(1)ちょっと世間が考えていることと違う観点から保育所問題を考える。先日、保育園を落とされた子どもの母親がブログで「保育園落ちた。日本死ね。オレ、活躍できねぇじゃねぇか。」というような趣旨の書き込みが話題となって、国会でもこの問題が取り上げられて早速政府も保育施設の不足への対応の姿勢を表明させられた。
安倍首相が1億総活躍社会の実現を目指して、担当大臣までも設けて取り組む新三本の矢の重要政策と位置付けているが、何を目指すのかはよくわからない政策中身だ。
(2)少子高年令化社会を迎えて社会保障費、医療費、介護費の負担が自然増加する構造的課題、問題の中で、高年令者には長く健康でできるだけ働いてもらおうという窮余の策でもあり、人口比率の高い女性の社会進出を促し少子化によるこれからの若い労働力不足を補おうという政策であり、その機会拡大としての非正規雇用改善と同一労働同一賃金理念の導入あたりが考えられる1億総活躍社会の目指すところなのだろう。
(3)それぞれの抱える課題、問題はいろいろあるが、冒頭に出てきた夫婦共稼ぎ(work together for a living)あるいは母親家庭の女性の社会進出に障害となっているのが、特に若い夫婦、母親家庭の年のいかない子どもの面倒と就業、労働をどう両立させるのかの問題だ。
今に始まったことではなくて高度経済成長を経てバブル経済を迎える頃に男女共同参画社会が唱えられて、女性の社会進出が後押しされて一気に花開いた時代から、保育所不足、待機児童過多問題は社会問題化していた。
(4)それまでの男性は社会労働力で女性は家庭労働力という時代、社会から、人口減少による社会労働力不足は徐々に背景にあっても、女性も社会に出て活躍することがムーブメントのようにもてはやされた時代だ。
その後女性は結婚、出産という社会進出、労働の継続性に限っていえば中断を余儀なくされる高い要素も持ち合わせていて、政治も社会もその社会資本の整備充実までは十分に手をまわすことをしてこなかった。
(5)男性は社会労働力で女性は家庭労働力の時代は高度経済成長、バブル経済期で国民経済、生活もそれなりに安定していたが、戦後の団塊世代の人口急増期から徐々に人口減少が続き、社会労働力のピラミッド構成が崩れて労働力不足を実感することになり、男女共同参画社会、女性の社会進出、夫婦共稼ぎ、父親・母親家庭環境社会が一般化することになる。
人口比率の高い女性の活躍は当然の自然の流れではあったが、子育てを男女共同で行う理念社会ではなかったから社会進出する女性にとっては悩みの種であった。
(6)当然、政治、社会はまだ子どもを抱えての女性の活躍など想定していないから、子どもを預ける保育所の整備は遅れて不足する。ただし、女性の社会進出の目的、必然性には家庭経済の総生産性の程度がかかわってくる。
夫婦共稼ぎでなければあるいは母親家庭で最低限度の生活も保障できない場合もあれば、女性の自立、意欲優先のものもあれば、より十分で満足な生活レベルをさらに目指すものも多様(diversity)に活躍の場はある。
(7)そこで冒頭の「オレ、活躍できねぇじゃねぇか」の「(1億総)活躍」の目的、必然性とはいづれのレベルのものなのかはわからない。
女性の本来願望である自立、意欲のために「活躍」したいのか、家庭経済の総生産性不足に迫られて女性が「活躍」しなければならないものなのか。
人生には「収入のための生活」もあれば「生活のための収入」もある。時代、年令、環境、生活などで選択を求められる。
いづれにして年もいかない子どもは、一定期間は親の手のもとで育てるのが望ましい。
安倍首相が1億総活躍社会の実現を目指して、担当大臣までも設けて取り組む新三本の矢の重要政策と位置付けているが、何を目指すのかはよくわからない政策中身だ。
(2)少子高年令化社会を迎えて社会保障費、医療費、介護費の負担が自然増加する構造的課題、問題の中で、高年令者には長く健康でできるだけ働いてもらおうという窮余の策でもあり、人口比率の高い女性の社会進出を促し少子化によるこれからの若い労働力不足を補おうという政策であり、その機会拡大としての非正規雇用改善と同一労働同一賃金理念の導入あたりが考えられる1億総活躍社会の目指すところなのだろう。
(3)それぞれの抱える課題、問題はいろいろあるが、冒頭に出てきた夫婦共稼ぎ(work together for a living)あるいは母親家庭の女性の社会進出に障害となっているのが、特に若い夫婦、母親家庭の年のいかない子どもの面倒と就業、労働をどう両立させるのかの問題だ。
今に始まったことではなくて高度経済成長を経てバブル経済を迎える頃に男女共同参画社会が唱えられて、女性の社会進出が後押しされて一気に花開いた時代から、保育所不足、待機児童過多問題は社会問題化していた。
(4)それまでの男性は社会労働力で女性は家庭労働力という時代、社会から、人口減少による社会労働力不足は徐々に背景にあっても、女性も社会に出て活躍することがムーブメントのようにもてはやされた時代だ。
その後女性は結婚、出産という社会進出、労働の継続性に限っていえば中断を余儀なくされる高い要素も持ち合わせていて、政治も社会もその社会資本の整備充実までは十分に手をまわすことをしてこなかった。
(5)男性は社会労働力で女性は家庭労働力の時代は高度経済成長、バブル経済期で国民経済、生活もそれなりに安定していたが、戦後の団塊世代の人口急増期から徐々に人口減少が続き、社会労働力のピラミッド構成が崩れて労働力不足を実感することになり、男女共同参画社会、女性の社会進出、夫婦共稼ぎ、父親・母親家庭環境社会が一般化することになる。
人口比率の高い女性の活躍は当然の自然の流れではあったが、子育てを男女共同で行う理念社会ではなかったから社会進出する女性にとっては悩みの種であった。
(6)当然、政治、社会はまだ子どもを抱えての女性の活躍など想定していないから、子どもを預ける保育所の整備は遅れて不足する。ただし、女性の社会進出の目的、必然性には家庭経済の総生産性の程度がかかわってくる。
夫婦共稼ぎでなければあるいは母親家庭で最低限度の生活も保障できない場合もあれば、女性の自立、意欲優先のものもあれば、より十分で満足な生活レベルをさらに目指すものも多様(diversity)に活躍の場はある。
(7)そこで冒頭の「オレ、活躍できねぇじゃねぇか」の「(1億総)活躍」の目的、必然性とはいづれのレベルのものなのかはわからない。
女性の本来願望である自立、意欲のために「活躍」したいのか、家庭経済の総生産性不足に迫られて女性が「活躍」しなければならないものなのか。
人生には「収入のための生活」もあれば「生活のための収入」もある。時代、年令、環境、生活などで選択を求められる。
いづれにして年もいかない子どもは、一定期間は親の手のもとで育てるのが望ましい。