
http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/20f79788d9d8dc5ff88a6e35bdc4d401
>「「沖縄集団自決はない」と捏造記事を書いても無問題な産経」へのコメントレス
上のエントリーで取り上げた産経さんのizaブログ↓をよく見ると、、、
http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/195263
魚拓:http://megalodon.jp/?url=http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/195263%23cmt&date=20070620053908
、、、続報が書いてあったので載せる事にしました。
続報のizaはこれ↓です。
http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/201600/
魚拓:http://megalodon.jp/?url=http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/201600/&date=20070621001844
そして沖縄タイムスの記事では照屋昇雄氏の経歴は被告(岩波)側によると、、、
1955年(昭和30年)12月中部社会事務所に社会主事として採用。
1956年(昭和31年)10月南部社会事務所に異動
1958年(昭和33年) 2月社会福祉課に異動
1958年(昭和33年)10月社会局援護課に異動
、、、となります。だから「昭和20年代後半には照屋氏は援護課で
集団自決の聞き取り調査をする立場にない」というのが被告(岩波)側の主張です。
そして岩波側に対する反証として産経側の示した写真はこの↓二つです。
http://koyamay.iza.ne.jp/images/user/20070620/85122.jpg
http://koyamay.iza.ne.jp/images/user/20070620/85135.jpg
照屋昇雄氏について各々の写真は
1954年(昭和29年)10月19日援護事務を嘱託 社会局援護課勤務
1956年(昭和31年) 1月 8日援護事務嘱託 願に依り嘱託を解く
となっています。産経の写真を信ずるなら足掛け16ヶ月しか援護事務嘱託してないですね。
これだけでも聞き取り調査勤務には時間が足りないと気が付かない方がおかしいのですが‥
(しかも採用が昭和29年10月19日だから昭和20年代は残り二ヶ月余りです)
そして沖縄タイムスの記事と産経の写真の両方を付き合わせると‥
1954年(昭和29年)10月19日援護事務を嘱託 社会局援護課勤務
1955年(昭和30年)12月中部社会事務所に社会主事として採用(異動?)
1956年(昭和31年) 1月 8日援護事務嘱託 願に依り嘱託を解く
1956年(昭和31年)10月南部社会事務所に異動
1958年(昭和33年) 2月社会福祉課に異動
1958年(昭和33年)10月社会局援護課に異動
‥何の問題もなく岩波側の主張と産経那覇支局長の出した2枚の「反証の
証拠写真」は結びつくのですが‥二枚のizaブログの写真は
全く反証になっていないです。
izaブログの二枚の写真は裁判被告(岩波)側の主張の補強証拠になってるです。
(izaブログの写真を見てもらえればわかりますが「新証拠」としての新しい写真は
産経記事を否定して岩波側記事を肯定する恰好になってるですが‥派手な自爆ですな‥
今回の写真で件の人が「照屋昇雄」氏というのは確定しました)
そして上の小山裕士産経新聞那覇支局長ブログ曰く、、、
http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/201600/
>被告が主張する照屋さんの「経歴」とはいったい何なのでしょうか?
>もはやボロボロではありませんか。
、、、いやボロボロなのは産経さんの方なんですが‥
この産経新聞那覇支局長様に情報吟味能力があるとは思えない‥
産経は再び、件の「100人斬り訴訟」の稲田朋美みたいに火をつけて煽るだけ
煽って敗訴して、知らんぷりして逃げるつもりなんでしょうか‥
>「「沖縄集団自決はない」と捏造記事を書いても無問題な産経」へのコメントレス
上のエントリーで取り上げた産経さんのizaブログ↓をよく見ると、、、
http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/195263
魚拓:http://megalodon.jp/?url=http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/195263%23cmt&date=20070620053908
、、、続報が書いてあったので載せる事にしました。
続報のizaはこれ↓です。
http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/201600/
魚拓:http://megalodon.jp/?url=http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/201600/&date=20070621001844
そして沖縄タイムスの記事では照屋昇雄氏の経歴は被告(岩波)側によると、、、
1955年(昭和30年)12月中部社会事務所に社会主事として採用。
1956年(昭和31年)10月南部社会事務所に異動
1958年(昭和33年) 2月社会福祉課に異動
1958年(昭和33年)10月社会局援護課に異動
、、、となります。だから「昭和20年代後半には照屋氏は援護課で
集団自決の聞き取り調査をする立場にない」というのが被告(岩波)側の主張です。
そして岩波側に対する反証として産経側の示した写真はこの↓二つです。
http://koyamay.iza.ne.jp/images/user/20070620/85122.jpg
http://koyamay.iza.ne.jp/images/user/20070620/85135.jpg
照屋昇雄氏について各々の写真は
1954年(昭和29年)10月19日援護事務を嘱託 社会局援護課勤務
1956年(昭和31年) 1月 8日援護事務嘱託 願に依り嘱託を解く
となっています。産経の写真を信ずるなら足掛け16ヶ月しか援護事務嘱託してないですね。
これだけでも聞き取り調査勤務には時間が足りないと気が付かない方がおかしいのですが‥
(しかも採用が昭和29年10月19日だから昭和20年代は残り二ヶ月余りです)
そして沖縄タイムスの記事と産経の写真の両方を付き合わせると‥
1954年(昭和29年)10月19日援護事務を嘱託 社会局援護課勤務
1955年(昭和30年)12月中部社会事務所に社会主事として採用(異動?)
1956年(昭和31年) 1月 8日援護事務嘱託 願に依り嘱託を解く
1956年(昭和31年)10月南部社会事務所に異動
1958年(昭和33年) 2月社会福祉課に異動
1958年(昭和33年)10月社会局援護課に異動
‥何の問題もなく岩波側の主張と産経那覇支局長の出した2枚の「反証の
証拠写真」は結びつくのですが‥二枚のizaブログの写真は
全く反証になっていないです。
izaブログの二枚の写真は裁判被告(岩波)側の主張の補強証拠になってるです。
(izaブログの写真を見てもらえればわかりますが「新証拠」としての新しい写真は
産経記事を否定して岩波側記事を肯定する恰好になってるですが‥派手な自爆ですな‥
今回の写真で件の人が「照屋昇雄」氏というのは確定しました)
そして上の小山裕士産経新聞那覇支局長ブログ曰く、、、
http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/201600/
>被告が主張する照屋さんの「経歴」とはいったい何なのでしょうか?
>もはやボロボロではありませんか。
、、、いやボロボロなのは産経さんの方なんですが‥
この産経新聞那覇支局長様に情報吟味能力があるとは思えない‥
産経は再び、件の「100人斬り訴訟」の稲田朋美みたいに火をつけて煽るだけ
煽って敗訴して、知らんぷりして逃げるつもりなんでしょうか‥
問題のT氏の辞令の写真を見ると、
本文1行目に>「援護事務を嘱託す」とありますが、嘱託という文言は一般行政職の職員に対して普通使われる文言ではないと私は思うのですが。(一般の職員であれば、「○○(役職名)に採用する」とか「○○に任用する」という文言を使う・・・はず)
当時の琉球政府の法令及び人事規則がどうなっていたのか知らないので、確実なことはいえませんが、地方公務員は、地方公務員法※1(昭和25年施行)第3条第1項で、一般職と特別職に区分されると規定され、嘱託(員)については、同条第3項3号で特別職として規定されており、同号には「臨時又は非常勤の顧問、参与、調査員、嘱託員及びこれらの者に準ずる者の職」とありますので、一般の職員ではなく、必要に応じて雇用される臨時職員に対して行われる辞令の文言ではないかと推察します。
こうしたことからすると、T氏は29年10月から、30年11月に中部社会事務所に社会主事として採用されるまでの期間は社会局援護課の援護事務を担当する臨時もしくは非常勤の職員であったと見るのが妥当で、よって、一般職員の人事記録に何も残っていなくても、(件のブログでは過去の人事記録が改ざんされている・・・と言っているようですが)別に不自然ではない(非常勤職員の人事記録は通常別に記録される)と思いますが。
もっとも、地方公務員法の件の条文を見てもわかるように、非常勤職員といっても、専門技能職から顧問、はたまた事務手伝いクラスまでピンキリですので、原告側はこの時期にT氏がどんな業務を担当していたか(主張の通り旧軍人軍属資格審査委員会委員として従事していたのか、それとも援護事務のアルバイトだったのか)を立証する必要があると思うのですが。
なお、辞令本文2行目には
>日給150円を給する。
とありますが、普通行政庁の一般職員に対しては、俸給表といわれる、経験年数および役職に応じた給与表に基づいて、賃金は月給として支払われるのが通常※2なのですが、T氏の場合は、日給という形式で賃金が支払われているところから見ても、琉球政府の一般職員ではなかったと見るのが妥当ではないかと思います。
長々書きましたが、最も大切な事は、琉球政府の職員になったのがいつかの詮索よりも、T氏がA元戦隊長と協議して架空の軍命令を作成して、厚生省に提出したと主張している時期に、T氏が当該業務に携わる立場にあったかどうかという点が最も重要なポイントなのであって、原告側はこのことを立証する責任があると思いますが、どうも見るに、そういう地道な作業をしている様にはとても思ないのですが。
(ただ、私は、T氏が主張している厚生省への文書の提出時期を知らないので何ともいえないです・・)
※1当時の沖縄は米国統治下なので地方公務員法の適用は当然受けていませんが、公務員制度全体からみても、本土とは、そう大きな差違はなかったと思いますが・・・。
※2琉球政府の人事規則がどうなっていたのか不明ですが、それでも職員全員、日当で給与を支払うということないと思います・・・
詳細な情報ありがとうございます。
私も件のizaブログの写真で「嘱託」の文言が気になっていたのです。
どうみても琉球政府プロパーの職員とは思えないですから。
別にわたしはモメている側の中の人ではありませんが
それでも私の見立てが正しいかどうか多少不安ではありましたが
ノンポリ様の情報で多少自信をもてました。
>T氏は29年10月から、30年11月に中部社会事務所に
>社会主事として採用されるまでの期間は社会局援護課の
>援護事務を担当する臨時もしくは非常勤の職員であった
>と見るのが妥当で、よって、一般職員の人事記録に
>何も残っていなくても、(件のブログでは過去の人事記録が
>改ざんされている・・・と言っているようですが)
>別に不自然ではない(非常勤職員の人事記録は通常別に記録される)と思いますが。
やはりそうでしたか。という事は被告(岩波)側の人事記録提出が
昭和30年12月~となっているのも別に不自然ではないし、
誠実に人事記録を調べれば必然的にそうなる訳ですね‥
件のizaの写真はなおさら岩波側の人事記録証拠と整合性が出てくる訳ですね。
そして、
>T氏がA元戦隊長と協議して架空の軍命令を作成して、厚生省に
>提出したと主張している時期に、T氏が当該業務に携わる
>立場にあったかどうかという点が最も重要なポイント
この「T氏が当該業務に携わる立場にあったか否か」証明(疎明)は
悪魔の証明ではないので明白に立証責任は原告側にあります。
しかしどうも立証の為の材料を集めている様子ではなさげですね。
また産経は煽るだけ煽って逃げるのかもしれません(全然「美しくない」行動‥)。
照屋昇雄
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BEȲ%B0%BE%BAͺ
情報ありがとうございます。
ここに情報を組みこまさせていただきましたです。
http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/40ad3caae4d9d14c3b9de6c92d41f533
>集団自決訴訟原告敗訴で吠える産経