いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

家族(力)のイン・バランス  domestic imbalance

2009-10-13 19:56:33 | 日記
 日本の社会保障基盤の未成熟から、子育てに負担のかかる若い家庭が多い社会情
況だと言われる。
 希望する生活を維持するためには、共稼ぎが不可欠だという訳で、しかし、そういう家
庭の子どもを預ける保育所も不足して、その需要に応えられずに、無認可の保育施設も
必要悪(施設環境の不備)として、見逃されているかのようだ。

 民主党政権では、マニフェストで「保育所の待機児童の解消」を掲げて、国が一律規制
していた認可保育所の設置基準を緩和して、地方自治体が保育所設置基準を実情に合
わせて決められる、あらたな指針を示した。子育て支援の給付制度も実施する意向だ。

 少子化、子育て支援の改善に向けた社会環境の整備、援助が「外的要因」からク
ローズ・アップされた。
 一方、家庭環境の「内的要因」は、どのように整備、アジャスト(adjust)されて本質的
な本来の親子のつながり、愛情、ゆとりある子育てを推進することができるのかだ。

 「家庭人」というジャンル(genre)が、消えていく。

 親子の関係が、社会的要因で変化してきていると言われる。子どもにとってふさ
わしい環境の中で、相互信頼、愛情(ともにネイティヴで本能的なクオリティ)の
関係を果たせる、家庭環境を築く「家族力(domestic balance)」はあるのか。

 社会、社会環境は、もとより、親、大人だけの都合のいい論理で、効率よく、効
果的に機能するものでない。大人の子育てをツール(tool)とした狭い(narrow)
自己的論理が、反動して、パラドックス(paradox:逆説)に子どもの反乱、親子関係
崩壊という事態(一般論としての象徴)を招いている。

 親の社会に比重を置いた自己都合、一方通行の論理で、スタンスで、子育てを利
益追求型欲求(desire)のツールとしていないのか。
 親を、社会的な被害者意識に駆り立てている、偏重スタンスだ。

 親の子育て、家庭教育に、直接、機関として関与することは、基本的人権の擁護
から、ありえない。
 いっそう、家庭人として、社会現象としての子どもの社会性不適応について、直視
して、家庭人としての使命、「家族力」を持つべきだ。

 生活願望に見合った収入には限度もある安定不況の時代、収入に見合った生活へ
のリ・プレースメント(replacement:切り替え)で、皮膚感覚(skin-ship)の、通(かよ)
った親子関係を守ることも、長いスパン(span)で見れば、人間価値という財産も生まれ
る。

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