いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

表層と深層の不連続時代。 discontinuity era

2010-12-30 19:32:05 | 日記
 (1)政治がそうだからなのか、社会がそうだから政治もそうなったのか、政治も社会もひ
ょっとしたら文化も「うわべ」だけの表層心理の「装い」だけが注目されて、深層心理への
関心、検証がすっかり薄れて本質論がなおざりにされてきた1年であった。
 本質論から取り組まないから、いつまで行っても問題の解決にはつながらずに時間だけ
が浪費されて、政治にも社会にも閉そく感だけが残る。

 (2)民主党元幹事長の「政治とカネ」の問題は、世論調査のたびに80%の国民が説明責
任を求め、復帰を望まないとする中、1年の党内抗争のあげくようやく年末になって元幹事
長が政倫審への弁明出席を表明した。

 元幹事長に今は理解を示す前首相は「政権交代の立役者を国会に差しだすような非礼
は許されない」と弁護する。しかし、前首相も「政治とカネ」、普天間基地移設先発言で辞
任する際には、元幹事長の政治責任にも触れて共同責任をとる形で同時辞任を求めて実
行した経緯があった。もともと自分の発言には責任を持たない前首相ではあるが、あまり
の変化、無節操、無責任には驚くばかりだ。

 本格的な政権交代が、自民党前政権の政治手法の限界を国民に審判された歴史的な
行きつく結果であった。元幹事長の政治手法、選挙対策がどんなものであったのかそのも
のが、当人がかかわる政治資金収支報告への疑念、不信で問われている中での「政権交
代の立役者」発言には、政治家の理念が欠落している。
 仮に「政権交代の立役者」が表層心理(surface layer)であっても、その深層心理(deep
layer)としての「政治手法」の正当性が問われているのが本質論だ。

 (3)郵便料金不正事件では、大阪地検特捜が果実至上主義に身を落してあってはならな
い事件を「ねつ造」していて、逮捕された厚労省元局長が無罪となった。無罪を勝ち取った
当人の満面の笑みは当然だが、事件の発生に適正なチェック機能を職責上果たさなかっ
た元局長の深層責任、説明、検証は十分だったのか。
 検察の腐敗報道はもちろんだが、メディアが当人の職場復帰ばかりをクローズアップして
の表層報道の姿勢には違和感が残った。

 (4)国会での大臣の常軌をはずれた非常識で見栄見えの発言も、表層心理の装いに終
始した結果だ。官房長官からは、外交の深層事実の不手際を隠すだけの身勝手な表層装
い発言が続いた。今では、官房長官がいくら政府の意図として指示したものではないとか
打ち消し発言しても、誰もがそうとは受け取らない「空気」が政治、国会には充満している。
 パラドックス(paradox)として官房長官自らの発言が表層なだれを打って政治の正当性、
信用性を破壊し加速させていく。

 政治家、検察の言葉が信用できなくなって、社会のパラダイム(paradigm)が崩れている。
国民にとってはすべて不利益だった訳でもないが、内外の政府が隠していた情報が不適切
な方法で広くネット流出した。
 知る権利の国民に機密などと隠し事など本来あってはならないのが、深層心理だ。

 (5)有名歌舞伎俳優の傷害事件も、歌舞伎俳優側には過失は一切ないとの会見説明のあ
げくに、裏では表層を装う示談を成立させて深層事実は闇のなかだ。過失が一切ないので
あれば、裁判で相手側の賠償責任を問うのは社会のパラダイムから当然のはずだ。

 わざわざ会見まで開いて、相手側の社会復帰を望むとか温情まで見せての理解不能の
理由を述べて、表層心理を装っただけの芝居だ。社会のパラダイムが崩れている。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 私的な財津和夫論。(6) pr... | トップ | ダイナミックな2011年。 ... »

日記」カテゴリの最新記事