その3.命を考えさせる猫
テンよ、お前がこだわり、そして貫き通したもの
保護したつもりがいつの間にか欠かせない存在になっていた
お前を失って嫌というほど考えた今ならわかる
お前が貫いたのは猫としてのプライド、そして対等の付き合いだったんだ
守り神になったテンちゃんの分身(分骨)は、店の所々に置いてある
腎不全で尿毒が身体中に回ると、気持ちが悪くて食べるどころじゃなくなる
テンちゃんは尿毒(BUN)の値も振り切れるほど高かった
少しでも楽にするには輸液しかない
わが家でのテンちゃんの療養は、輸液生活へと変貌した
わが家に来ても日光浴は大好き(奥にみう)
山ほど読んだ猫の慢性腎不全の記述の中に
末期と診断されてからの平均余命は200日というのがあった
胸が詰まった テンちゃんはこの夏を越えられないと言うのか
しかしそれから、テンちゃんとの二人三脚で奇跡への挑戦が始まった
当時尿管結石と急性腎不全に苦しんでいたニャーはその後回復した
一方わが家に来たテンちゃんは元気を取り戻したようだった
かつて相手猫に奇襲攻撃をかけた時の忍び速足が復活
1階2階、部屋から部屋へと早い早い、それはまるで瞬間移動だ
テンちゃんに突然近寄られた他の猫たちが慌てるほどだった
ちび太との9ヶ月ぶりの再会はよそよそしく
でも、テンちゃんが他の連中に手を出すことは一切なかった
近くにいても意にも介さず、興味すら示さない
テンちゃんの持つ威厳と威圧感は畏れられたけど
あのゴジラ顔と怪獣声には、周囲がいつの間にか慣れていた
新しい仲間たちにはすぐに溶け込んだ
8匹目のネコとしてわが家に加わったテンちゃん
この家での生活はまあまあだったようだ
何より、2年に及んだ狭い事務所でのお泊りとリード付の生活から解放された
でも自然への未練は残ったらしく、ボーッと外を眺めることも多かった
リビングから外を眺める
テンちゃんには、こなさなければならないノルマがあった
1回150ccから200ccの皮下輸液
理想は毎日、でも夫婦が病院に付き合えるのは週に2,3日が限界だった
しかし3日も空けると、テンちゃんが目に見えて動かなくなる
キャリーケースに押し込められるのが嫌で、当初は旅行バッグで通院した
テツやニャーと違い、頑として強制給餌を受け付けなかったテンちゃん
食べるためには具合が良くなってもらうしかない
夫婦は、自宅輸液の決断をした
そしてテンちゃんとの輸液攻防が始まった
穏やかな生活とやさしい保護者を信じていたが・・
唸り声をあげて拒否するテンちゃんが暴れ出せば、猫も人間も大出血だ
保護者の緊張やためらいが伝わってますます意識過剰になる
それでも5回に1回、3回に1回と受け入れられるようになって
2ヶ月後には毎朝の輸液が可能になった
輸液を待つテンちゃん
その後も最低週1回の通院は続けた
テンちゃんの状態チェックの他に、もうひとつの理由があった
病院がお店のすぐそばなので病院帰りにお店に寄れる
"通いの看板猫"は、お店の人たちにもテンちゃん自身にも好評だった
戻って来た看板猫に多くのお客さんが喜んだ
テンちゃんは通いとなった店で、かつて知ったる自然を満喫
やがて自分の後継者になるレオとも仲良くなれた
しかし6月に入ると、テンちゃんの容態が再び悪化
輸液を拒否し、食欲もなくなり、手の施しようがなくなった
テンちゃんの後継者、レオ(左)の旧名は「テンチビ」だ
まるで骨と皮だけになったテンちゃんには、輸液の針もきつかったに違いない
テンちゃんは尊厳死(自然死)を望んだのだろうか
先生は言う、「無理やり輸液を続けても、猫にとって幸せなのかどうか」
命を、そして幸せの持つ意味を考えた
外の自然に触れれば思わず気張る (久々の裏駐車場にて)
テンちゃんはその2週間後に逝きました
そのとき書いた「テンちゃんFOREVER]という記事の結び
・・幸せの指数とは、どのくらい周囲からの愛情を感じているかだ・・
少なくともテンちゃん最後の2年半は、この上なく幸せだったと今も確信できるのです
テンちゃんが最も好んだ場所は、スタッフの往来を見渡せる場所だった
テンちゃんが逝く1週間ほど前
衰弱状態で保護された生後2ヶ月足らずの幼猫、チキンがやって来た
動けなくなったテンちゃんに何故かいつも寄り添ったチキン
テンちゃんは、チキンに命のバトンを渡したのだと思います
テンちゃんから命のバトンを受け継いだチキン
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