遊戯(ゆげ)

世の中は、なるようになるわ。
あきらめないで、悠然と生きる事を楽しむ・・・・
それが遊戯(ゆげ)の心です。

ラジオ文藝館

2015-02-07 | Weblog
土曜日、朝8:05よりの、NHKラジオの朗読が楽しみ。

今朝は、高田 かおる作 「虫やしない」

駅そばで働いているみちおのもとに 東京にすむ孫が
5年ぶりに 訪ねてきた。 孫のひろあきだ。
どうやら 家出してきたらしい。

みちおの息子のまさおは、大学進学で東京へ出て、東京で就職し
結婚した。

たった一人の孫のひろあきに対する教育の仕方で、ぶつかり
そのまま絶縁状態だ。

息子のまさおは、ひろあきを小学校の時から、勉強に追い立てて
孫は どんどん疲弊していった。


何かあったらしいと思ったが、何も聞かないことにした。
「言いたくなければ言わんでよろしい」

夜中に、孫のうめき声で目が覚めた。
寒いだろうに、掛布団をはねのけて、海老のように丸くなって
眉間にしわを寄せ、唇をかみしめている。




息子のまさおは、粉まみれになって働く学の無い両親の存在をうとんじ
恥としていた。子どものころから 必死で勉強して、高校を出てからは
奨学金をもらってアルバイトで、自分で大学まで行った。
その、集中力や 実行力は認めるが・・・・。


孫のひろあきは「じいちゃん、むなしくない?駅そばを食べにくる客って
ちゃんとした食事じゃないよ。」

「虫やしない」という言葉が大阪にはあるんや。
かるーに何ぞ食べて 腹の虫を抑えとくと言うことや。
今日みたいに寒い日は湯気がごちそうや。
帰れば、家で美味しい食事が待っている。
だから、かるうに駅そばで 腹の飯をなだめとくんや。
それに、みんな ちゃんとした食堂ばかりなら 世の中窮屈で味気ないと思うんや。


そのとき、東京のまさおから電話が・・・・。

しばらくこっちで預かるわというと、
「勉強が遅れる。」


「このどあほ、父親の癖に 子どもをつぶす気か!!」

ひろあきが「オレ、おやじを殺すかもしれない・・・・包丁を見ると
いつかおやじを・・・・じいちゃん、おれ、自分が怖い。」


15歳の少年は慟哭して突っ伏した。



みちおは、ネギの束をもって、駅蕎麦屋の店に孫を連れて行った。
ひろあきに包丁の使い方を教えようと言うのだ。

包丁を、しっかり持たないと危ないぞ。
ほな、ネギ切ろか・・・・見本をみせて促す。

切るうちに、ひろあきの身体のこわばりも とれていった。
切りながら、打ち明け話が・・・・・。


仰山切れたなあ、ありがとうな。
ひろあき、おまえはもう大丈夫やで。包丁は人を刺すものじゃない。
ネギをきるもんや。


ひろあきは、東京へ・・・
来た時とは別人のような表情で。

「また来るわ、虫やしないさせてもらいに 何度でも来るよ」



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ほぼ日刊イトイ新聞コラム引用

2015-02-07 | Weblog
糸井さんのコラムはいつもふんふんと納得してしまうのですが
今夜の記事は 赤瀬川さんを知らない私にも 暖かい気持ちが
伝わってきます。
こんな風に 言ってもらえる人は 幸せだなあ。

以下、引用。


・「赤瀬川原平さんを偲ぶ会」という集まりがあった。
 故人の人徳というべきか、まことに和気靄々とした、
 おだやかでほがらかなパーティだった。
 昨年の10月に亡くなってから、
 時間をおいての会だったのも、よかったのかもしれない。
 年をまたいで、しかも3月ほど経っていると、
 ほどよく湿り気がぬけて、
 からっとした笑いが響きやすい。

 この集いの案内状を受取った赤瀬川さんが、
 「これはさ、どうなんだろう、平服ってさ‥‥」
 などと困り顔の笑顔で、相談してる姿が想像できた。
 「赤瀬川さんが主役なくらいだから、
 どんなのでもいいんじゃないでしょうかね、わはは」
 と、おそらく誰かが答えるわけで、
 「そうだね。ぼくを偲ぶわけだから、そうだろうね」
 と、再び赤瀬川さんが納得する。
 そのうえで、また、心配そうに
 「帝国ホテルっていうのはさ、
 ぼくである赤瀬川原平としては、無理してないかね」
 と、またまた困り顔の笑顔で質問するのだけれど、
 「もう亡くなってるから、大丈夫なんじゃないですか」
 とね、南伸坊あたりに言われて、
 「そうかそうか、ぼくはお亡くなりになってるのか」
 と、内心の心配をそのままに苦笑している‥‥。

 というような風景を、知りあいの人たちなら、
 みんな想像できたのではないだろうか。
 なにせ、あの赤瀬川原平さんの集いなのだから、
 きっとなにもかも許されることだろうと、
 参加者は思っていたにちがいなのだ。
 
 いい会だ、いい故人だ。
 哀しみは、それなりに済ませてきて、集まってくれた。
 南伸坊の「セミフォーマル」な場面での挨拶というのは、
 ほんとうに、心がこもっていて、おもしろくて、
 ぼくのいちばん好きな「日本語の文」だ。
 「南は、こういうのがうまいんだよね。
 いや、うまいと言っちゃいけないんだろうけど‥‥」
 と、赤瀬川さんが、きっと言ってたと思う。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
死んでから、まだまだ生き続けるのは、よく生きた人だな。





糸井さんありがとう。
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