小気味良く 活気 熱気溢れる84歳の女性がゲストとして語っていた
鹿児島のてんがらもんラジオ 毎週ゲストが登場するが人材の宝庫に私は毎回感銘を受ける
今回は84歳の女性 剣舞一刀流三代目宗家である
剣舞の宗家と聞けば 大概は男性を想像するが 女性であることに驚く
しかし 熱意は別にして どこか女性のしなやかな強さは 凛として伝わってくるのだ
宗家の由来は父方祖父の一刀流 あのお玉が池の流儀を引き継ぐものである
現在は横浜にお住まいだが 毎月 鹿児島県の肝属(きもつき)へ剣舞の指導に通う
この祖父の厳しさが過激だ おなごは教育など要らぬ
男は国のため死し 女子は軍国の母と成れ 当時の世代を表す存在でもあった
勉強も許されぬ 田んぼの草取りへ行くと騙し 外で勉強したと語る
5人の兄弟が居たが 戦争中 多くの家族 学校が都会を離れて疎開へと走った
これが壮絶 誰かが生き残れと3人と2人に別れさせ 彼女は鹿児島へ行く
まるで真田丸の 幸村一家が徳川と豊臣に家族を分けた事例の様である
肝属(きもつき)は沖縄に近く 米軍の空襲にさらされた
通学の列車も襲われる 停車して逃げる ばらばらと逃げ惑う
集団になるな 標的にされる 敵機に向かって走れ これが学校で教えた対策である
敵機に後ろを見せれば機銃掃射の餌食 向かって走れば相手の速さもあり生きる確率が高い
かろうじて助かり戦後 大学卒業後 教職に就いた 社会科の教師である
米軍の占領下で 教育も大変換した 今まで男尊女卑だったものが男女平等となる
国のために死ね が 人のいのちは地球よりも重いとなった 多くの方が戸惑ったろう
日本の弱体化のためにか 武道 剣道 柔道 歌舞伎まで禁止された
武器の一つにもなる剣など 全部の家庭に家宅捜査が入り 隅々まで調べられた
ようやくこれらが緩和され 復活を始めたのが昭和27年ころ 盛んになるのには数年を要した
ここからは 剣舞の本題に入って行く 剣舞とは詩吟に合わせて居合いを含み舞うことだ
足の運び方 手の位置 刀には鍔や鞘があるから この扱い方も重要
更には扇子も使う 剣は闘いのいのちを掛けるもの ここには一刀流の流儀が生きる
日本独特の剣舞である 刀は竹刀では無く真剣である 身長に合わせて持つ刀の長さも違う
詩吟とは解説もあるが 歴史や情景を謳うものである この意味を理解しなければならない
服装は袴である 袴は戦国時代でも着用 ひもは戦っても転んでも 絶対解けない
話は無限に広がる 鎌倉の流鏑馬も出てくる この元は鹿児島の肝属にあった
こちらは平安の貴族の衣装 馬も人も化粧をする 鎌倉は島津が伝えたが 侍であり飾らない
鹿児島よ誇りを持て 彼女の熱気は続く
古代 神武天皇の幼少期は 大隅半島にあり この頃の日向はこの辺まで含まれていた
この日向から大和の国を作った ふるさとには 吾平山上陵があり 今でも天皇家がお参りする
あいらのやまのうえりょうと読むが鹿屋市にある 姶良は知っているが これが語源なのだろう
日ノ丸の旗も鹿児島だ 調べれば 江戸末期 島津斉彬がこれを家臣に命令した
あの 桜島から昇る太陽がシンボルなのだ
君が代の国歌も鹿児島だ 薩摩に生まれた中村すけつねが 作曲に尽力したことによる
鹿児島は日本の西南端にあるが 文化や伝統の泉になり ここから発信されていたのである
剣舞の全国高校生大会が開催されたが こんな風土の鹿児島は出場していなかった
もっと目覚めよ そんな想いで 自分の母校である高山(こうやま)高校と県に働きかけた
幸い県の後援も協力者の働き掛けで貰えて 母校で剣舞の披露が実現できたのである
この熱意に地元の方たちも立ち上がり 以後 高校生も含め盛んとなった
5人の高校生は 全国の段をも獲得した
今後は この5人を核として 鹿児島全体に いや 全国に剣舞が栄えるようになって欲しい
84歳になった今も 神奈川の活動 そして 毎月の鹿児島への指導が続く
ほぼ 話された概略を記したが まだ多くを語り 他の番組構成も楽しいです
てんがらもんラジオ 録画中継は ここをクリック ↓ ↓
http://www.ustream.tv/recorded/92696168
最後までお読みくだ-さいまして有難うございました m(_ _)m
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話されたことを要約して書くと 長くなりそうでまとめるのに
工夫が要りますね
84歳 とても感じられない生き生きとした姿勢を感じとりました
鹿児島やその影響を受けた地域は 島津公の少なからぬ功績が生きていますね
細かく書かれているので 毎回楽しみです
剣舞の宗家 さすが姿勢 声 そして何より生き方が凛としていて これがいつまでもお元気な秘訣でしょうか
鹿児島という土地柄 そして島津斉彬の教育 文化に対する功績なのでしょうね
お身体不調とのこと 少しは快復されたでしょうか
私もここの所 睡眠が浅くなり ちょっとボケツとしています(笑) 居眠りが多いのですよ
ゲストさん すごい活気 熱気でしたね
次々と湧いてくるようなお話ですね
薩摩の血はすごいです
相変わらずお忙しそうですね
きっちり決まった日程は動かしようもなく それをこなしているから立派です
今回はただまとめるだけで精一杯 何しろ古代から中世
そして日ノ丸から君が代 まだ時間が足りないほどだったでしょう(笑)
今日はコンサートに行ってきましたが 鹿児島出身の方が居りました
ゲストの熱気そのものが伝わってきます。
ゲストの熱気は剣舞という真剣を持って舞うこと
からくるのでしょう。そしてそれは薩摩の歴史の
なかで育まれていたのでしょう。地域の持ってい
文化性というものの凄さを教えてもらいました。
ありがとうございました。
今日は家を出てから昼もゆっくりパソコン拝見してなくて今になりました。
さすがのびたさん。聴き洩らしなく、その上よそからも情報取り入れての解説。感謝申し上げます。いいわけですが自分ではこうも詳しくまとめる切り替える暇もないまま次に進まなければなりません。休息もしないと・・と。
今回カエルさん不調でのびたさんのブログに助けられて、次に進めます。あすはまた 福祉フエアで朝から出かけ、次は火水と研修旅行、木曜の準備は明後日だけです。ありがとうございました。
戦前は男尊女卑 鹿児島はもっと厳しかったと思われます
宗家を継ぐこと自体 すごいことだと思いました
今なお 指導にかける熱意 感銘です
波乱万丈を生き抜いている女性でしたね
生き方にも信念があり 揺らぎないものを感じます
あの活気 熱意を見習いたいものです
剣舞の宗家 さすがに凛とした生き方 考え方がありましたね
そして年齢を感じさせない活気があります
時間が足りないくらいでしたね
その中で剣舞を身に着けた努力はすごいと思いました。
外で勉強・・。わたしは
それほど餓えて勉強したことがなく
恥ずかしく思います。
いまはお元気ではつらつとしていらして
よかったと思われるお人のご紹介でした。・
という言い方は失礼かもしれませんが・・
剣舞の武道家詩吟を歌われるせいなのか
声も若々しくて凛とした姿勢と語りが・・
もっと聞きたい、もう少し話を聞きたいと
感じさせる人・・そんな人は、おつきあいする人も
また先日の映画プロデューサーであったり
監督さんであったり・・鹿児島 薩摩を愛する
人たちとともに元気に鹿児島を盛り立ててくれていましたね。
素晴らしい人でした