子にはお土産にドクターイエローのお箸を。
今度は一緒に乗せてあげたいと思います☆
今年も 新潟の小千谷から 雪解けの自然の恵いっぱいの
おいしい立派な山菜がたくさん届きました☆
この箱を見ると 東北にも春が来たんだなぁとあったかい気持ちになり
初心を思い出します。
送り主は 中越地震で被災された地域に復興コンサートをしに行かせていただいた時に
聴いてくださった感性豊かな素敵なかた。
あの日をきっかけに今でも繋がれていて 感謝の気持ちでいっぱいです。
当時、愛媛にいた私でしたが 自分自身も元被災者として
中越地震を見て人ごとではなく何かできないか考えていた矢先に、
たまたま能登の地震で被災された方が出張で来られていて私の曲を聴いて涙され、
「あなたの姿にすごく勇気づけられました、是非他の被災地にも行ってあげて下さい!!」
と言って下さり、少しでも私の音楽でお役にたてるならと思い
コンサートで想いを語り、
被災地へ行くためにコンサートで募金を募り・・
実現までに2年もの時間がかかりましたが、
みんなの想いのおかげで実現できたこと、今でも昨日のことのように思い出します。
中越地震の被災地へ行った時、まだところどころに
傷が残っていたりもしていろいろ考えさせられました。
「 地震から時が経って最近では支援の人たちも
よそから来なくなったのに 今でも覚えていてくれていて
ゆかりもないこの新潟に 遠い中こうしてみんなの想いで来て下さって
すごく嬉しかった、ありがとう!!」と
涙ながらに喜んでくださったかたもいらっしゃいました。
災害が起きた後、時が経ってからの心のケアも
ほんとうに大切なことだと思います。
東日本大震災にあわれた方々の心の復興も
これからがさらに大切な時だと思います。
また自分にできることはないだろうか、と考えながら いただいた貴重な山菜を調理。
昨日はお肉と共に唐揚げにしてみましたがすごく美味しかったです。
今日は山菜の天ぷらにしてみました。
ちょっと作りすぎたかな。と思っていたら
最近偏食気味だった息子も 山菜のみの天ぷらがおいしいとぱくぱく!!
味見であげたつもりでしたが止まらず
大きいのを5つもぺロりと食べてビックリしました。
愛情込めて作られたもの、身体にいいものは自然と分かるんでしょうね。
ありがたき幸せに本当に感謝です!!
四尺玉の日本一の大きな花火でも有名な新潟の小千谷。
今年こそは夏に行われる小千谷の片貝まつりに足を運びたいと思います。
小千谷のO様、おいしいパワーを本当にありがとうございました(^-^)☆
先日、素晴らしい調律師の塩見浩和さんが我が家のピアノの調律をしにはるばる愛媛から来てくださいました
塩見さんに出会ったのは2008年。
(↑神戸から妹も駆けつけてくれて即興連弾したりもしたなぁ。懐かしい☆)
ピアノリレーコンサートのゲストとして
西条市総合文化会館、西条市丹原文化会館、砥部町文化会館で
出演させていただいたときに
塩見さんが全てのピアノの調律や、舞台上でピアノを解体してみんなにわかりやすく
ピアノ講座をされていたのが出会いでした。
ひとりひとりの演奏をじっくり裏で聴きながら ピアノの様子をしっかりとチェックされていて
本当にすごいなぁと思って見ていました。
あの時はスタインウェイとベ―ゼンドルファー二台並べて弾かせて頂いた会館もあり
曲によって弾き変えたり すごく贅沢で幸せなひとときでした。
塩見さんの作られる あの音色に聴き惚れてそれからずっと
神戸に帰ってからも調律をお願いしています。
たくさんのコンサートホールやアーティストさんたちのご自宅の大事なピアノを手掛け、
塩見さんに調律してほしいピアニストさんはとても多く、引っ張りだこの毎日なのに
(今更ながら塩見さんのプロフィールを見てあらためてびっくり!すごい方々のお名前が並んでいます)
新曲のレコーディング前日の夜、時間を作って再度新幹線に乗ってわざわざ微調整に来てくださり
丁寧に私好みのキラキラ輝きながらも優しい素敵な音色に仕上げてくださいました(´∇`)
技術と感性だけでなく、弾くかたの気持ちや音楽を大切に
ピアノを心から愛して作ってくださるからこその音色にまた虜になってしまいました
お礼にオリジナルから一曲を弾かせていただくとすごく感動してくださり
「他の人には出せない中谷さんにしか弾けないピアノですね
これを楽譜にして他の人が弾いても
中谷さんファンは物足りなく感じてしまうかもしれません。まさに中谷さんにしか弾けないピアノですね」
と言ってくださり、久々に弾いた曲で練習不足なのに恐縮でしたが
たくさん有名な方々のピアノも手掛けて耳も肥えたセンス抜群の塩見さんからのありがたいお言葉がとても嬉しかったです。
まだまだ未熟ですが、これからも自分らしさを大切に、
心を磨いて心に届く音楽を届けられるようにがんばります
弾くだけで優しい気持ちになれるあの音色を聴きたくて
また今もピアノを弾きたくてたまりません。
音色って意識まで変えてしまう、すごい力があるんだなあとあらためて感動しています!!
これこそ塩見さんじゃなきゃできないお志事。
調律師さんて本当にすごいです
塩見さんにご依頼されたいかたは
塩見調律事務所(→クリック)のサイトにお問い合わせ先が載っています。
塩見さん、今回もありがとうございました
優しい音色のおかげでみんなで心をひとつに
レコーディングを終えることができました。
この新曲のCDの完成は夏になる予定です。
元気でかわいい子どもたちからの歌声と
馬越正八さんの素晴らしい歌詞、
そしてこのピアノから生まれた優しいメロディで
みんなが元気になりますように(^-^)
お世話になったフラメンコギタリストの青木敏郎 さんがお亡くなりになられたとご連絡をいただきました。
2007年、松山にいた頃、大雨の中コンサートを見に来てくださり 、
国際ホテル松山のチャペルコンサート で一緒に演奏させていただいたり
ギター一本で50年近くも(今までずっと)現役で活躍された素晴らしいかたなのですが
気さくに 「中谷さんもブログを初めてみたらどうかな?」と
親切に素敵なご自宅にお招きくださり
ブログ の作り方を教えてくださったのも青木先生で
記念すべき初めての記事のお写真は青木先生のお宅の
紫陽花の写真にしたことを思い出しました。
甘いものが大好きでお土産も喜んでくださり、
笑顔のキラキラきれいな奥さんといつも仲良しで
音楽のことだけでなく、人としてまっすぐな生き方など
いろんなことを教えていただきました。
昨夜 ふと、青木先生のブログ、最近更新されてないけど元気かなぁと
思っていた矢先の訃報。
昨年、久々にお電話してみた時には
お元気で明るく毎日を過ごされていたのに
なぜこんなことに・・・信じられず、悲しみが止まりません。
今日のPoco a pocoさんのブログに
青木先生がPoco a pocoさんに初めて行かれた日の出来事が書かれていて(クリック で読めます)
私も関係していたことを初めて知り 涙が溢れました。
さりげなく いつも人の気持ちを考え、記念日を大切にされる素晴らしいかたでした。
あの優しい笑顔にもう会えないなんて、
素敵なギターも 楽しいお話ももう聞けないなんて信じられません。
でも、先生に出会え、一緒に演奏したこと、先生の優しい音色、
共に過ごした大切な想い出はこれからも消えません。
もっと早くに連絡したらよかった。。。
命の大切さと、今をしっかりと生きることをまた教えられた気がします。
青木先生、最後まで大切なことを教えていただき、本当にありがとうございます。
どうか天国でも素敵な笑顔で みんなにギターと楽しいお話をきかせてあげてくださいね。
ご冥福をお祈りいたします。
今日はラジオ放送終了後、関東や九州など様々な地域の方々から
あたたかいメッセージをいただきほんとうに嬉しく思います。
聴いてくださったみなさん、リクエストしてくださった渡部和也さん、ほんとうにありがとうございました(^^)
さて、昨日はすごく久々に第二の故郷、大阪の大東市へ☆
阪神淡路大震災で家が全壊したので、大東にある父の社宅に一時的に移り住み
一年だけ通った大阪の高校で出会った大好きな友達の赤ちゃんを見に行ってきました(^∇^)
友人にそっくりな真っ白なお肌に美人さんなかわいいお顔、女の子~な雰囲気もとろけそうで
二歳の息子も思わず「いないいないばあ」を何回もしてあげてました(笑)
無事に産まれてよかったね!!ほんとうに嬉しかったです☆
その後、友人宅から一駅遠い住道(すみのどう)へ。
せっかくここまで来たからどうしても想い出の駅に行きたくて。
懐かしい友人にダメ元でサプライズ連絡してみたら
仕事終わりにも関わらずかわいいお嬢さん二人を連れて会いに来てくれました☆
将来お嫁にいっても恥ずかしくないよう、家事をきっちりしつけているときき
高校時代からしっかりしてたけど さすがいいお母さんだなあと感動しました。
うちの子が男の子の理由がわかった気がしましたf(^^;
私もいつの日か女の子を育てられるよう、自分自身もっとがんばって成長しなきゃと思います(´∀`)
亡くなった友人や宝物のピアノ、想い出の我が家…
失ったものもたくさんありましたがあの地震がなかったら出会わなかった大切な友人たち。
いまでもコンサートに来て応援してくれたりほんとうに不思議なご縁です。
Yちゃん、Kちゃん楽しい時間をありがとう☆
そういえば以前、NHKや新聞を見て防災関係の講演コンサートのご依頼をくださったのも
偶然大東市のかたでお互いに驚きました。
出会う人、行くべき場所には何らかの形でちゃんと出会えるようになっているのでしょうね。
過去に行った大東での講演コンサート後記はこちらです⇒クリック
これからも出会いを大切に生きていきたいです\(^_^)(^_^)/
最近、いろいろなジャンルの方から様々なご依頼をいただき
感謝の気持ちで日々過ごさせて頂いています。
スケジュールが合わなかったりで なかなか実現できないこともありますが
また少しでも自分のできることで 皆さんのお役に立てたらいいなと思っています。
打ち合わせとレッスン、育児、家事で毎日があっという間で すっかり時が経ってしまいましたが、
以前、中越地震の被災地へ復興コンサートをさせていただいた時にお世話になった
新潟の小千谷のかたから、
今年も雪解けパワーがいっぱいのたくさんの山菜と素敵な本をいただきました。
昨年はすぐに駆け寄った息子も、今年は大きな筍を見てちょっとビビってました(笑)
きっと私以外にも数えきれないほどボランティアの方が訪れたでしょうに
あれから何年も経つのにこうして今でも連絡をくださり、覚えていてくださり本当にありがたいことです。
貴重なお野菜は大切に こんな風にいろんなアレンジをして じっくり味わいました♪
☆ウドとイカのバター炒め
☆ウドの和風ピザ
☆山菜の天ぷら
☆筍ごはん
☆山菜うどん
☆アケビの芽の卵和え
☆わらびの肉豆腐風
☆ワラビの卵とじ丼
☆ワラビ入カレー
☆煮豆(そのまんまでも香ばしくて絶品でした!)
・・・などなど お料理も即興人間ならではの感性で お家にあるものと組み合わせて
ちゃちゃっといろいろ作ってみましたが(見た目もざっとしてますがそこはご愛嬌(笑))
さすが自然溢れる小千谷の山菜、どんなアレンジしても と~っても美味しかったです!!
小千谷の優しい方(^^)、あらためてほんとうにありがとうございました☆
そして先日は新潟から福島の南相馬の仮設の方々のもとへ山菜そばの炊き出しにも行かれたそうで、
ボランティアが減った今、足を運んで来てくれたみんなの優しさに感動され、
おいしい山菜そばもとても喜んでくださったそうです。
あちらでのお話を聞いていると 人々の心境や情景が浮かび
自分も震災を体験したものとして人ごとに思えず、複雑な想いになりました。
最近はテレビでの放送なども減っていますが しっかりと現実を知り、
現地の方々の心の声をちゃんと感じながら 生きていかないとと改めて感じました。
小千谷からのあたたかい気持ちのこもった山菜パワーをいただいてから
今まで以上に あちこちのピアノが呼んでくれているかのように
いろいろなところからご連絡をいただいていて不思議です。
最近、息子のイヤイヤもだいぶ激しくなってきて 何をするにもエネルギーがいって大変ですが
新潟からのおいしい山菜パワーで 充電完了です☆
こんな出会いを下さった皆さんへの感謝の気持ちも込めて
今年も 心温まる音楽をお届けできるよう頑張ります(^^)
様々なシーンで心に沁み入るあったか~い歌を歌われる 梅原司平さんが
コンサートで神戸に来られました。
梅原さんとの出会いは新潟の小千谷の優しい方からの一通の小包がきっかけでした
私はジャンル問わず、心に響く音楽が好きなのですが
梅原さんの優しさ溢れる歌に すっかり癒されて 力をもらい、
早く生で聴いてみたいと思っていました。
昨年は梅原さんのデビュー40周年の記念の懇親会で
おそれ多くも、大切な一曲を私のピアノでコラボレーションをと、
関係者の方が企画してくださったこともあったのですが
当時の私は 右顔面に大やけどしていた時期で
とても人前に出られる顔ではなく、
顔に保護シートをつけたまま 初対面も悲しいので断念し、
お会いできなくてずっと残念に思っていたんです
でもきっといつか 偶然は必然と思える素敵なタイミングで出会えるはず、と
自然な流れでお会いできる機会を楽しみにしていると 小千谷の方が
神戸でコンサートがあるよとを教えてくださいました
コンサート当日の朝、梅原さんのCDを聴いて準備していると、
曲が終わった絶妙のタイミングで 息子が向こうの部屋で 嬉しそうに拍手してました
心にいいものは 赤ちゃんにも やっぱりわかるんですね
生の音楽を 息子にも聴かせてあげたいけれど
コンサートで もしもご迷惑をかけてはいけないので
思いきって息子を実家に預けました
おばあちゃんと おうどんを一生懸命食べている後ろ姿を 切なく見つめながら
ごめんね・・・とそ~っと出発
久々にひとりで電車に乗り、身軽だけどちょっと寂しい・・
さて、コンサートの開催される神戸文化ホールに到着
中学・高校時代は吹奏楽のコンクールが行われた場所で
短大時代もこの神戸文化ホールで定期演奏会だったので
青春の想い出がいっぱい詰まった大切な場所で
梅原さんに会えることが すごく嬉しくて不思議でした
『売れない歌手でよかった』という本を書かれていますが、
全国にあったか~いファンの方々がたくさんいらっしゃるので
もうまもなく満席という状態でしたが、優しいお気づかいで なんとかチケットを確保できました
一曲目から 心があったか~く癒されて 涙が溢れてしまいました
忙しい毎日で 忘れかけていたような 大切な何かを補充してもらったようで
全てが愛おしくなって 早く帰って息子を抱きしめたくなりました。
ずっと生でききたかった『ここへおいで』も聴くことができました
知覧の特攻隊の歌にも梅原さんの語りにも感動して号泣
いろんなことがあっても 平和に暮らせている 今のありがたさを感じて
ありためて感謝の気持ちでいっぱいになりました
梅原さんの作品に 『折り鶴』という歌があり
この歌は 吉永小百合さんが原爆詩朗読される際にも 使われていて
今は、梅原さんの了承を得て、『広島』の部分を 『福島』に変えて使われているそうです。
東日本大震災から一年半が経ちましたが この大切な歌に救われている方も多いと思います。
吉永さんと同じ舞台で共演するのが夢 とおっしゃっていましたが、その日も近い気がします
今回、社会福祉法人かがやき神戸の方々が共催されていて
輝き仲間の舞台として、みなさんの朗読や合唱も聴かせていただけて、
そちらにも感動してまた涙が溢れました
梅原さんは素敵な音楽にのせて いろんなことを歌の間に語ってくださいます。
そのひとつに、灰谷健次郎さんのお話がありました。
(感動に浸っていたのでうろ覚えなのですが)
沖縄では 3つの約束事があって そのひとつに
『障害のある子が生まれた時は 神の子だと思ってみんなで大事にしよう』とされているのだそうです
私の中で目から鱗というか 妙に納得できて衝撃でした。
沖縄だけでなく、私たち一人ひとりが もっとそうあるべきだと感じましたし、
その周りで支える方々のことも 神様に選ばれた方なのではと思いました。
そして、ふと、東京の石田和之さんのことを思い出しました。
今から3年前。当時、船井総研でコンサルタントをされていた石田さんは
大切な息子さんの将来のことを想い、障害があっても一人ひとりが
しあわせに働ける社会を作るために
『働くしあわせプロジェクト』を立ち上げられました。
その想いをドリプラ2009で2300名もの前でプレゼンされることになり、
そのプレゼンに合わせて、皆さんの笑顔を思いながら
BGMを作曲させていただいたことがありました。
石田さんのプレゼンは見事に観衆の心に届き、感動大賞を受賞し、
この夏からは、就労移行支援事業所『働くしあわせ』を立ち上げられ
素敵な仲間のみなさんと顔晴っておられます。(石田さんのブログはこちら⇒働くしあわせプロジェクト)
石田さんにも伝えたいな
神の子たちの笑顔がこれからますます輝くといいな
梅原さんも輝き仲間のみなさんも素晴らしい詩で表現できて 本当に尊敬します。
音楽の力+言葉の力で よりしっかりと心に伝えることができるのですね
音楽は目には見えないけれど みんなの心が音楽で繋がって優しいきもちで一つになり、
何かが変わっていく、まさにうたの力を感じました
私は顎関節症で自分は歌えないこともあって
詩もあまり書いたことはないけれど、また久々に歌も作ってみたいかも・・
なんて思ってしまいました。
ピアノのみで伝えるのが最善で 言葉で伝えるのが苦手な私ですが、
こんな風に心が揺らいでしまうほど うたのちからの素晴らしさをひしひしと感じました。
(あ~やっぱり言葉では伝えづらくてもどかしいほんまにほんまに良かったんですよ)
最後、梅原さんにお会いして お手紙とささやかなお土産を渡すことができ、
阪神淡路大震災で 身代わりに破片になって助けてくれた相棒のピアノも見てくださいました。
いい歌をたくさん聴かせていただいいて胸がいっぱいで感動のあまり、
写真を撮らせていただくこともすっかり忘れていましたが
とっても素敵なかけがえのない時間でした
輝き仲間の皆さんが一生懸命手作りされた
かわいいひまわりの手作りのバッチも全員分配られ、心がほっこりしました。大切にします。
素晴らしい歌と共にいろんなことを考えさせられる大切な一日を 本当にありがとうございました。
私も来週金曜日は、復帰初めてのコンサートです。
ドキドキですが、大きな大きなパワーをいただいたので、私も皆さんに素敵な音楽の力を
お届けできるように頑張ります
今日も皆さんの笑顔が輝きますように
今年も お客様から素敵なお写真が届きました。
以前、コンサートでお配りした、はるかのひまわりが
今年も元気に咲いたそうです。
こんなに立派に育ててくださり はるかちゃんもきっと天国で
喜んでいると思います。
すごく大きくなったからとお花の部分のアップも☆
今年もこんなにも大きく綺麗に咲かせることができたのは
お客様が毎日愛情いっぱいに育ててくれたおかげですね
本当にすごいです
私もいつか息子にもお話して 一緒に大切に育てたいと思います
去年は今頃お腹が大きくてお産を控えて不安な頃に、
あちこちからたくさんのお写真をいただいて パワーをもらってがんばれたなぁ
今年は手がしびれたり、お腹の傷が未だに痛んだり、
慣れない育児で大変な毎日を見て、また今年も応援に来てくれた気がします。
今年の大きなひまわりも笑ってくれているように感じました。
綺麗なひまわりと青空を見て、優しいはるかちゃんを感じながら これからも毎日を大切に過ごしていきます
はるかちゃん、今年もピカピカ笑顔で会いに来てくれて ありがとう。
貴重なお写真を送ってくださいました愛媛のO様も、ほんとうにありがとうございました
江崎利一さんの素晴らしい生き方を知ることができたのも、
グリコの聖地ともいえるようなパワースポットのような場に行くことができたのも、
音楽のおかげで素敵なお客様に出会えたことがきっかけでした。
そのお客様は実は私と同じ東灘小学校出身で(大先輩にあたりますが)、
以前、東灘小学校でのメモリアルコンサートにお越し下さったそうです。
それ以来、いつもとてもあたたかく応援してくださっていて
今回このような大切な場所にお招きいただいて お会いすることができ、
思いもよらず今の私に必要な生きるヒントをたくさん感じることができて、とても嬉しかったです。
今や大阪指定景観形成物に認定され、シンボルになっている道頓堀のグリコネオン。
時代によって変化し続け、いつも明るく大阪を彩ってきたこのネオンですが、
昨年、東日本大震災の直後、グリコのシンボルである「道頓堀のネオン」と本社の「Glico」の街灯を最初に消灯し、
ニュースでも取り上げられ大きな話題になっていました。
(お写真お借りしました。)
節電の意味だけでなく東日本の皆さんの心に寄り沿ったり、
復興を願い、また絶妙のタイミングで再び灯りをともしたり・・・。
光は明るく照らすだけでなく、消すことで意味をなすこともあるのだと心うたれていましたが
実はこれも今回お会いしたお客様(大先輩)の思いきった勇気があったからこそだったのです。
震災を経験していたからこそ、被災された方々の事を自分のことのように思いやり行動できたのではと思います。
そんな尊敬すべき大先輩と最後に一緒に記念に撮影していただきましたが、
偶然にもゴールインしてしまっているような奇跡のような一枚でびっくりしました。
今もあちこちで災害が起こっていて 辛い想いをされている方もたくさんいらっしゃると思います。
苦しい想いを経験した分、みんなが今を大切に感じ、また他人を思いあったりで一つになって支え合う時代になっている気がします。
あったかい素敵な人たちに出会い、グリコパワーをいただいたので、私もまた今の自分にもできることを見つけて、
少しでも皆さんのお役にたてるようにがんばろうと強く思いました。
お土産をたくさんいただき、帰宅したとたん息子が大はしゃぎ!
初めてビスコをあげたら夢中になってほおばって もっともっとと何度もせがまれました
離乳食やバナナなどいっぱいいっぱい食べた後でも この底なしの食いしん坊。。。血は争えません・・
しかし、よく考えたら0歳にして初めての会社訪問って・・・
90年の歴史で最年少のお客様だったそうです。
あたたかく迎え入れてくださりお世話になったグリコのF様、U様、
息子と一緒に大切な場で感じて とても貴重な経験をさせていただき本当にありがとうございました
そして、息子よ、ちっちゃな身体でまるで社長のように堂々と(笑)
大人の世界につきあってくれてありがとう。
心のこもったおいしいものをいっぱい食べて つよくて優しい元気な子になぁれ
今日も一人ひとりが心穏やかに過ごせますように
神戸もすっかり暑くなり、今日は朝から蝉がミンミン・・と鳴いているのを聞きハッとしました。
もう7月も後半ですね!
毎日育児に追われてあっという間で すごく久々の更新になってしまいました
書きたいことがいっぱいのまま、育児疲れからか両手がしびれていて なかなかPCを開けない日々でした。
素敵な出会いや嬉しいこと、悲しい別れや身体の不調、そして復活と思った矢先のHPの喪失
・・・毎日色んな事がありますが 起こるべきこと一つ一つに
学びと光を見つけながら少しずつまたUPしていきたいと思います。
さて、もうずいぶん前の事になりますが 6月のある日、
お客様が とても素敵な所へご案内してくださいました。
健康でおいしい幸せをいつも届けてくれている、
創業90周年の江崎グリコの江崎記念館です☆
本社内にあるので普段は一般の方はなかなか入れるような場所ではないようですが、
特別にご案内くださり、お言葉に甘えて息子も一緒に見学させていただきました。
0歳の息子は初めての会社訪問だけど、泣くこともなく、ずっとご機嫌さんで、
素晴らしい生き方をされた創業者・江崎利一さんの像をじ~っと見ていました
江崎利一さんはご長男が幼少期に医者から見離された病魔にかかり、どうしたら治るのか・・
と悩んでいた時に有明海の牡蠣の煮汁から【グリコーゲン】を見つけ、
子供に与えたところ、奇跡の回復の体験を40歳過ぎでされたそうです。
そして病気の治療より予防に役立てようと考え、国民の体力づくり健康づくりを目的として
栄養菓子を創製し、それがグリコ創業のきっかけとなったのだとか。
今では社員の皆さんがこの江崎利一さんの志を受け継いでグリコを繋いでいるのだそうで感動しました。
記念館の最初はその原点となる有明海のお写真でスタート
創意工夫を大切に、社会貢献もされたり、本当に素晴らしいかたで
戦後、全てを失っても人の記憶は消えないと立ちあがる姿は、まさに今の日本に必要で
そんな江崎さんの名言や想い出の品が飾られていたり、とてもレアなものも飾られた偲ぶお部屋もあって
ずっと見ていたいくらい興味深い場所でした。
色んなものに細かく記載し、物を大切に保存していらっしゃったようです
震災でなくなってしまったけど私も想い出ボックスにいろいろ大事に保管していたので
ちょっと親近感が湧いてしまいました
昭和6年、日本で初めての映画付きグリコ自動販売機を作られたそうです。
昔のお金を私に手渡してくださり、体験させてくださいました。
十銭を初めて手にしてドキドキ。
入れてみると・・
なんと映画が流れて音楽も聞けて、栄養のあるグリコとともに2銭のおつりも出てきました
すご~いっ
当時東京に設置され、すごい人気だったそうです。
私もOL時代、社内に設置されていた100円グリコのお菓子を買って
気分転換して頑張れてたけど 昔からみんなを幸せにしてきたんだなぁ
そしてグリコというとお楽しみのおまけですよね
みなさんも見覚えありますか?たくさんのおまけもズラリ勢ぞろいで、夢中になってしまいました。
そんな中に私も持っていた想い出のお人形を見つけて想い出が一気に蘇りました
私が小一の頃、幼い妹が入院して心配で病院に一緒に泊まったことがありました。
その日私にはオリジナルの氷を作る宿題が出ていて、病院だったので入れるものが何もなく、
館内で買ったグリコについていたかわいいお人形を
ビーズなどと一緒に入れてとってもかわいい氷ができました
グリコのおまけって、おまけと思って作られていないそうなんです。
だから小さくても印象深くみんなの大切な想い出として残っているのかもしれませんね。
お菓子もおまけもどんな物にも、作った方の精神が宿っている気がします。
私も見習って、これからも心を磨いて一人ひとりの心に響く音楽をお届けしたいとあらためて思いました
後半へつづく☆
今日で東日本大震災から100日が経ちました。
今日は福島の南相馬から、お電話がありました。
以前からお世話になっている新潟の小千谷のかたが福島の南相馬に炊き出しに行かれていて
そこで出会ったというあるかたとお電話を変わってくださいました。
そのかたは、16年前、まだ小さな頃に私と同じ神戸市東灘区で阪神淡路大震災で
被災した現役の学生さんでした。
今も神戸に住んでいるらしく、子供たちの心のケアの為に南相馬に何度も足をはこんでいるらしいのですが
当時の記憶が今でも残っているらしく、自分自身の過去を乗り越えるためにも、
現地に足を運んで頑張っておられるとのことでした。
私が数年前、新潟の被災地へ演奏に行った時でさえ、ちょうど行く直前にも新潟に地震が来たりしていたので
実は夢で怖くなったこともあったり、かなりの勇気と思い切りが必要でしたが、
今日、話した彼女が今現在進行中の被災地へ行くことは相当な勇気が必要だったと思います。
きっと過去の経験から、子供たちの心の痛みを同じ目線で心に寄り添って癒してあげて
みんなの大きな力となっていると思います。
そして、逆に、過去に同じ被災経験がないかたでも、だからこそ、現地へ力強く足を踏み入れたり、
経験していない分、懸命に想像力を膨らませて色んな角度から力になれていたりもするのだと思います。
きっとひとりひとりにそれぞれのタイミングでお役目があるのだろうなぁと最近つくづく感じます。
今日もまだまだ瓦礫が散乱しているところも多く見られたそうです。(メールでいただいた今日のお写真)
心のケアのボランティアのかたは各避難所に一人いるかいないかの現状だそうです。
たとえひとときでも、優しい気持ちに触れ合えて、自分の心と向き合ってもらえた子供たちは、
きっといくつになっても人のあたたかさを忘れることなく、どんなときも光を見つけて頑張れるでしょうし、
いつの日か、今度は誰かに優しさや光を届けられる素敵な大人に成長すると思います。
今は妊婦でできないことも多く、現地に行けない私なので歯がゆい想いもありますが、
自分のできることを精一杯頑張っておられる皆さんに感謝の気持ちでいっぱいになります。
私にできないことをしてくださっている全ての方々へ、ほんとうにありがとうございます。
ひとりひとりにできることが違うからこそ、多くのパワーで復興に導いていけるんだなあ、とあらためて感じ、
今の私やこれからの私にできることはなんだろうと考えています。
100日も経っても、今でも辛い状況の中でおられる方が数えきれないほどいらっしゃいますが、
きっと世界中の多くの方々の優しさや愛を感じているからこそ、
どんな暗闇の中でも未来を信じて、光を感じて今を乗り越えていけるのだと思います。
私のできることは微力ですが、これからも自分のできることを日々見つけて、その時々に応じた色々な形で
少しでも皆さんのお役に立ちたいと思います。
優しい心の連鎖で 一人ひとりの心からの笑顔が輝きますよう 祈っています。
先日はあたたかなコメントをたくさんありがとうございました
自分の不注意で余計なご心配をおかけしてしまいすみません
コンサートでは美容界のタイガーマスクさんに
こんなに↓綺麗にしていただき、大きなパワーをもらってがんばれました。
あまりに嬉しかったので、タイガーマスクさんの正体を激写しちゃいました↓
本当にマスクをしててびっくりしましたが、風邪をひいてるのに
お休みの中、このイベントの為にボランティアでかけつけてくれたからだったんですね。
ヘアメイクが終わったら
「じゃ、ぼくは次の現場(その日はウェディング)がありますんで!」とさわやかな笑顔で去っていきました。
かっこよすぎました。心優しい美容界のタイガーマスクに会いたい人は⇒過去のブログで
こっそり正体を明かさせていただてますので ぜひご指名してみてくださいね。
そして、コンサート後日、私のもとにさらなるタイガーマスクが現れました。
予期せぬ顔の火傷をおってしまった時、夜間でどこも病院が閉まっていて、
昔からお世話になっていた先生に急遽電話して、すぐに来るよう言って下さって治療していただいたのですが
「お代はいりません!これは僕の専門分野じゃないし、
困っていたから何とかしてあげたくてさせてもらっただけですから」
と言われ、またも伊達直人さんに出会った気分で感謝で 胸がいっぱいになりました。
このご恩を忘れず、これから私もなにか自分にできることで返していきたいと思います
家族が疲れている時、こっそり洗い物をしておいてあげたり、洗濯物を取り込んでおいたり
道端で拾った誰かの鍵を分かりやすい所に結んでおいたり・・、
自分にとってさりげないことでも された方は本当に嬉しいしありがたいことだと思います。
きっと誰もが心掛けひとつでタイガーマスクになれるんだと思います。
一人ひとりの心掛けで 会社や学校、家庭、 まずは近くにいる人に少しでも優しくできたら
優しさの波紋がひろがって きっと世の中はどんどんいいように変わっていくんじゃないかなぁ。
私はまだまだやってもらっていることの方が多い気がするので、これからは自分も力になれる存在になりたいです。
火傷であまり外にも出られなくなり、逆に自分をゆっくり見なおす大切な時間になって神さまに感謝です。
コンサートでいただいた綺麗なお花やおいしい差し入れ、そしてかわいいピアノグッズにも
テンションが上がり、パワーをもらって励まされています皆さん優しい気持ちをありがとうございます!!
これからも 身の周りのささやかな幸せをみつけて生きていきたいな
最近はインフルエンザがかなり流行っているようですので、ちゃんとマスクして、
手洗いうがいもしっかりして気を付けて毎日を元気に乗り越えてくださいね
素敵な週末をお過ごしください