羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

70年代末から80年代にかけて

2008年05月17日 07時48分32秒 | Weblog
 吉野裕子さんの思い出を書いていたら、1970年代末から1980年代にかけてのことを次々と思い出した。

 しばらく前にNHKの「知るを楽しむ」の再放送で、‘白川文字学’について松岡正剛さんが話されていたのを2回だけ聞くことが出来た。
 70年代80年代は、白川さんも吉野さんもこれほど認知される前だったが、当時、若者のサブカルチャー的な文化を『タオ』を中心に牽引していた工作舎は、野口先生を含めて3人にアプローチしていた。
 野口先生は病気と重なって工作舎とのご縁は結べなかった。
 その頃はまだ松岡さんも工作舎に深く関わっておられて、というか松岡さんの工作舎だったように記憶している。一度、たずねたことがあった。
 
 その時期に前後して、八王子の美術大学の大学祭で、松岡さんと野口先生の対談が企画された。
 学生が90名くらいいただろうか。かなり大きな部屋にびっしり詰め掛けていた。
 最初、2時間以上、野口先生が実技を伴った独演会(?)をなさって、松岡さんはひたすら聞き役というか視聴者として用意された場所に陣取っておられた。

 結局、野口先生は松岡さんと挨拶以上の言葉は交わさず「お先に失礼します」と言い残して、さっさと大学を後にしてしまわれた。
 その後は、松岡さんが一人残って夜まで、独演会をなさったと風の便りに聞くことが出来たが、なんだか申し訳ないような気分に私は陥っていた。

 身体運動を伴う‘野口体操の価値観’は、動くことなしに理解されることはないという、野口先生の独断が対談を成立しにくいものにしていたのだろうか。そのあたりは理解の外にある。

 当たり前だが、自分も含めて皆若かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする