羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

間奏曲~Chapel にて

2006年11月10日 07時19分03秒 | Weblog
昨日、知人に大学まで車で送ってもらった。
思いがけず早く到着してしまった。
大学の構内は、レンガ造り・瓦屋根の古い校舎群に、同じ雰囲気を保った新しい建物が違和感なく混ざっている。
そのなかでもチャペルは、一番古い建物である。
時間が余っていたので、久しぶりに足を踏み入れた。というのもパイプオルガンの音色に引き寄せられてしまったから。
木の椅子に腰掛けて、しばしコラールを聴く。

秋晴れの日。高い窓からは日が差し込んで、教会がもつ独特の静謐さが内部を包む。オルガンを弾く学生のほかには、誰もいない。
11月にしては暖かな空気に身を浸して、オルガンの音に意識を溶け込ませてみる。クリスチャンではないが、この雰囲気は好きだ。やっぱり、バッハなどの教会音楽は、コンサートホールではないこのような場で聞くことで、本来の音楽になることを確認する。

ちょっともてあます時間。何もすることない時間。何も考えない時間。非日常空間にいる時間。

佐々木正人さんが、風景の肌理ということを話された。本にも書いた。
風景の肌理は、なだらかに移行する。祭壇から私が腰掛けている固い木の椅子まで、切れ目な肌理はつながる。ひとつの場に位置しながら、部屋全体の肌理をなめるように移動させながら見続ける時間。

音にだって肌理はある。
カラリとした秋の空気のなか、パイプオルガンの乾いた音は、さらに乾いていく。音の境界は、ある種の固さを持っているからこそ、音楽の輪郭を描き出すことができることを知った。

今週の火曜日の朝、捻挫した足のことも忘れて、いい時間を持った授業前の風景。
写真をクリックすると大きく映ります。
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