(1)犯罪捜査にDNA鑑定が導入されてから犯罪解明率が向上した。それ以前の後に冤罪(えんざい)と言われた事件も再審開始の決め手となって、無実が証明されたりもしている。
そもそも人が人を裁く不条理(unreasonableness)の裁判だから、意図的ではなくても捜査能力の限界つまりつながりとか協力とか関心とか広い意味での社会の中での人間力の限界もあって、見過ごされたり誤解、誤認とか地道な努力が足りなかったりして、あっさりと経験とか傾向とか消去法とかの不確定要素の人間の判断力で捜査を終結していた中で、そもそも人が人を裁く「不条理性」の自覚が基本から置き去られていたかっての捜査力であった。
(2)捜査能力許容量の限度、犯罪者の社会的制裁(裁判官がよく示す犯罪者の「矯正の可能性」、身分を隠しての逃走人生の過重な精神的重圧負担)を考慮して犯罪には時効(prescription)が設けられていたが、科学捜査の導入、とりわけ時限を超えた証明力のあるDNA鑑定の精度向上にともなって、犯罪から公訴時効が廃止(abolition of prescription)になった。
それにともなって警察庁は10年に全国警察本部に未解決事件の専従捜査体制(special command search)を設けて、専門的に未解決事件の捜査解明にあたっている。
(3)時効の壁は被害関係者にとってはこの上ない無情、無念の壁となっていたが、捜査当局にとっては人が人を裁く不条理の中のひとつにしかすぎなかった。
犯罪という永久的に許すことのできない行為に、時効で捜査究明を終結、放棄するという不条理だ。
科学的捜査の開発、研究が進んだから時効が廃止され未解決事件を時限に限りなく専従捜査するという姿勢も、社会正義のパラダイム(paradigm)として警察行動からすればおかしな話だ。
真相究明に適切な「方法論」を持たずに犯罪を見過ごし、時効にまかせて捜査を打ち切るなどとは警察捜査権の責任放棄以外の何ものでもないからだ。
近年の科学捜査の開発、研究、進化によってようやく時効が廃止されて、社会正義のパラダイムとしての捜査力が求められるようになった。
(4)この不条理性は裁判の判決(つまり裁判官の判断能力)にも大きく影響力を持つことになった。07年名古屋で起きた闇サイト殺人事件で逮捕された容疑者3人は1審では全員死刑判決を受けながら、2審では1人(自ら死刑選択)を除く2人は判例にもとづき被害者が1人であったこと、「社会矯正の可能性」にまで言及しての無期懲役に減刑され、最高裁でもこの2審判決が支持されて確定した。
そこに98年の未解決殺人事件の専従捜査の結果、DNA鑑定でこの事件でも同07年受刑者が関与した疑いが強くなり、捜査の結果犯行を認めた(報道)ことがわかった。
(5)98年当時のDNA鑑定の精度の問題の是非、捜査の精度、方法、努力の問題はどうであったのかの捜査能力の問題と合わせて、07年の闇サイト殺人事件での2審裁判官の判決に影響した当時被告の「社会矯正の可能性」判断がクローズアップした。
いまとなっては仮の話は意味もないが、98年当時の入念な捜査の行方によっては07年の善良な生命は奪われずに済んだとの思いは強いのではないのか。
まして、この2件の関連が事実だとすれば07年裁判官の当時被告の「社会矯正の可能性」に言及した判断は「絵空事」であったことになる。
(6)必ずしも裁判官の判断だけを責める訳にもいかない、そもそも人が人を裁く不条理の裁判だ。それとともに、捜査は「適切な方法論」で取り組めば事件究明、解明につながるものであることを示す結果となっている。
そもそも人が人を裁く不条理(unreasonableness)の裁判だから、意図的ではなくても捜査能力の限界つまりつながりとか協力とか関心とか広い意味での社会の中での人間力の限界もあって、見過ごされたり誤解、誤認とか地道な努力が足りなかったりして、あっさりと経験とか傾向とか消去法とかの不確定要素の人間の判断力で捜査を終結していた中で、そもそも人が人を裁く「不条理性」の自覚が基本から置き去られていたかっての捜査力であった。
(2)捜査能力許容量の限度、犯罪者の社会的制裁(裁判官がよく示す犯罪者の「矯正の可能性」、身分を隠しての逃走人生の過重な精神的重圧負担)を考慮して犯罪には時効(prescription)が設けられていたが、科学捜査の導入、とりわけ時限を超えた証明力のあるDNA鑑定の精度向上にともなって、犯罪から公訴時効が廃止(abolition of prescription)になった。
それにともなって警察庁は10年に全国警察本部に未解決事件の専従捜査体制(special command search)を設けて、専門的に未解決事件の捜査解明にあたっている。
(3)時効の壁は被害関係者にとってはこの上ない無情、無念の壁となっていたが、捜査当局にとっては人が人を裁く不条理の中のひとつにしかすぎなかった。
犯罪という永久的に許すことのできない行為に、時効で捜査究明を終結、放棄するという不条理だ。
科学的捜査の開発、研究が進んだから時効が廃止され未解決事件を時限に限りなく専従捜査するという姿勢も、社会正義のパラダイム(paradigm)として警察行動からすればおかしな話だ。
真相究明に適切な「方法論」を持たずに犯罪を見過ごし、時効にまかせて捜査を打ち切るなどとは警察捜査権の責任放棄以外の何ものでもないからだ。
近年の科学捜査の開発、研究、進化によってようやく時効が廃止されて、社会正義のパラダイムとしての捜査力が求められるようになった。
(4)この不条理性は裁判の判決(つまり裁判官の判断能力)にも大きく影響力を持つことになった。07年名古屋で起きた闇サイト殺人事件で逮捕された容疑者3人は1審では全員死刑判決を受けながら、2審では1人(自ら死刑選択)を除く2人は判例にもとづき被害者が1人であったこと、「社会矯正の可能性」にまで言及しての無期懲役に減刑され、最高裁でもこの2審判決が支持されて確定した。
そこに98年の未解決殺人事件の専従捜査の結果、DNA鑑定でこの事件でも同07年受刑者が関与した疑いが強くなり、捜査の結果犯行を認めた(報道)ことがわかった。
(5)98年当時のDNA鑑定の精度の問題の是非、捜査の精度、方法、努力の問題はどうであったのかの捜査能力の問題と合わせて、07年の闇サイト殺人事件での2審裁判官の判決に影響した当時被告の「社会矯正の可能性」判断がクローズアップした。
いまとなっては仮の話は意味もないが、98年当時の入念な捜査の行方によっては07年の善良な生命は奪われずに済んだとの思いは強いのではないのか。
まして、この2件の関連が事実だとすれば07年裁判官の当時被告の「社会矯正の可能性」に言及した判断は「絵空事」であったことになる。
(6)必ずしも裁判官の判断だけを責める訳にもいかない、そもそも人が人を裁く不条理の裁判だ。それとともに、捜査は「適切な方法論」で取り組めば事件究明、解明につながるものであることを示す結果となっている。