県外調査2日目
新潟県中越地震から5年が過ぎましたが、その復興はまだ道半です。
(社)中越防災安全推進機構の山口事務局長、NPO法人中越防災フロンティアの山崎さんにご同行を頂き、旧山古志村などその後の復興状況を調査。
妙見崩落現場や水没家屋をはじめ9箇所の被災地を視察し、途中、長岡市山古志支所で説明を受けました。
今も撤去されずにある水没家屋や、生々しく残る地震の爪痕を見ると胸が痛みます。
ただ、災害に対して地元の方々が非常に理念構築されているのには驚かされました。
●写真は中山隧道。
手堀トンネルでは日本一長く887mあります。
その昔、子供や急病人の死亡率が高く、トンネルの建設を訴えていた地域の人々が業を煮やし、ツルハシだけで16年の歳月をかけて掘り抜いたそうです。
それまで冬場は徒歩で7時間掛かった山越えが、20分足らずに短縮されました。
地域がひとつとなり助け合って暮らしてきた日本人の心…。
忘れてはいけませんね。
新潟県中越地震から5年が過ぎましたが、その復興はまだ道半です。
(社)中越防災安全推進機構の山口事務局長、NPO法人中越防災フロンティアの山崎さんにご同行を頂き、旧山古志村などその後の復興状況を調査。
妙見崩落現場や水没家屋をはじめ9箇所の被災地を視察し、途中、長岡市山古志支所で説明を受けました。
今も撤去されずにある水没家屋や、生々しく残る地震の爪痕を見ると胸が痛みます。
ただ、災害に対して地元の方々が非常に理念構築されているのには驚かされました。
●写真は中山隧道。
手堀トンネルでは日本一長く887mあります。
その昔、子供や急病人の死亡率が高く、トンネルの建設を訴えていた地域の人々が業を煮やし、ツルハシだけで16年の歳月をかけて掘り抜いたそうです。
それまで冬場は徒歩で7時間掛かった山越えが、20分足らずに短縮されました。
地域がひとつとなり助け合って暮らしてきた日本人の心…。
忘れてはいけませんね。