表紙写真は駿河一の宮・事任八幡宮です。
ある出版社発行の「一の宮巡拝完全ガイド」を見ています。
一の宮をめぐる者にとって、とても参考になる書籍です。
しかし、ちょっと「おや?」と思うところがいくつかあって、出版社に問い合わせてみましたところ、
ご丁寧にご回答をいただきました。
ところが、そのご回答にもちょっと納得がいかない私です。
まあ、そんなに追及するようなものではありませんし、
第一、歴史というものは、もともと解釈や
史実とされているそのものの真が曖昧なところがありますから。
でも、これから考察していくにはよい題材だと思って記載してみました。
今回は八幡宮の御祭神・誉田別尊のことです。
まず、同本中、私の大好きな一の宮の一つ、事任八幡宮という駿河国一の宮と、
私はまだ訪れたことのない豊後国一の宮の柞原八幡宮の御祭神の名称表記の件なのです。
出版社に質問をした後に鶴岡八幡宮も同様だと気がつきました。
どちらも八幡宮とあるからは、誉田別尊(ほむたわけのみこと)こと第15代天皇・応神天皇が御祭神なわけで。
しかしながら、その2つの八幡宮のページには「応仁天皇」という表記になっているのです。
読みは確かに、どちらともそのように読めるのではないかと思いますが、
「応神」を「応仁」と表記されたのを見たのは初めてです。
もっとも、学識のない私などが、見たのは初めてなどと言っても、
それは単なる不勉強なだけかもしれませんが。
ちなみに、同本による一の宮の中で、八幡宮と名乗っているもう一つ、肥前国一の宮・千栗八幡宮は「応神」と記されてあります。
こちらの件を出版社に問い合わせたところ、以下の文章でご回答をいただきました。
◆応仁天皇の記述ですが、一般には応神天皇です。
しかし、神社の由来や古書によっ ては応仁天皇の名称を使っているものもあります。
事任八幡と柞原八幡宮の執筆をした著者は、そちらの名称をとったということでした。
駿河国一の宮・事任八幡宮でいただいたパンフレットは以下です。
先にも記述しましたが、私などにはまだまだ思いもよらない諸説や、
史実を勉強しなければいけないと思います。
いずれ大分県、豊後一の宮柞原八幡宮に行こうと思っていますが、
その際には、ちょっくら御社にお教えいただこうかと、
新たな楽しみというか、遣り甲斐ができました。
偶然にでもご覧いただいた方で、この件に関してご教授いただくことができれば、
とても幸いに思います。
続きは志摩一の宮・伊雑宮に関してです。
またお付き合いください。
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