羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

はまってしまった! 佐藤優著作

2007年02月28日 19時33分14秒 | Weblog
 野口体操を始めた30年くらい前のこと。
 ウィーン大学史学科で、日本の近・現代史を専攻する人が、阪大に留学していた。知人を介して紹介された。彼が上京するたびに、研究面で面倒を見たことがある。彼は、生粋のウィーン子だといった。そしておじいさんはお父さんとともに第二次世界大戦のときに地下抵抗運動に参加して体に障害をおったという。

「オーストリアは大国の狭間にあって、常に脅威にさらされています」
 当時は、冷戦時代であった。ソ連が崩壊するなど、予想する人は皆無だった。
「僕は、国家に頭脳労働で奉仕するために、史学を選んだのです」

 その言葉を聞いたときに、戦後日本の教育のなかに、「国家に奉仕する」などという言葉は、一度して聞かれなかったことに複雑な思いを抱いた記憶がある。

 それから10数年以上過ぎてから、ハプスブルグ家・オーストリアの歴史書を、読んだ時期があった。舞台化された「エリザベート物語」ではなく、運命の悪戯から社会主義者と一緒になって、オーストリアの戦後の国家存続に尽力し・見守ったハプスブルグ家最後の王妃エリザベートの物語を読んだことがきっかけだった。
 考えてみるとオーストリアや世界の火薬庫・東欧に思いを馳せたのは、音楽が大きく影響していた。
 
 リストはハンガリーの人だが、ハンガリーはオーストリアと二重帝国をなしていた。しかし、ハンガリーやポーランドの作曲家は、ドイツにつくかロシアにつくかフランスにつくかによって、運命が変わっていく。
 リストはドイツに、ショパンはウィーンに冷たくされて父の祖国であるフランスについた。
 日本では考えられない「力関係の狭間」で、生きる知恵を磨く人の歴史が、音楽にも色濃く残されている。
 母語だけでは生きられない。母国語だけでは生きられない。その時代の大国の言語を習得することが求められる。もちろん音楽も例外ではない。ドイツ的音楽語法・ウィーン的音楽趣味・フランス的音楽精神のどれかを身につけることで、音楽家として一家を成すのである。そうしなければ一家を成すことは不可能な現実があった。
 
 ハプスブルグの歴史を読んでから、再び彼の研究テーマを思い起こした。
 国を護るという意識から近・現代史を専攻するのは、当然の成り行きだったのだろう。大国に囲まれて生きる民族の体にしみこんでいる「恐怖」がもとになっている。

 今、佐藤優著『獄中記』を読み終えて、『自壊する帝国』を読み始めた。
 はまってしまった一つわけが、「これかな?」と思える記述にであった。
 佐藤氏は、組織神学を学ばれたという。
 組織神学とは、『キリスト教と他の宗教や哲学を比較して、キリスト教がいかに正しいかを証明し、他者に説得する「護教学」という学問の現代版』
 なるほど、彼の文章にはまってしまうのは、この学問的な基礎訓練が底流にあるからに違いないなどと思いつつも、本を手から離すことが出来ずに、持ち歩くのである。持ち歩く根底には、読めば読むほどに、カトリック・プロテスタント・ロシア正教といった、それぞれの宗教の様相が見えてくることに惹かれてしまうこともあると気づく。

 ところでミネラルフェアでお目にかかる鉱物学の堀秀道先生は、ロシアで鉱物学を学ばれた。堀先生は、皆がイギリスやアメリカに留学する時代にロシア(ソ連)に行かれた。その理由が、この『自壊する帝国』を読みながら、わかるような気がする。
 6月には、フェア会場で、堀先生にお目にかかれるだろう。
 ミネラルフェアの楽しみがもう一つ増えた。
コメント
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