いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

アカデミーの堕落。 decadence of academy

2018-05-05 20:06:06 | 日記
 (1)今年の米映画界の最大イベントのアカデミー賞授賞式で大物映画プロデューサーのセクハラ被害に抗議して有名女優らがボイコットあるいは黒いドレスで出席し抗議を示して、そのセクハラ被害を訴えた女優達がタイムス誌の表紙を飾って世界にセンセイションを巻き起こした。

 セクハラ被害の訴えに泣き寝入りしない「#me too」運動は日本でも広がりをみせた。その米映画界アカデミー賞でのセクハラ被害の訴えは、ついにノーベル文学賞を選考するスウェーデン・アカデミーにまで波及することになる。
 
 (2)ノーベル文学賞選考委員(夫人)の夫(写真家)にセクハラ疑惑とノーベル文学賞選考に関する情報漏えい疑惑が浮上して、スウェーデン・アカデミーは今年10月のノーベル文学賞発表を見送る(報道)ことにした。

 その間に日本でも財務省事務次官による女性記者に対するセクハラ報道で辞任するということがあったばかりで、米国トランプ大統領にも顧問弁護士が同様の疑惑女優に対して火消しのために口止め料を支払ったことを認める報道があり、広く政治、社会のエグゼクティブ社会(executive society)に規範、模範(paradigm)の欠如がまん延している不条理(unreasonableness)世界だ。

 (3)ノーベル文学賞はこれまで中国の反体制作家を選び一党独裁、人権抑圧政策の中国政治に対するアンチテーゼ(anti thesis)を表明したり、16年には歌手のボブ・ディランさんをノーベル文学賞に選ぶなどあたらしい価値観で文学を評価してきた。

 今回のノーベル文学賞にかかわるセクハラ、情報漏えい疑惑は直接選考委員の問題ではなくその夫への疑惑であるが、この問題で選考委員(終身制)の内部対立(報道)が鮮明になって「(セクハラや情報漏えいを巡り)次の授賞者を選考する前に、信頼を回復する必要がある」(同)として今年の文学賞の発表を見送るとした。

 (4)アカデミー(米映画界)から出たセクハラ問題がアカデミー(ノーベル財団)にまで及んでの哲学、学士、学派、文芸(academy)を背徳に席捲する堕落(decadence)世界だ。

 アカデミーが権威主義に陥(おちい)って機能しない特権意識のおごりが露呈しているもので、理性、良識を失った堕落でしかない。

 (5)ノーベル賞自体はいちスウェーデン・アカデミーの事業であり、それ自体が国際的権威を「持つ」ものではなく、そこで評価され、選ばれる研究、業績、事業、成果がすばらしく、世界人類の発展、成長のために大きく寄与、貢献する(あるいは、した)ことにより権威(authority)を「与えられる」ものであることを自覚することだ。

 権威は「持つ」ものではなく、「与えられる」ものである。

 (6)米映画界アカデミー賞も同様だ。トランプ大統領を支持した白人マイノリティ層はエグゼクティブ社会に対する反発が強いといわれて米映画界、有名女優に対しても批判的だ。

 それはそれで時代の良識を反映したものではあるが、その層に支持されたトランプ大統領にその自覚がみられないことが悲劇だ。

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