なぞの旅人スーのブログ

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豊根村上黒川地区 花祭り

2017-01-04 23:54:47 | 日記

 前夜開催の設楽町津具地区の花祭りとハシゴするつもりだったけど、先日釣りに行ったら風邪をひいてしまい、体調が完全復調しなかったので、無理をする事はやめた。
 今年も暖かい日が続いて開催日を迎えたので、タイヤ装備の必要は無かった。まずは会場近くの「湯~らんどパルとよね」に入浴した。午後4時半前に到着したが、もう神社から重低音の太鼓の音が聞こえていた。神事関係の舞を行なっていたのだろう。JAFの会員なので、会員証を提示して100円割で入れる。ぬるっとした泉質が肌を潤してくれる。
 一旦車を神社の下に持っていき、みかんの箱を出した。ちょうど面識ある花祭りファンの人と会い、2箱のうち1箱運んでもらえた。再度車を温泉の駐車場に停め、残り1箱を持って神社へと上がった。外に焼きホタテとかを売る店が3年続いて出たけど、今年は無くて残念だった。みかん1箱を含めて奉納をし、もう1箱を掘りごたつがある部屋の隅に置いた。会場の皆さんに自由に食べてもらうためである。ほどなくして「地固め(扇)」が始まった。花祭りの舞は幾何学的な動きをする。舞庭の四辺に沿って、舞子の2人が寄ったり離れたり、対照の動きをしたりしながら、舞い移動するところが面白い。去年、東栄町の「花祭会館」で津具の「榊鬼」の映像を観た時、2匹の鬼の幾何学的な位置どりに興味を持ち、それで津具に行ってみたいなあと思った。またの機会としよう。


  本来は神返しの舞であり、最後の方で行なわれる「鎮め」を、当地区はこの舞の後に行なうのが大きな特徴である。その後、残りの「地固め(やち、剣)」が行なわれる。エネルギーセーブで、しばらくこたつの部屋にいた。「花の舞」が始まったら舞庭へ。花祭りには「ぶく」という、身内に不幸があったらその後に行なわれる花祭りに関われないというしきたりがある。今年は「ぶく」で舞えない子どもが多かったそうで、小さな子どもも2舞担っていた。最近でも「ぶく」にあたる人が多い年があった。この舞で幾何学的に面白い所作は、神座の前で2人と残り1人が180度向きを変え、腰を落として採り物を振るところである。


 現在、豊根村では坂宇場地区と当地区に毎年行っている。坂宇場の「花の舞(舞上げ)」は、「花の舞」卒業みたいな感じで小学生高学年あたりが舞うけど、当地区のそれは花祭りデビュー及び初期のちびっこが舞う。なぜ両地区において、「舞上げ」の位置付けが対照的なのだろうか?舞のラストに唱えられる「歌ぐら」の「舞上げるには千早振」通り、「花の舞」各舞のラスト及び舞子の「花の舞」最終段階の意味が坂宇場で、当地区では「花の舞」各舞のラスト及び「舞庭に上がる」の意味があるのではなかろうか?「舞上げ」を各地区どう位置付けしているかを比較するのも面白かろう。


「一の舞」。もちろん、強く叩かれようと釜の近くに位置取りした。


 榊で観客を叩いて廻る前段階の所作で、せいと衆は「と~ひゃ~ひゃ とひゃひゃ」と声を出す。


 舞子が観客を叩いて廻り始めた。釜のすぐ際に入り込み、強く叩いてきたので、びっくりした。


 次は「山見鬼」である。なんか最近、豊根の鬼の舞ではよく休憩している。体力温存と観客が多いためである。当地区の鬼の舞の囃子はテンポが速い。
 「三ツ舞(やち)」。今年は「歌ぐら」に挑戦してみることにした。坂宇場や当地区はせいと衆が「歌ぐら」を唱える事がなく、いつしか資料化してしまわないか心配である。知っている人が「歌ぐら」を唱えながら太鼓を叩いていたのでそばに寄り、歌詞集を見ながら一緒に唱えた。いつか、歌詞集を見ないでもある程度は上の句を聴いて下の句を唄える様になりたい。舞庭の角にいると、やちが飛び出してきて、初めて訪問した時はびっくりした。


 やちの後はほぼ仮眠し、「杓子・すりこぎ」で舞庭に復帰した。


 補充用の味噌が入った鍋もあり、観客の顔にたっぷりと味噌が付けられた。僕もたっぷり塗られ、顔が大変なことに。そんな顔をカメラに近付けて撮影したから、カメラに味噌が付いてしまった・・・。こんな顔になっても、皆大きな笑顔になる。


 やがて「巫女、婆」も加わり、先の2匹は巫女にちょっかいをかけようとし、婆はそれを阻止する。その合間にも観客の顔に味噌が塗り続けられるので、2匹は大忙しだった。


 再び仮眠した後に朝食を頂き、最後の盛り上がりどころである「湯ばやし」。


 坂宇場同様、お湯が撒かれ始めたら上半身裸になった。屋内だし、全然寒くなかった。裸になることを想定して、ちゃんとムダ毛処理してきましたから(笑) でも、釜に追加投入されるのは水だから、途中から冷たかったけど(苦笑) 舞っては撒かれの連続で、舞子も観客も地面もビッショビショになった。当地区の舞は粛々とした感じがあるが、弾ける要素は大きく弾けるのが好きなところである。


 「朝鬼」。面が複数お披露目されてたけど、いつもやってたかなあ?




 「獅子」。ゆわぎを咥えるところが独特である。このゆわぎというものは羽織ったり採り物になったりするので、特別な物だと思う。


 「釜ばらい」では、御幣をちぎり、放ることが行なわれた。撮りたかったけど、神事関係はカメラマンが寄るので、撮れなかった。最後に締めの挨拶が行なわれ、解散の形となった。
 もう温泉もオープンしているので入浴し、食事をしてから帰路に就いた。地区の人、観客も大勢入浴していた。「ありがとうございました」と挨拶してくれる地区の人がいたが、こちらこそお世話になり、恐縮である。花祭りは組織単位とかではなく人との繋がりの大切さ、ありがたさを感じさせてくれる。お互い、元気に来年の花祭りの場で顔を合わせるため、一年頑張れる。
 今年はすぐに東栄町下粟代地区の日がくるんだよなあ。





 
 

 


 

 


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