東横『学芸大学駅』近くの産直パブ、地元に必要なお店として。明るく楽しく、天を敬い、人を愛する。楽しく飲みたい

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あの写真、そうだったのか

2022年08月09日 19時48分59秒 | 日本の将来が良くなりますように

【焼き場に立つ少年】

1999年現在76歳になるジョー・オダネル氏は、アメリカ軍の
報道写真家として第2次世界大戦後の日本を撮った。

佐世保から長崎に入った私は、

小高い丘の上から下を眺め
ていました。すると白いマスクをかけた男達が目に入りまし
た。男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をし
ていました。荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の
中に次々と入れていたのです。

10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。

おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は
当時の日本でよく目にする光景でした。しかし、この少年の
様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼
き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも
裸足です。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目
を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊はぐっすり眠
っているのか、
首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、
ゆっくりとおんぶひも
を解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んで
いる事に初めて気付いたのです。
男達は幼子の手と足を持
つとゆっくりと葬るように、

焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしまた。
それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。
真っ赤な
夕日のような炎は、
直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です、炎を食い入るように見つめる
少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年が
あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、
ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が
静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を
去っていきました。(インタビュー・上田勢子)

=朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋=

長崎市への原子爆弾投下は、第二次世界大戦末期の1945年8月9日
午前11時02分に、連合国のアメリカ合衆国が枢軸国の日本の長崎
に対して原子爆弾「ファットマン」を投下した出来事であり、
この原子爆弾が人類史上において2回目かつ実戦で使用された
最後の核兵器である。

ウィキペディアより

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