今月も早や10日が過ぎようとしています。朝晩は寒くなっていますね!
おまけに、灯油の値段は先月の高値のままで、冬は石油ストーブ依存型の我が家にとっては、家計簿にもひびいています。
さて、今日の話題はプライベートになってしまい恐縮ですが、ご了承をいただきたいと思います。
まずは古い画像ですが、自分が高校生の頃です。京都奈良修学旅行時のものです。周りからも羨まれる五人衆と言われた仲の良かったメンバーで撮りました。自分は左から二人目です。
photo stock 1
なぜ高校生の頃の画像かと言いますと、この頃の当時、お世話になった担任の先生の今日の話題だからです。
それは、先週末に高校時代の恩師から私の携帯に電話がかかってきたことから始まりました。
ところが、私がそれに気が付いたのが翌日のお昼頃でした。最近、私は携帯機種を変えたので、着信音も振動だけになっていて、その上、翌日の日曜日は早朝から町内清掃から始まって、午前中は色々な雑用に追われ、それに気を取られ、携帯を見たのがお昼頃でした。
そんな事情から、携帯の着信履歴にやっと気が付いて、慌てて恩師に電話をしました。ところが、留守電になっていたので、メッセージで自分の名前と連絡が遅れたことのお詫びを伝え、「また、お電話いたします!」伝えておきました。
その後、恩師からは連絡もないままでしたので、忙しがっているのだろうと思っていました。でも、夕方になってもう一度恩師の携帯に電話をしてみました。すると、またもや留守電になっていて、先ほどと同様にメッセージをお入れしておきました。
そして、気が付いたら夜も遅くなって来たので、恩師には明日また電話してみようと、この日は寝ました。
で、翌日、午前10時頃改めて恩師に電話してみました。
だが、恩師の携帯は、呼び出し音が鳴ったと思ったら、直ぐ留守電になってしまい、その上、恩師は病気持ちの80歳半ばになるお歳ですので、さすが私も何か変だと思い始め、安曇野のご自宅には奥様がいらっしゃるはずですので、ご自宅の固定電話に掛けてみました。
だが、こちらも何度も呼び出し音がしているのですが、どなたも電話口に出てくれる気配がありませんでした。
これは、恩師の身に何かあったのか?、奥様に何かあったのか?と、最悪の状況が脳裏を走り、イヤな胸騒ぎもしたもので、親しい同級生数人に連絡して、かくかくしかじかと相談したところ、彼らの方からも恩師の携帯やご自宅へ電話してみると言ってくれたので、その結果を彼らからの連絡待ちにしました。
数分後、彼らから連絡が来たものの、やはり、私と同様な状況で、携帯は留守電、固定電話は呼び出し音だけ……、それしか掴(つか)めませんでした。
で、皆んなと相談して、こちらから安曇野までは70~80キロありますので、直ぐ飛んで行ってもご自宅が留守でしたらどうしようもないもので、やむを得ませんが、取り敢えず恩師からの連絡待ちにすると云う結論で、この日も終わりました。
ここで、ひと息入れていただくために、ちょっとした画像を二枚……。特に意味はありません。
photo stock 2
photo stock 3
約10年前に撮った画像です。
話しは続きます………。
それで、翌日のお昼頃、私の携帯が鳴ったと思ったら、恩師からの待ちに待った電話でした。
恩師「やあ、悪い悪い……、何度もみんなから連絡を貰ったようで、
こっちから遅くなってしまい、かなり心配させたようだな!」
私 「先生……! ご無事なんですね!今どちらにいらっしゃるのですか?」
恩師「今、安芸ノ宮島に来ているんだけど、ツアー旅行で移動があるから、
携帯も留守電にしておいたもんで……。」
私 「あの安芸の宮島と言いますと、広島へ行ってらっしゃるのですか?
奥様もご一緒で?」
恩師「そうなんだけど、二人の最後の旅行になるかも知れないと思い、
思いきって出掛けたんだ!」
私 「先生!まだまだ長生きしますから、大丈夫ですよ!
今こうして、おしゃべりになっている声も十分しっかりなさっていますから、
100歳までは軽く行けますヨ!」
恩師「いやあ、80代も半ばになると、車の免許も返納しなければと思っているし………、」
私 「それは、私なども最近は考えるようになってきましたよ。」
などと、当初心配していた話しから、世間話しになってしまいました。
恩師「で、まだこちらにいるもので、池の方から、
携帯に連絡を貰った連中に事情を話しておいてくれ!」
と、頼まれました。
それから、数人の同級生に連絡して、取り敢えず、今回の騒ぎのひと幕を閉じることが出来ました。
だが、また夜になって、恩師から私の携帯に連絡があり、
恩師「やっと落ち着いたから、携帯にメッセージを貰った連中に、
私から連絡するから彼らの携帯番号教えてくれ!」
私 「はい! 調べて直ぐご連絡します!」
一時は、恩師に最悪の心配までさせられましたが、やれやれ一件落着と云う感じでした。
それで、一番笑ったのが、最初、恩師から私の携帯に連絡して来たのが、本来は私と違う教え子さんへの連絡をしたかったようで、電話番号を勘違いして、私の携帯に連絡をし、慌てて切ったようで、私も殆んど気が付かなかったということでした。
もっとも、最初に恩師から私の携帯に連絡があった時に、電話口に出ていれば、こんな問題はなかったと思いました。
この恩師とは、私らと10歳の年の差で、高校生活3年間クラス担任としてお世話になり、2年生時の文化祭で「エレキギターのバンド演奏」を、当時、反対した年寄り派の先生方を口説いて下さり、バンド演奏が実現したと云ういきさつもあり、卒業後もずっと兄貴のように慕ってきた先生でした。
逆に、先生が転勤などで、引っ越された場合でも、私らを頼っていただけたり、引越し先での住居を探したり、色々と想い出が深い担任でした。
数年前にも、先生が大きな怪我で入院をなさったときは、親しい友人達で、松本市の病院へ急いでお見舞いに行ったものでした。また、一昨年にも、急に思い立って、数人でお宅にお邪魔させて貰ったり、そんな間柄ですので、まさに身内同然の感覚でした。
まあ、今回のことは、早とちりからの騒動でしたが、思いがけず恩師と話が出来たり、同級生などとも話が出来、年の瀬での楽しい想い出にもなったと思います。
先頃も、小学校の同級生が亡くなったり、11月頃から喪中葉書が5通も届くと、それ相応の年代に入って来たのか……、とそんな気持ちになって来ました。
本日もこのブログにお立ち寄りいただき有難うございます。
厚く感謝申し上げます。