今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

ノラたちとの共存を目指して その3・エサやり問題続編「裁判事例の検証・他」

2017年08月31日 | シリーズ:ノラたちとの共存を目指して
尽きない議論
これまで何度も繰り返されてきた野良猫へのエサやり議論。今でもGoogleやYahooで「野良猫x餌やり」検索すると、85万件以上もヒットするほど盛んに議論されています。関連投稿サイトなどへの書き込みも加えると、途方もない数の"意見"が展開されているのです。この議論は勝ち負けではなく合意形成のみがゴールとなり得るのですが、それがなかなか難しい。

何事(物)に対しても絶対に嫌(生理的に受け付けない)という人はいるので、100%合意というのは初めから無理だし、結局、妥協点を探っていくしかないのです。85万件のネット意見をすべて読むことはできないが、全体としては、エサやり反対のエキセントリックな意見が目立ち(いわゆる「動物愛誤」の輩)、冷静で客観的な意見でも、(無闇な)エサやりには反対しているものが多いようだ。ただし、同じ人の書き込みが繰り返されているので、実態を把握するのは難しい。

自分もソトチビやダイフクにエサを与えていますが、反対論には納得できることも多い。例えば「自己満足」という指摘。身の周りのノラにだけエサやってもどうにもならないのに、それでも彼らには幸せになってほしいと願っている。 一方ノラがいる限りどこかでフンとかするわけで、集まらずに分散していればいいのかな、と思ったりもします。

大方のアンケートでニャン好きが4割を超え、「気にならない」まで含めると6~8割にもなるのに、野良猫エサやりに関しては逆に6~8割が「やらない方がいい。」 この結果はネットなどの情報に影響されるところが大きいが、なぜ影響されるのかと言うと、他人に迷惑をかけてはいけないという常識があるからです。(※引用したアンケート調査は東京都、神奈川県、千葉県、石川県、環境省、niftyニュース)

しかし、ノラの存在自体が迷惑と言うのなら、この世から消し去らなくてはならない。一方動物愛護法によれば、弱っているノラにはエサをあげなければいけません。この法律は、対象動物(野良猫も含まれる)は救わなければならないが、それによって人間社会がより豊かになることを前提としているのです。

以前にも少し書きましたが(「頑張れ、ノラを守る法律たち」)、この動物愛護法のわかりにくさがこれだけの議論を起こしているのかもしれません。そこで今回は、司法はどう判断したのか、ということを追求してみました。

尚、本記事は、本シリーズ「その1」「その2」をはじめ「エサやりおばさん」「ノラたちの幸せを願って」「ノラたちを守る道づくり」「雑感:エサをやるなは殺せと同じ」など、エサやり問題に関する自分の過去記事の内容を検証する目的も兼ねています。

      
                   ソトチビ(左)とダイフク
   (食べ物をくれる)いい人に出会うことが、ノラにとっては死活問題なのです

共通の目的、そして共通の敵
この3ヶ月間は毎夜毎夜、関連する本や意見を読みまくっていました。特に反対論に重点を置いて読みましたが、まあ相手を罵倒するだけが目的の救われない書き込みも実に多く、それこそこっちが救われない思いもしましたが、でも読めば読むほど、強く湧いてくるものがありました。 ニャンボラさんもエサやり反対派も客観論の第三者も含めて、ノラの数を減らしたいという思いはみな同じじゃないかということです。

アンケートでエサやりをいけないと答えるもうひとつの理由として、「エサを与えるとノラの数が増える(元気になって繁殖力が増す)」というのがあります。実際、猫の出産能力を基にして野良猫の繁殖力を論じたサイトはネット上にも多い。しかしノラの場合は1才生存率が10%そこそこしかなく、その後の生存率も高くない。しかも、エサやりと繁殖頻度との因果関係は諸説あれど、まだ何も明らかにされてないのが実情です。

むしろ目の前の問題は、本シリーズその2で推計したように捨て猫や迷い猫の数が想像以上に多いことだ。あのエサやり議論のエネルギーを、捨て猫迷い猫の防止や営利目的含む繁殖の抑制強化に向けることができたらと思う所以です。

               
   テンちゃん:長い夜は狭い事務所でひとり、昼間はリード付きの生活です
          でも安心安全と、長生きのキップを手に入れました

野良猫エサやり関連裁判の判例
裁判の判例に関する記事もネット上に溢れていて、先の85万件の中でも最も多い。確かに比較的客観的に紹介しているサイトもあるけど(特に弁護士さん)、殆どがその紹介の仕方に色がついていて、明らかに歪めているものも少なくありません。そこで、法律文章を読むのは大変なことではありますが、興味のある方は以下に掲載する原文を読むことをお勧めします。

ノラへのエサやりが関係した裁判で結審した例は意外と少ない。お店の弁護士さんに聞くと「そりゃ当然だ」とのこと。ただしそれは、このような係争が少ないことを意味するのではなく、裁判で決着するまで争うというケースが少ないと考えるべきとのこと。

まず第一に、裁判途中や裁判に入る前に和解すれば記録に残らない。裁判となれば弁護士費用や手間ひまが馬鹿にならないから、よほど腹に据えかねたとかじゃない限り結審までは行かないのが普通だと。 要は人間関係が悪かったのも原因のひとつで、うーん、ノラたちはやっぱりここでも被害者なのかもしれないな。

判決文は裁判所がHPなどで公開しています。ここではネット上の議題はほぼこの3件に集約されている、と言っても過言でない3つの裁判事例について、その判決文(原文のまま)を紹介します。

いずれも、長年のエサやりによって集まった野良猫による近隣(原告)の被害(主に糞害)が認められ、慰謝料等含む損害賠償金の支払いを命じられた裁判例です。

神戸地裁野良猫餌やり裁判判決
(平成15年6月、40万円の餌やり被害を認定。他に営業妨害などで150万円)

東京地裁立川支部野良猫餌やり裁判判決
(平成22年5月、204万円の餌やり被害を認定、規約違反として餌やり差し止め命令)

福岡地裁野良猫餌やり裁判判決
(平成27年9月、55万円の餌やり被害を認定)

なるべく客観的に努めた要約;
1.根拠となる法律は民法
  ①裁判になる前に、原告からの再三の申し出を無視した。
  ②自分の行為で隣人が迷惑していることを知り得たのに対応しなかった。
  ③自分の行為(餌やり)と隣人の迷惑との因果関係が立証された。
  ④損害賠償および慰謝料請求の一部が認められた。
2.エサやり自体を否定していない
  ※差し止め命令のある判決は、その場所がペット不可の集合住宅だったから
3.動物愛護法の精神を尊重
  ①被告のノラを可愛そうだと思う気持ちは尊重されるべき(福岡地裁判決4-2-1)
  ②被保護猫への給餌をみだりに中止すると50万以下の罰金(東京地裁判決32頁)
  ③地域猫活動の確認と認定(東京地裁判決28~32頁)

自分の感想を言わせて頂くと、こんなことで急にエサやりを止められたノラたちはどうなっちゃったのか、そっちの方が気がかりなんですけどね。(50万以下の罰金)

エサやり関連判決の根拠となる法律(条令)
動物愛護法の他にも、エサやりに関して地域単位で議決、制定したところがあります。また、マンションオーナーが規約として制定し、これに同意して入居した場合はその規約が法的に有効とされ、居住者は従わなければなりません。(ペット飼育不可など)

ここでは、やはりネット上でよく議論される3つの条例について原文を紹介します。
京都市動物との共生に向けたマナー等関する条例
和歌山県動物の愛護及び管理に関する条例(改正前)
和歌山県動物の愛護及び管理に関する条例(改正要旨)
荒川区良好な生活環境の確保に関する条例

総じて動物愛護法と同様で、"みだりに"野良猫に餌を与えることを禁止しています。和歌山県では改正されて継続しないエサやりがOKになり、本年4月より施行されています。一方北海道北斗市のように、条例では「野良猫にはみだりに餌を与えてはならない」としながら、HPでは完全禁止を明記している自治体もあります。(これは法律違反)

いずれにしても、要は他人に迷惑をかけてはいけないという、エサやりに限ったことではない一般常識の話だ。しかし、不謹慎な言い方かもしれないけどセクハラ問題と似ていて、人によってあるいは人間関係によって許容限度が異なったりするのかもしれない。

先に述べたように、エサやりがいなくてもノラはいるのだから、庭にフンがあったりネズミや鳥の死骸があったりなんてこともあるだろうし、だからと言って隣人に文句を言う人はいない。結局、どこまでが許容限度なのかは迷惑と感じる側が決めることなのです。

               
                    ニャー(上)とみう
   数奇な運命を辿ってきた2匹はオジンの家で合流し、共同生活を始めました

組織化すべきエサやり
お腹を空かしたノラにエサをやることは善行です。まさに人間愛に溢れた行為だし、お子さんの情操教育にも格好のテーマです。人目をはばかることなく堂々とやりましょう。だけど、街を汚してはいけません。そのために誰かが困っていると知ったら、真摯に対応して解決策を協議しよう。隠れてこっそりやるなんて、自分だけでなく他の善意のエサやりさんや、ノラたち自身の立場まで悪くするだけです。

とは言え、ここまでエサやり反対の雰囲気が広がってしまうと、個人で突き進むのはなかなか勇気が要るのも事実。だから、横の繋がりをもっと大事にしよう。三人寄れば文殊の知恵。エサやりさんたちが互いに連携することで諸問題の解決も見つけやすくなるし、暴走するエサやりさんを防ぐこともできるのです。

最後に、エサやりさんにとって心強い情報をひとつ。
東京都、石川県や神奈川県のアンケート調査には「ノラを見たらエサを与えるか」という設問がありました。その結果は東京6%、石川4~9%(市による)、神奈川4%(世話まで含む)で、他は無関心か反対系の意見。この数字、圧倒されているようで実はなかなかのものなんです。

人口密度にもよるけど、普通の住宅地なら自分の地域には200~2000人くらいの人が暮らしているので、6%としても12~120人くらいのエサやりさんがいることになるのです。しかもニャン好き派の"予備軍"も結構多いことを考えれば、品行方正にしてイメージアップを図れば仲間がどんどん増えること請け合いです。

我々が戦うべきは、あくまでも前述した共通の敵。 道草を食ってる時間はありません。

<訂正>
その1で千葉県の野良猫数34万匹と報告し、その2で多すぎるかと疑問を投げかけましたが、その後見つかった同県の調査では野良猫数17万匹でした。(それでも東京都の8万匹と較べれば随分多い。)


「ノラたちとの共存を目指して」:予告編(期日未定)
その1 資料編「現状と動向調査」(追記:餌やり、地域猫問題)2017.2.27
その2 現場編「ノラを守るのに理由は要らない」(報道されたボラさんたち)2017.5.31
その3 エサやり問題・続編「裁判事例の検証・他」(司法が肯定したもの、否定したもの)
その4 一服編「ノラだからこそ・・かわいい!」(ニャー&みうとテンちゃんの日常)
その5 闘魂編「許さない、虐待に不法投棄に暗闇ビジネス」
その6 原点回帰編「再確認・人間性とは?」(食肉、動物駆除と保護活動)
その7 形而上学編「ノラの幸せとは」(シャッポやソトチビの行動に想う)
その8 地域猫問題・続編「殺処分ゼロに向けて」(目的達成のために必要なこと)

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ニャン好き恋愛論

2017年08月22日 | ノラたちの幸せを願って
恋愛論?
人間、異性を好きになるとその人が気になって気になって、いつもその人が自分のそばにいてほしくなる。これは独占欲ですね。(Aタイプ)  一方、その人が楽しそうで満ち足りた様子でいてほしいと願うのは、その人に対する敬意です。(Bタイプ)

どっちもその人を大事に思う気持ちに変わりはないけど、好きという気持ちの大部分は独占欲だと言われています。確かに、その人が恋敵と楽しそうにしていたらいい気持ちはしないよね。

でもだからと言って、その人を本当に独占するなんてことはできません。相手が基本的人権を有する人間だからです。相思相愛でもない限り、ひたすらせつなくつらいだけ。いや、Bタイプの愛なら話は別かな・・。 あっ、このトシで恋愛論だなんて、大変失礼致しました。

              
            「おれも若い頃はモテたんだぞ」(テンちゃん)

でも相手が人間じゃない場合、つまりニャンコの保護者さんたちはどうだろう。
実は気になっていることがありまして、投稿サイトで「猫は室内で飼うもの」という紋切り口調の意見がよく見られるんです。殆どの育猫マニュアル本も、公的機関や猫ボラさんたちもそう教えているので無理もない。その理由は事故や病気に巻き込まれたり、他人に迷惑がかかるから。うん、ごもっともなことです。

自分はここで室内飼いに反対するつもりも、外飼いを奨励するつもりもないです。ちょっと観点が違っていまして、ニャンコの保護者(飼い主)には前述のAタイプとBタイプがいるということです。

Aタイプの人は自分の気持ちを優先します。そして、
猫を飼う=ペットを飼う
ペット(愛玩動物)=自分だけの宝物

もちろん、意識してそう思っている保護者はいません。
でも愛猫にはいつもそばにいてほしいし、猫種や見栄えも気になるし、猫の生態はマニュアル本で学習できるし、自分だけの○○ちゃん、何しろ法律上は器物だし・・。

安全第一なら、家から出さなければ間違いない。お出かけのときは、いたずらしないようケージに入れておく。朝から夜まで一日中ケージの中。それでもニャンコは文句を言わない。たかがペットの身分だから。飼い主様に合わせるしかないんです。

でも、以前に「自然に抱かれて」で書いたように、ニャンコはもともと自然の申し子。彼らが心底猫らしくしている姿にこそ、我々人間は癒される。だから、彼らが何をしたいのか、何をしてほしいのかを考よう。知能に勝る人間であれば、ここはひとつBタイプに徹して、愛するニャンコに敬意を示そうじゃないですか。そうです、パラダイムを変えるのです。

              
           「いつになったら外に出れるのかニャン」(みう)

自分はAタイプを否定はしません。いや否定とか肯定とかじゃなくて、そういう保護者さんが多いのが現実なんです。ニャンコへの思い入れはむしろBタイプよりも強く、お金も使うし、愛猫の具合が悪そうだからと夜中に起きて遠くの病院に連れて行く。

でも、Bタイプにならない限り、それは本当の愛情とは言えないんです。Aタイプの保護者は今はまさかと思っても、都合が変わったとか飽きたとかそんな理由で、ニャンコを平気でXX(許されないこと)しちゃうことがある。もちろん終生大切にする保護者もたくさんいるけど・・。

人間社会に生きるニャンコは基本的権利(猫権?)を持っていません。だからこそBタイプのような無償の、そして社会通念に束縛も制限もされない、真の愛情にすがって生きるしかないのです。

              
                「ここが終の棲家です」(ニャー)

追伸)
小生遅い盆休みを頂くことになりまして、本ブログも一週間ほどお休みする予定です。もちろんニャンコたちのお世話は続けますが。


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だみ声は子ライオンだぜテンちゃん

2017年08月20日 | (故)テン
何と、今日も朝からテンちゃんと記念撮影するお客さんが2組も。
ますます人気上昇中のテンちゃんです。

              
        今日もお店のどこかで、テンちゃんが過ごしています

自分の知り合いで、このブログを熱心に見てくれている人がいます。思い込みに満ちた駄文をよくも飽きもせずに・・、ありがたいことです。(実はこのブログの存在は店のスタッフには内緒なんです。) その知人も大のニャンコ好きで、そう遠くないところに住んでいるのですが、ここ数年は店に来たことがありません。

その知人から珍しく指摘がありまして、前回テンちゃんの記事で「いつもギャオしか鳴かない」ってそりゃないだろと。 どんなニャンコでもその鳴き方は表現豊か、単調にギャオだけだなんて、その程度の聞き方しかしてないのか、というわけです。

              
         いまだにシャッポの箱でお昼寝するテンちゃん

いやはや、またしても自分の書き方の虚をつかれました。実はニャンコにそれほど思い入れのない人には単調に聞こえるだろう、という思い込みで書いてしまった。もちろんテンちゃんだって実際には、鳴き方どころかその表情も行動も含めて全身で自分の意志を伝えてきます。ただ、声の変化が少ないだけ。

              
           鳴かなくてもわかる「外に出たい」ポーズ

これまでテンちゃんは「怪獣声」と書いてきました。よく考えてみたら、怪獣と言ってもいろんなのがいるんですよね。で、このたびテンちゃんの名誉のために、何の声に近いのかスタッフ一同考えまして、出た結論が子ライオンです。そういえば自分も生まれて3ヶ月ほどのライオンに会ったことがありますが、似てる似てる、テンちゃんの声と。

              
           ダイフクの食事場近辺は特に気になって・・
                (見張りを兼ねて陣取り)

メインの保護者であるこのオジンには、テンちゃんも何かと要求してきます。まあ、オジンを見つければ「(何か)してくれー」とわめいてるようなもんです。テンちゃんが要求してくるのはだいたい5種類で、①腹減った(喉渇いた) ②外に出たい ③あっちに行きたい ④遊んでほしい ⑤甘えたい。

①④⑤はこっちに擦り寄ってきて人の顔を見ながら鳴きます。②③は鳴きながら自分のしたい方向を行動で表現します。①②③④は普通の鳴き方、⑤のときは目もしばしばで頭もぐりぐり、一段とハスキーになって、殆ど無声音になったりします。

鳴き方としては「ギャオ」「ギャーオ」「ギュア」「ギッ」などなど。凶暴モードのときは「ギャオオオ」。(表現力に乏しくてスミマセン。) 気持ちが強くなると声も強く、少し高くなります。

              
          見晴らしのいいスタッフルームにもだいぶ慣れて

オジンに対して以外はどうか。散歩中も見回り中もよく鳴きますが、だいたい普通の鳴き方。外猫の臭いが強いと「ゥゥゥ」と小さく唸って、凶暴モードに突入することも。以前にモドキを追いかけて正門前に追い詰めたときは「ワオオオオン」と高い声で威嚇したとか。

全体に声が低く小さいので、耳障りな感じはない。このタイプの声は、実はかつてわが家にいたくもがそうでした。ニャーもだみ声(怪獣声)ではないけど、結構ハスキーな声です。

              
                
            スタッフ帰宅の後も見回りに余念がない

いろいろ書いてきましたが、やっぱりテンちゃんの場合は結局、鳴き方にそれほど差がないんです。でも一緒に暮らしていれば以心伝心、離れてるときだって「あいつは今頃こう思っているに違いない」って思えるようになる。かつてのテツがそうだったように。

              
       散歩の範囲も徐々に広がって、SC裏のフェンス際にて
          (奥の丘陵はチビ救出の舞台になったところ)


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不公平だい!

2017年08月18日 | ニャー
              ニャーです。
              ぼちぼちやってます。
              まずはこの顔見てください。
            

みうにやられました。
オジンは傷が小さいから問題ないなんて言ってたけど、
猫の鼻はとってもデリケートな場所なんです。
この写真のあと、傷のところが膨らんで鼻より高くなった。
そしたら急に大慌てのオジン。
何やってんだか。

だいたい、ニャーは見てただけなのにみうが一方的に手を出したんだ。
なのにオジンは、ニャーに向かって「コラコラ」だって。
オバンが「ニャーばっかり怒られてかわいそう」って言ってるのに。

              
       ニャーは思わず手がでそうになっても、思いとどまってます

オジンの仲裁はニャーを止めてばかり。
みうは好き勝手やってるのに、ニャーばかりオジンに気を遣ってます。
それに、みうを追ったときもオジンは注意したりしなかったり、
みうが怯えてないときはいいみたいだけど、よくわかんないんだよね。

あーあ、昔はよかったニャー。
家の中では何しても怒られなかったし、好きなときに好きなことできたし。
オジンにもオバンにも甘え放題だったし。

              
                相変わらず箱寝は大好き
                (でもこれはちょっと小さい)

周りの人たちはみな、「ニャーは頭のいい子だね」って言ってくれます。
でも、だからって何でもできるわけじゃない。
頭がいいから、聞き分けもいいし我慢もできるみたいな、そんなの誤解なんだよね。
そう、一番誤解しているのがオジンなんです。

              
            みうがいると居場所に困っちゃいます
                ("触らぬ神に祟りなし"で)

ついでに言いたいこと言っちゃうと、
「ニャー」っていう名前、何だか適当な感じだよね?
この間オバンの話を聞いてたら、
最初は仮の呼び方だったけど、いつの間にか定着しちゃったとか。
あーあ、やっぱりね。
とか言いつつ、呼ばれるとついうれしくて駆け寄っちゃうんだけど。

みうのこと以外は前と何も変わりません。
出たいと言えばいつでもリードで庭に出してくれるし。(みうはまだ)
生活パターンもできて、夜はオジンのところで寝ています。
自分の生活が安泰だとお客さん(孫たち)が来ても動じません。
(みうの慌てぶりはすごかったけどね。)

              
           最近のお気に入りの場所でいつものポーズ
         「見晴らしがいいし、向こう側に落ちても安全です」

みうの方からニャーの邪魔してくることはないので、
気にならないときはみうの横でも例の逆さ寝爆睡してます。
みうが「何あれ」って顔してんの横目で見ながら。

やっぱりニャーは、オジンの言うとおり天真爛漫なのかもしれないニャ。
自分で言うのもなんだけど。

      では、最後に得意の逆さ寝お気楽ポーズで、「まったね~」
              

              

              
              (薄目と半目でちゃんと見てるぜよ)


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みうの試練(ちょっと大袈裟)

2017年08月16日 | (故)みう(おかあさん)
ノラ生活から家猫に迎えられたニャンコには、避けられない試練が待っています。
自由が制限され、それまで暮らしていた世界(自然)が遠くなる。安全安心を得たことをニャンコは理解しないし、その代償として失ったものの方が問題なのだ。さらに家の中での生活には、その家のしきたりに合わせるという難題が待ち受けているのです。

みうにとっても、わが家に合流して一緒に暮らすとなれば、やはり乗り越えなければならないことがいくつもあった。まあこういった問題はやがて時が解決するのですが、今のみうにとっては大変なことなんだな。

早く解決する(慣れる)秘訣は保護者との信頼関係の構築だ。でもみうの場合は、進展はあるもののまだいまひとつ。ただ、ベッド下という安住の地を見つけたことがかなり救いになっていて、それをベースに徐々にこの家の生活パターンに慣れ始めてきたようだ。

               
        窓からはかつて自分が生活していた景色を見渡せる

みうを家に迎えて3ヶ月。今回は、気になる4つの項目についての状況報告です。

1.保護者(オジンとオバン)との関係
みうは完全なオジン後追いニャンコになりました。不安に駆られたり何かを求めてビービー鳴くこともなくなった。でも鳴き癖タイプに変わりはなく、今はオジン(私)を探して鳴くのが日課。で、洗面所やトイレにもついて来る。いなければいないで諦めるんですが。 一方放任主義のオバンは、みうも殆ど気にしてない様子。

               
            干渉されなければリビングでもくつろいで

相変わらず、こっちから近づくと反射的に逃げます。でも、ちょっと離れてゴロンゴロンするときと(「遊んでちょ」の合図)、本気で逃げるときがある。その心境の分かれ目ついてはいまだに判断できません。

               
          あらわな姿でじゃれてます(ニャーが外にいるとき)

一昨日の朝、勝手口の扉を開けてソトチビにご飯をあげているとき、オバン(妻)に言われて振り向くとすぐ横にみうがいたのでびっくり。でもその時のみうは外に飛び出すでもなく、ソトチビに反応するでもなく、ひたすら自分(私)の行動を追っていたとか。ほっとしつつも2匹の関係が気になったもんでした。

               
             あっ、ニャーが自分のご飯食べてる

2.先住猫(ニャー)との関係
ニャーはやっぱり温和な平和主義者です。そして単独生活派。そんなニャーに、みうも少しづつ慣れてきたようだ。リビングにいても静かにしていれば、ニャーがいても何もされない。ニャーはみうが気になるときは自分で部屋を出て行くし、気にならないときは同じ部屋で寝ています。

今もときどき、ニャーが思い立ったように大接近。でもみうは逃げない。怖いけど、逃げるのは逆効果だと覚えたのです。そして、ニャーが例の"眼付け"をしても襲われることはないと見極めたようだ。当初は怯え声だったみうの鳴き方が、今は反撃の声になることも。先日はついに下から手を出しました。鼻先を打たれたニャー、やり返さなかったのは立派だった。

               
              ニャーに見下ろされると怖いけど

               
             たまに反撃体制をとるようになった

ニャーがみうを追いかけることもしばしば。追うと言っても早足程度です。出会い頭のときと、みうがニャーの目先を移動したときです。このときは、おそらくニャーの身体が自然に動いちゃうのだと思います。だからみうは、ニャーがいるとじっとしている。自分の部屋からの出入りと別部屋への移動が、一番緊張するときです。

               
     リビングに行きたいけど、ニャーがどこにいるのか気になるところ

3.掃除機の恐怖との闘い
これはどんなニャンコでも同じですね。わが家のかつての3匹組も、あまり気にしなくなったのは老練と言われる年齢になった頃。でも、ニャンコがパニックになるほど怖がるかどうかは保護者との信頼関係の強さによります。ニャンコは、人間が掃除機を操っていることを理解するからです。

先日、みうを1階に置いてみうの部屋を掃除しました。最後にベッド下を丁寧に掃除していると、何とみうが飛び出して来た。部屋を掃除している間にわざわざ1階から上がってきて逃げ込んだようだ。ベッド下は、それほどみうの拠り所になっているのです。

               
             最近はベッド下よりも上の方が多い

4.ガキども(孫たち)来襲の日
わが家によく集まっていた従兄弟たち(孫たち)。注意力に欠ける子供がニャーやみうを外に出してしまわないかと不安で、実は昨年の秋にニャーがわが家に来て以来、この集合が中断していたのです。いやはや、相当な顰蹙(ひんしゅく)もんでした。

で、ついに家族の圧力に屈してこのお盆に2泊3日で実現。その間、特に夜はニャン2匹と自分も2階の和室に避難しました。店時代には看板猫だったニャーはそれでも"親善大使"を務める一幕もありましたが、みうはからっきし駄目だった。

               
            ニャーは一足先に"孫デビュー"しました

こうしてみうは、どんどん人間社会の出来事を経験していくわけです。みうのペースでできればいいけど、保護者の都合でそうはいかない。みうの試練はまだまだ続くのです。でも、今回は収穫もありました。同じ部屋で共同生活を経験したニャーとみう、何と食器もトイレも共有したのでした。


またしてもだらだらと、長くなりすぎちゃってすみません。ニャーとみうの物語、まだまだこれからです。

               
               時々感慨深げな表情をみせる


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