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はじめまして。 (ななみ)
2006-10-20 21:31:43
お邪魔します。私もプロテスタントのクリスチャンです。(この表現が正しいのかどうか分かりませんが)



私は母がクリスチャンだったので子供のころから教会に行っていたのですが、思春期には教会を離れ、あるきっかけで戻り2003年に洗礼を受けました。



私も、一時期、聖書のなかには矛盾することがよく書かれていたりして、戸惑うことがありましたが、そのような質問をした時に牧師さんから頂いた答えですっきりしました。(かなり長いメールです。本になりそうです。笑)



抜粋:「確かに聖書は神様の言です。しかし、それぞれの書の書き手は限定された時代、地域の人間です。表面的には矛盾するようなこともあるのです。正しく受け止めるためには、聖書全体をみて、そこから神の意思を汲み取るしかありません。別の言い方をするなら聖書は解釈しなければならないということです。最も大切なことは、時代や地域、文化が違っても変わることのない聖書の中心的指針がどこにあるのか?を知ることです。キリスト教会はどんな教派であれ「三位一体の神である、救い主キリストの十字架と復活」をはずすことの出来ない中心と考えてきました。 「真理」はここ だと信じてきたのです。そしてこの中心的指針をガイドラインとして他の部分を解釈してきたわけです。でも解釈は教派の数だけ、教会の数だけ、クリスチャンの数だけあっていいのです。それは必ずしも<自分にとって都合のいいもの>というより、多くの場合には聖書を真摯にできるだけ正しく受け取ろうと努力だと思います。パウロの手紙にしても、あの時代のコリントの人たちへの手紙としては、最も相応しいアドヴァイスだったのだと思います。しかしコンテキストの違う私たちにとっては、それをそのまま文字通りに受け取ってしまうなら、イエス様の最も嫌われた律法主義になってしまいます。ですから私たちは、私たちのコンテキストの中で、自分の好みではなく、できるだけ正しく御心にかなうようにと、真摯に再解釈をするのです。・・・」



以上が主な内容です。全体が伝わらなくて残念ですが、これだけでも十分長すぎるので、、、ごめんなさい。。神様の御心を完全に理解するには、人間には限界がありますが、すべてを理解できなくてもそれが真理と分かる、何かが聖書にはあります。私は日々神様をもっと知りたいと努力しています。長くなってしまってごめんなさい。このようなBlogがあり嬉しかったのでコメントさせていただきました。
 
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