都留文科大学・高田教授の報告【其の四】
3 断たれた緊急情報
拡声器のある防災屯所から最も北に位置する7班の上部場所までは距離が約430mあり、津波が来るという拡声器の情報は聞こえてない。地震による停電によって情報は遮断され、大きな長い揺れからの個々の判断、他所にいた身内からの携帯電話等による情報、消防団の人など、人づての情報に頼って避難が行われた。
消防団OBであったDさん(64才男性)の場合、地震時は国道の側の防災屯所近くにいた。屯所のシャッターをすぐに開けて待機し、消防団員が一人来たのですぐに消防車を動かして2人で水門の閉鎖に向かう。2日前の3月9日注3に起こった地震でも津波警報が出ており、水門を閉めに行ったが、その時はたいしたこともなかったので、その時点では「今回もその程度かと、判断」してしまっていたという。 サイレンを鳴らして走ったので、防災無線は聞こえず、その後は停電で防災無線が動かなくなったので情報は全く受けていない。Dさんはその後、避難場所に戻った後、再び国道近くまで降り、そこで砂埃が上がるのと遭遇して初めて津波が来ることを実感し、引き返している。
35分という時間に、十分な情報が住民に伝わらなかったことで、一旦避難場所に避難したものの、またそこから離れたパターンが多い。
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