羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

朝カル、火曜クラスの方へ 無意識の弛緩考

2006年04月12日 08時38分54秒 | Weblog
 昨日、朝日カルチャーの火曜日クラスでは、「ライン・ダンス」を試してみた。
 ミュージカルの「コーラス・ライン」やパリの「ムーラン・ルージュ」のシーンを思い出す方が多いかもしれない。
 
 実は、このライン・ダンスのやり方を、野口先生によって生まれてはじめて教わった私は、その楽しさを30年ちかく前に知ったのだった。
 学生にもクラスによってはやっているのだが、はじめのうちは恥ずかしがりながら、しかし、やっているうちに楽しくなって、リポートにもその心の変化が書かれている。
 
 上手に踊らなければいけない、足を高く上げなければいけない、リズムにピタッと合っていなければいけない、そういった条件をはずしてしまえば、後ろ手でつないでみんなでなんとなく踊ってしまうこともなかなか面白い体験のようだ。

 時に、人は真面目さから開放されて、日常を脱出する時間と空間が大切だと思っている。ダンス体験は、日本人にとってはかなり非日常的な体験だ。高齢者を対象とした社交ダンス人気も一部ではあるようだが、数は少ないだろう。
 野口先生は、フォークダンスの基本を一年に一回は取り上げていらした。それは若き日の先生の体験に根ざしている。ダンスへの強い興味は、戦後すぐに江口隆哉・宮操子舞踊公演を見て、その研究所に入所し、そこで過した時に芽生えたものだった。
 
 戦後、野口先生は、警察学校の教官をしておられた時期があった。
 偶然にも、そのときの生徒だった人が、ある県警本部長を定年退官してから野口教室に参加された。
「もしかして、あのときの教官ではなかったかしら」
 彼は、若いころの日記をめくってみた。
 すると堅物ぞろいの教官の中で「フォークダンス」を教えてくれた野口先生のことが、日記に記されていたことに気付いた。
「やっぱり」と彼は頷いたという。
 野口先生への印象が、好感をもって書かれているそのコピーをいただいたのは、かれこれ十年以上も前のことだった。

 さて、昨日の「ライン・ダンス」だが、終わったときの様子を恐る恐るみていると、息を弾ませながらも、いきいきした笑い顔に表情が変わった方が多く、内心、ほっとしていた。
 何故って、暦年齢は、侮れない。このクラスの平均年齢は、大学生とは親子ほど離れた年齢なのだから。
 
 しかし、なのである!
 そのあとの「上体のぶらさげ」は、驚くほど地球の中心に重さで流れていくからだに変化していった方がほとんどだった。
 ほどよい「緊張」は、無意識の「弛緩」を生む。「力を抜きましょう」という言葉は要らなかった。つまり、筋肉は緊張したら緩みたくなり、緩んだら緊張したくなることのからだの実証だった。
 
 脳にも日ごろ行わない新しい刺激が、カンフル剤としていい。
 但し、ほどほどの見極めが、難しいことも確かだ。
 
 来週は、ダンスはしませんから、火曜クラスでこのブログをお読みの方は、ご安心を!
コメント
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