東京藝術大学の定年は、国立大学の中でいちばん遅い。
67歳をもって退官することになる。
野口三千三先生は、昭和24年・35歳で着任して32年間、勤め上げた。
そして83歳でなくなるまで、野口体操の指導一筋にいきておられた。
これは大変なことだとおもう。
大学生というのは、18・9歳から20代前半、藝大の場合は浪人して入学する学生もいるので、一般大学よりも年齢が高い学生もいたりする。
それにしても60代になれば孫の世代である。
血気盛んな若者を相手に、自ら動き話をしながら授業を行うのは、相当なエネルギーを必要とする。気力だけではどうにもならないものがある。
このようなことを感じるのは、大学の授業を終わって、帰途に着いたときだ。
駅の階段を昇り、電車に乗ったとき、つくづくおもう。
2コマ続きの授業など、どうしても後のコマのほうが、滑らかに授業が進む。
無意識のうちに前のクラスで違和感があったり、うまく伝わらなかったり、話の流れが今ひとつだったりすることを、敏感に感じ取るらしい。そこで、2コマ目には、そうしようと意識的に行わなくても、自然に軌道修正をしていることに気づく。
5年間大学の授業を行ってきて、毎年、新しい感じがする。慣れることはある。しかし、野口体操を伝える行為は、マンネリズムに陥ることはないようだ。人から人に伝えていく行為というものは、百人の人に出会えば、百の新しい出会いがある。その出会いによって、新しい伝え方の軌跡がそのつど生まれてくる。同じ授業というのは、まったくありえないところが、面白い。
これは大学の授業だけではない。年齢もさまざま職業もさまざまな集まりであっても、同じことを経験する。
その意味では、毎回、一期一会なのである。
野口三千三先生の晩年は、レッスンすることを楽しまれておられた。全身全霊を傾けて、授業・レッスンに望まれた。
私は、今、57歳。まだまだ先は長い。サステナブルとは、私自身の問題である。野口体操を伝えるのに、持続可能な期間の命がどこまで可能だろうか。時々、そんなことを電車の中でおもう。
授業が終わると、ずっしりとからだの重さを感じたりする。充実感がある。反省もある。すると「来週は、○○しよう!」と、次の授業のイメージが浮かんでくる。
「羽鳥さんの後継者は?」
その条件は、ありすぎて困る。
とにかく10本の指では、間に合わないかもしれない。
ある方に話をした。
「胃も痛くなってもしかたないですね。でもまだ57歳でしょ。あせらなくても……」
またある方は言う。
「一日にして指導者になれるわけではないし、10年~20年の歳月はいるのだから、はやいところ出てきてくれないと」
こればかりは強引に誰かを連れてくるわけにはいかないなぁ~。
そうそう、柏樹社が潰れて、野口体操関係の本が巷から一切消えてしまったとき、ひたすらに祈った。
するとどうでしょう。
「春秋社から、本を出しませんか」
メールが入ったのだ。おかげさまで現在、春秋社から著書がそろって出版されている。
「念ずれば花ひらく」ことを信じて、念ずることに決めた。
しばらくは「念」の一字を懐に入れて授業に臨んでいる。
こうして、若い方と過ごす授業が始まったら、あれほど不調だった胃は、すっかりよくなった。
今日も、若さに元気をいただいて帰宅した。
ご心配をかけました。
67歳をもって退官することになる。
野口三千三先生は、昭和24年・35歳で着任して32年間、勤め上げた。
そして83歳でなくなるまで、野口体操の指導一筋にいきておられた。
これは大変なことだとおもう。
大学生というのは、18・9歳から20代前半、藝大の場合は浪人して入学する学生もいるので、一般大学よりも年齢が高い学生もいたりする。
それにしても60代になれば孫の世代である。
血気盛んな若者を相手に、自ら動き話をしながら授業を行うのは、相当なエネルギーを必要とする。気力だけではどうにもならないものがある。
このようなことを感じるのは、大学の授業を終わって、帰途に着いたときだ。
駅の階段を昇り、電車に乗ったとき、つくづくおもう。
2コマ続きの授業など、どうしても後のコマのほうが、滑らかに授業が進む。
無意識のうちに前のクラスで違和感があったり、うまく伝わらなかったり、話の流れが今ひとつだったりすることを、敏感に感じ取るらしい。そこで、2コマ目には、そうしようと意識的に行わなくても、自然に軌道修正をしていることに気づく。
5年間大学の授業を行ってきて、毎年、新しい感じがする。慣れることはある。しかし、野口体操を伝える行為は、マンネリズムに陥ることはないようだ。人から人に伝えていく行為というものは、百人の人に出会えば、百の新しい出会いがある。その出会いによって、新しい伝え方の軌跡がそのつど生まれてくる。同じ授業というのは、まったくありえないところが、面白い。
これは大学の授業だけではない。年齢もさまざま職業もさまざまな集まりであっても、同じことを経験する。
その意味では、毎回、一期一会なのである。
野口三千三先生の晩年は、レッスンすることを楽しまれておられた。全身全霊を傾けて、授業・レッスンに望まれた。
私は、今、57歳。まだまだ先は長い。サステナブルとは、私自身の問題である。野口体操を伝えるのに、持続可能な期間の命がどこまで可能だろうか。時々、そんなことを電車の中でおもう。
授業が終わると、ずっしりとからだの重さを感じたりする。充実感がある。反省もある。すると「来週は、○○しよう!」と、次の授業のイメージが浮かんでくる。
「羽鳥さんの後継者は?」
その条件は、ありすぎて困る。
とにかく10本の指では、間に合わないかもしれない。
ある方に話をした。
「胃も痛くなってもしかたないですね。でもまだ57歳でしょ。あせらなくても……」
またある方は言う。
「一日にして指導者になれるわけではないし、10年~20年の歳月はいるのだから、はやいところ出てきてくれないと」
こればかりは強引に誰かを連れてくるわけにはいかないなぁ~。
そうそう、柏樹社が潰れて、野口体操関係の本が巷から一切消えてしまったとき、ひたすらに祈った。
するとどうでしょう。
「春秋社から、本を出しませんか」
メールが入ったのだ。おかげさまで現在、春秋社から著書がそろって出版されている。
「念ずれば花ひらく」ことを信じて、念ずることに決めた。
しばらくは「念」の一字を懐に入れて授業に臨んでいる。
こうして、若い方と過ごす授業が始まったら、あれほど不調だった胃は、すっかりよくなった。
今日も、若さに元気をいただいて帰宅した。
ご心配をかけました。