ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

黄金のアデーレ/名画の帰還

2016-10-01 20:36:47 | 映画
久しぶりにツタヤでDVDを借りました。
「黄金のアデーレ/名画の帰還」
 サイモン・カーティス監督作品。2015年。
これもナチス関係の映画です。

クリムトの「黄金のアデーレ」は、オーストリアのモナリザと呼ばれていた名画で、戦後長い間ベルベデーレ美術館が所蔵していました。
しかし、この名画は第二次大戦中、ナチスによりウィーンのユダヤ人の家族から奪われたものだったのです。
絵のモデルは、映画の主人公マリア・アルトマン(ヘレン・ミレン)の伯母アデーレ。
マリア(当時82歳)は、亡くなった姉の意思を継いで、この絵をオーストリアの美術館から取り戻すべく、若い弁護士シェーンベルクに持ちかけます。
シェーンベルクもまたオーストリアのユダヤ人の家系で、作曲家シェーンベルクの孫。
彼は当初、100億円という途方もない名画の値段に目が眩んで引き受けますが、マリアと共にオーストリアに行き、ナチスドイツの残虐な歴史の数々を目の当たりにするにつれ、名画奪還にのめり込むようになります。勤めを辞め、借金をしてまでマリアの味方になり、名画を取り戻すべく、オーストリア政府との訴訟のために奔走するのです。

二度とオーストリアの地を踏みたくないと思っていたマリアも、いざ行ってみると昔の思い出が奔流のようにわきだし、いかに大事なものをナチスに奪われたかと、痛切な想いにかられます。
(マリアの記憶シーンが随所に挿入され、名画奪還劇と同時進行で語られます)
普通の市民たちが旗を振りながらナチスを歓迎し、ユダヤ人の迫害を笑いながら見ているというシーンの数々。オーストリアはナチスに蹂躙されたのではなく、進んでナチスを歓迎したのでした。

結婚まもない若いマリアは夫と共に命からがらウィーンを脱出します。この脱出劇は「サウンド・オブ・ミュージック」やヒッチコックの映画等でおなじみの、極めて緊迫感に満ちた危険なものでした。マリアたちはかろうじてアメリカに逃れますが、ウィーンに残してきた家族、友人、知人たちはナチスドイツの犠牲となります。

そして、紆余曲折、あれこれいろいろあった末、最終的に、マリアは訴訟に勝ち、伯父の遺言通り、「黄金のアデーレ」は彼女のもとに返されます。
オーストリアの美術館からアメリカに住む彼女のもとへ。

実話の重みもあり面白かったのですが、見終えてしばらくして、私はこう思いました。

「所有」って何だろうか・・

ナチスは芸術作品を悉くユダヤ人から奪って自分の所有物とし、戦後はオーストリアの美術館がこの絵を所蔵しました。
マリアは本来自分が所有すべき名画を奪還すべく、オーストリア政府を訴えて裁判に勝ちます。
名画はマリアの伯父からナチスへ、そしてオーストリアへ、再びマリア(本来の所有者)の元へと戻ってきたわけです。

けれども、
裁判に勝ったあとで、マリアはむせび泣くのです。
なぜなら、絵は奪い返すことができたけれど、家族は二度と戻ってきません。
両親をウィーンに残したまま、アメリカに逃げのびたことをマリアは悔やむのでした。

どんな名画であれ、どんな芸術作品であれ、所詮は「物」。家族や友人の代わりにはなりません。

とはいえ、それがNYのギャラリーに買い取られたときの値段が
1億3500万ドルだった、というのを見て仰天しました。
マリアはそれを慈善事業等に寄付したとあります。
(最後のテロップに流れます)
もちろん、マリアはお金のために絵を奪還したのではありません。
ナチスに失われた人生を、かろうじてその一部でも、取り戻すべく奮闘したのですが、その結果得たのは、1億3500万ドルという途方もない金額でした。

どんなに高価なものであれ、どれほどの名画であれ、それは所詮モノに過ぎない。
モノを所有することはできても、生きている人間の代わりにはならない、というのはあまりにありふれた言葉ではありますが、
それにしても、そんな名画を所有していたマリアの家族って、すんごいお金持ちだったのね、
というあたりで、ちょっと白けた私がいました。

そんなもんを「所有」するって、また「奪還」するって、どうよ。
と思ったことでした。
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