今日の聞き取りは、釜石消防団第6分団第4部の柏崎正人氏。
発災時は鵜住居川河口付近にかかる国道45号の橋の上に車に乗っていた。大揺れが納まると同時に、消防団員として防潮堤の水門4基を閉めに走った。 わずか15~20分の間に防潮堤を越える津波が襲った。瞬時のことであり、危うく高台に逃れることができた。
遺体の搬出、山火事の鎮火、山の中で2泊もした避難者の避難所への誘導・・・消防団自身は1週間も野外、焚火で暖をとって夜も過ごし、救助活動に身体と命をまさしく張って過ごした。 釜石では消防団員14名、消防員が公務で9名亡くなった。
実際の被災現場、活動現場を目の前にして1時間あまり語って頂きました。
そして、ボランティアセンターに戻り、さらに1時間以上、当時の活動の様子を振り返って頂いた。
初動時に私たちも経験したことだが、 まず、通信手段が途絶えたこと、車両燃料が尽きたことが、初動活動でもっとも困難に拍車をかけたことであったとのことでした。
(高木)
チョークセラピーの杉崎さんによる仮設住宅集会所でのチョーク画講習を2か所の仮設住宅で実施しました。 ダストのでないホタテガイの殻から作った多色のチョークを使って、指を使ってぼかす、茶漉しで粉にして使うなどいろいろな技の伝授。
難しくなく、きれいな虹、雲の陰りなどがつくれます。 ゆったりと静かな時間をお年寄りたちと過ごすことができました。
★そば打ちを教えてくれる方
★史跡を案内してくれる方
★郷土料理をごちそうしてくれる方
★ちょろぎ収穫体験をさせてくれる方
★ロープの結び方を教えてくれる方
★港町を案内してくれる方
★被災当時のお話をしてくれる方
★若者を受け入れてくれる方
そんな人たちがたくさんいて、釜石は釜石だと言えるんだろう
※写真は11月25日~27日に、
都留文科大学の学生17名
が参加してくれた
「どんぐり・うみねこ村ボランティア・スタディーツアー」
の様子
富田
先日、北海道に持っていった野菜の畑です。
寒くなる前に育てた大根と白菜を大収穫。
人手が足らなかったので、あるおばあちゃんに協力依頼しました。
今まで海の近くにあった畑や田んぼの作業をしていたおばあちゃん。
いきなりの津波でそれらは海の底になってしまいました。
家の中だとぼーっとしていたおばあちゃん。
畑を目の前にすると、
「まだ球になっていない白菜は紐でしばって置けばいいよ」
「この大根はたくわんにすれば最高だよ」
活き活きとして野菜の収穫をしていきました。
「こういう作業がしたかった」
せっせと作業をしている姿がそう語っているようでした。
今まで普通にやってきた作業が
突然できなくなった今。
生きがいとなる作業が必要なんだと感じました。
柏崎
本日から被災地域からの聞き取り作業を開始しました。
これまでの支援活動の中で被災者からいろいろなお話をボランティアスタッフはお聞きしてきました。しかし、まとまったお話をじっくりとお聞きする機会はこれまではありませんでした。 北海道の新しい公共の活動の一環として、この冬体系的に聞き取り活動を行います。
発災から2週間程度を想定して、被災地は主として、ねおすスタッフの柏崎の実家がある(あった)壊滅的な被害を受けた片岸地区、その避難者を受け入れた栗林地区、そして被災地の消防団などです。
どのような状況下で人々は避難をしたのか、どのような支援があったのか、初期の被災地の様子をお聞きし、今後の災害に備える資料を作ってゆきます。 北海道大学の地震火山観測センターの定池先生、都留文科大学の高田先生のご協力を得てヒアリングを行ってゆきます。
本日第一回は、避難者を受け入れた地域・栗林の栗沢氏にお聞きしました。
釜石市の仮設住宅は、7から8月にかけて完成し入居が始まりましたが、入居をしない、転居をした方も出て、空き家が出てしまいました。
そこで、長期に地域でボランティア活動をするNPOへ冬期間の宿泊所として利用させて頂けることになりました。 (11月17日に引っ越し)これまで北海道・ねおすボランティアセンターとして地域からお借りしていた橋野地区の旧保育園はそのまま資材も保管しつつ、来春も利用するのでお借りしたままとします。
ガレキ撤去作業がひと段落してボランティアセンターはボランティアさんが少なくなりました。 東京都社会福祉協議会から事務を中心にKさんが滞在してくださっています。 ボランティアのボランティア。とても助かっていますが、反対にいままでのような多くの滞在者がいないので、申し訳ないです・・。
■活動内容
・○○助成金の申請書作成
・釜石市健康推進課の栄養士さんとの打ち合わせ
→ 伊藤、柏崎の事業計画等の情報共有
→今後の仮設住宅での食の提供の相談
→栄養面や衛生面、メニューについてのアドバイス等の協力体制づくり
・来週より始める被災直後から支援初期についての地元の方々からのインタビュー依頼書お届け
・11/29実施、仮設店舗『峠の茶屋』の準備、仕込み
・物資運搬
・事務作業『名簿作成etc』
★思い出してもらうきっかけ
北海道札幌市内にある
フェアトレード雑貨&レストランの
みんたるさんのご協力のもと
で岩手県釜石市橋野の
野菜を販売
はるばる来た理由は
北海道の方々に
東北の活動にも目を向けてもううため
★放棄地を耕してできた大根と白菜
釜石市内の沿岸部から山間へ
車で15分ほどいくとある
橋野地区
その隣の栗林地区
には今はもう手が付けられない畑が
たくさんある
その一角をお借りして、
野菜を作りました
★立ち上がっている途中
復興に向けて前向きに動いている人もいる中で、
仮設住宅のコミュニティに慣れずに、
籠ってしまう人もいる
釜石鵜住居~栗林地区の
鵜住居川流域には
500世帯ほどの仮設住宅が立ち並ぶ
その方々が気軽に趣味の範囲で
お話をしながら、交流できる
畑になっていったらいいな
富田
作業も佳境に差しかかっております。
今日も倒木の撤去作業と集会所の土砂除去を行ないます。
チームもんじぃの倒木撤去隊。
木こりチームは今日も高いところにある枝をばっさばっさと。
今日も大きな切り株が切り出されました。
大きなカブのごとくみんなで引っ張ったり、
転がしたり。
集会所の土砂のかきだしも順調に進み、家の土台が見えてきました。
神社の鳥居横の草取りも急ピッチで進んでいきます。
おかげさまで集会所跡がくっきりと姿を現しました。
玄関はここだったんですね。
雑草が青々と茂っていた鳥居横も見違えるよう。
最初、この根浜神社に出会ったときは雑草が生い茂り、参道を土砂や杉の枝が覆い、集会所跡は瓦礫に埋もれていました。
それがたくさんの人の力を借りて少しずつ倒木がなくなり、雑草が刈られ、土砂がかきだされていく。
人の力って温かいです。
作業終了後、明日、釜石をあとにするボランティアさんと一緒に大槌町へ。
津波の被害が大きかった場所の状況を、5月から支援に携わっていただいているボランティアスタッフさんに案内をしてもらいました。
私を含め、現地の様子を初めて目の当たりにする人も多く、言葉にならない想いをそれぞれの胸に刻んだことと思います。
ボランティアセンターに帰り来て、待っていたのはクマ鍋とシカ肉のしぐれ煮。
先日、住宅のリフォームをお手伝いさせていただいた方が差し入れてくださいました。
北海道に住んでいてもなかなかお目にかかったことのない貴重なごちそうでした。
美味しいご飯を食べ終わった頃、「こんばんは~」と一人の女の子とお母さんがボランティアで来ていた大学生スタッフを訪ねてボランティアセンターにやってきました。
何やら伝えたいことがあるとのことで。
「空手の岩手県大会で1位になった」
と、恥ずかしそうに見せてくれた県大会優勝の賞状とメダル。
以前、青空喫茶というイベントを行なった際に、一緒に空手の型を披露してくれたのがきっかけで、仲良くなった二人。
釜石を再訪していると聞いて、直接、報告に来てくれたのです。
本当に嬉しい瞬間ですね。
その光景がとても、とても微笑ましく、心が温かくなりました。
今日も二人で空手の型を披露してくれました。
明日は鵜住居地区にできた仮設店舗の商店街のオープニングイベントをお手伝い。
ハロウィンの仮装をした子どもたちがお菓子を求めてお近くを通るかもしれません。
イタズラをされたくなければ、どうぞお菓子のご準備を。
ねおす 上道和恵
今日は、参道の周りにある枯た木の伐採と、参道のふもとにあった集会所があった場所に堆積した瓦礫の撤去を行ないました。
さっそく参道の土砂を取り除く作業に取りかかります。
森の中に響く機械音。
チェンソーの達人が安全に配慮しながら木を切っていきます。
切り出した木はボランティアさんの力を借りて所定の場所に運ばれていきます。
それにしてもすごい木の根っこだなぁ。
小さな瓦礫から大きな瓦礫まで。
みなさんひとつひとつ丁寧に作業をしてくださいます。
作業後にはスタッフの案内でお社を見学。
なんでも約500年も前からここにあるお社で、龍神さまと山神様と河童の神様が奉られていらっしゃるとのこと。
『今日もケガなく一日を過ごせました。ありがとうございます。明日もよろしくお願いします』と心の中でお願いしてきました。
みなさんのお力のおかげで少しずつ神社が息を吹き返しているように感じます。
本日のbefore...
after...!!
お力をお貸しいただきありがとうございました。
また明日もがんばるぞ!!
ねおす 上道和恵
根浜の海岸近くに小さな神社がある。
地上から約20メートルほどの山の上にあるお社。
ここにも津波はやってきた。
参道は崩れた土砂で埋まり、その土の重さで手すりがひしゃげた。
周囲は瓦礫や枯れた杉の枝で覆われている。
この神社に灯りをともそう。
震災の影響で避難されている方々に、亡くなられた方々に届くような灯り。
そんな想いをもって神社の復興作業を行なっています。
鳥居周りの草を刈り、
流されて埋まった瓦礫を掘り出し、
あらかじめ市の職員の方と打ち合わせをして決めた場所に撤去していきます。
大きくひしゃげた手すり。
山側から土砂が崩れて参道のほうまではみ出しています。
まずは、石段の上に積もった杉の枝を払い、土砂をかきだし、安全に上り下りのできる参道を確保。
ひしゃげてしまった手すりは……
「とりあえず、みんなで押してみますか?」という提案を採用し、作業に集まったスタッフのみなさまのお力でぐっと押してみることに。
せーのっ
なかなかうまくいったのではないでしょうか。
この日の作業はこれで終了。
今日はこれから参道周辺の枯れ木の伐採を行ないます。
ねおす 上道和恵
校舎が被災した鵜住居町にある釜石東中学校。
海岸から約1kmにあったにも関わらず、
地震、津波当時登校していた生徒に1人の犠牲も出さなかった学校です。
隣接している鵜住居小学校児童の手を引き、
無事に避難したということも有名になりました。
その釜石東中学校の総合学習の一環で行なわれている
復興ボランティースト(ボランティア+イースト(東))2011。
地域の方々に感謝の気持ちを伝えようと
釜石市内に11班で分かれて、ボランティア活動を実施。
その1つが片岸地区の国道45号線沿いにある花壇に
チューリップの球根を植えるという活動。
20名の生徒が地区の方々と協力して、
花壇の草取り、球根1000個を植えました。
私たちはその一部のお手伝い。
この花壇は片岸地区の方が大事にしている場所。
震災前から町内会のお母さん方が、管理し、
国道を通る人たちの目を楽しませてくれていました。
来年の4月の中旬には赤やピンクのチューリップが咲く予定です。
これは「まごころカード」。
「災害時にこのカードに書かれてあるものを
このケースに用意しておいたらよいと思います」
と生徒から片岸地区の方への贈り物です。
地域の若い力。
この子どもたちの若い力を発揮できる
安心安全で暮らせる町にしていきたい。
そう話す地域の声をたくさん聞くことができました。
柏崎
今日で東日本大震災から7ヶ月。
被災地は津波後すぐに比べると、きれいになってきましたが、
津波が来たときのままの姿の家もまだあります。
今日は片岸地区にあるそのうちの一軒のお手伝いをしてきました。
人手が足りず、遠野のまごころネットさんにも協力要請。
家電製品、本、服などがちらばり、そのままの状態。
それらを外に運び、分別。
近々、重機で運び出されることになります。
どんどん出されていくものが、生活感を感じさせますが、
砂やヘドロまみれで使用することはできません。
形そのものがなくなるのも辛いですが、
使っていたものが、変わり果てた姿で目の前に出てくるのも辛いものです。
作業休憩中にその近所に住んでいた方が様子を見にきました。
自宅は流されたものの、
元自宅近くの高台にある家を購入し、住むことを決意。
「やっぱり住むなら、ここがいいんだよなぁ」
という笑顔に私も「うんうん」とうなずくばかりでした。
同じ釜石でも内陸と沿岸では気候も人柄も雰囲気も違うんですよね。
「私もここが好き」
改めて強く思った一日でした。
柏崎