のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
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あの日あの時③美しい心の絆

2014年03月15日 00時09分19秒 | ボランティア
「神様のカルテ」テレビ放映がされて 真剣に見ていた
若い医師が 余命6ヶ月の女性のホスピタルのあり方を実践して行く
人としての終末は 穏かに幸せな表情で迎えたいものだ

純粋な人の愛 こんなドラマや音楽に触れると 心地良い余韻が残る
その余韻のままに 東日本大震災時の 人の絆の美しさも記憶を綴る
時には善意のすれ違いもあるが 素は何かをしなければの心から起きた

3月11日の2.3日後は ガソリンが不足して スタンドを探し回る方もいた
東京の店でも従業員が勤務先に来れず やむなく休業している店もある
食材が届かず 飲食店が休んだり 時間制限で遣り繰りしていた

被災地はもっと厳しい 私たちはネットの中でも 買占めの自粛を求めた
皆が欲すれば不足する 少し我慢をすれば 求める人に廻っていくと・・
今度は原発の放射能の汚染が水にも影響するとペッドボトルも店から消えた

まだ3月 東北は寒さが厳しい 着の身着のままで避難所に集っている
食糧を水を緊急薬品を衣服を 送って欲しいと呼びかけた
ブログを見た 今 家庭にあるものを送ったからと書き込んでくる

みんな何とか力になりたいと言う意志の証である
そんな日が続く中で 孤立集落がまだある と言う緊急要請が現地からあった
現地へ直接向かった方に連絡を取るも 被災地が広すぎ対応が困難だ

一つにはボランティアは 個人の行動を現地では受け付けない
ここへ緊急物資を送ってといっても 個人の願いは聴いてくれない
勿論 人も物資も情報も複雑に交錯している現状では止むをえない

ネットで呼びかけ 現地へ向かう奇特な方も何名も居て敬服する
1ヶ月経っても 孤立集落は解消されていなかった
米軍がともだち作戦で ヘリコプターで少数の集落を探し支援してくれた

福島の方たちは原発危険地域から避難を始め それも何箇所も転々とした
政治では足の引っ張り合い 東電には恨み怒りが集中している
私たちは呼びかける 論議はあとだ 今この方たちを救って欲しいと・・

原発周辺の方の避難先に支援物資の送付を依頼した
途中からは 衣服などは足りたから食糧や子どもの文房具などを依頼される
多くの方が 即刻 行動して 要請に応えてくれる気持ちに心から感謝をした

全てが順調ではなかった 時には善意がすれ違う
お金が必要だからとバザーを開催した方も居る
寄付の支援品は集るが 仕分けや販売の人出が不足したりして疲労が増す

現地との連絡も 的確には掴めず 苛立ちも目だつ
中には余りにもこの活動に没頭するが故に挫折やストレスも発症した
降って沸いた惨事 その対応は政治だけでなく 個人の心も大きく影響する

それでも 緊急の事態は少しづつ落ち着きを見せて ネットでの活動も収まる
私の役目も終わった 本来のブログに戻る そしてそのサイトのブログを閉じた
下町のうたごえ ホームページの為にぷららのブログを先行していた

完全に支援の活動も終わった訳ではない まだ復旧も復興も程遠い
勿論 自分の出来る範囲内での寄付や クリック募金などは今でも継続できる
東北の物産を購入することも 観光に行くことも 大きな支援になる

寒さ厳しい中で 自衛隊の方たちが黙々と捜索や支援活動をしていた
台湾を初め 各国のカンパが大きく寄せられた
そして今でも原発の中で安全の為に仕事をしている方たちが居る

私たちは忘れない 人の絆の大切さ 一人一人の見えない愛の輪があること
原発避難者も含めて 東北の方たちが 本当の笑顔を見せてくれるまで
心で寄り添い 何時も見守り 支援をしていくことを・・・

    最後までお読みくださいまして有難うございました 
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