羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

土曜日

2009年04月25日 11時55分42秒 | Weblog
 これから新宿・朝日カルチャーセンターに出かける。
 土曜日クラスは3時30分からなので、午前中からはやい午後にかけてたっぷり時間がある。
 その間、他の仕事を入れることは滅多にない。
 土曜日のクラスは、一日、一クラスで、という決まりがあるわけではないが、野口の時代からそうしている。

 野口が存命の頃、午前中は料理の時間だった。‘常備菜’をつくって持っていき、カルチャーで手渡すことができたからだった。それは亡くなる間際まで続いていたので、20年間に渡っていた。
 そして、野口が入院しているときなどは、医者のインフォームドコンセントを受けたり、そのほか入院生活で必要なことをこなしたりしていた。
 入院といえば、父の場合も同様だった。土曜日の午前中は、病院に出向き、その足でカルチャーセンターに向かっていた。

 二人が鬼籍に入ってからは、土曜日の午前中は、午後からのレッスンの最後の準備に時間を当てることができるようになった。
 
 さて、本日のテーマは‘フラット化する内臓感覚’。
『原初生命体としての人間』の一部を新しく読み直す試みだ。
 読み直すといっても、座学だけではなく実際にからだを動かすことによって今までも何度となくやって来た動きに違った角度から光を当てるようにしたい。

 右も左もなく、イデオロギーとは無縁のところにあっても、尚、野口体操が真に革新的であり、ある人々からは共感を持って‘危険思想’と言われる由縁が最近になって私のなかでわかり始めてきた。
 実は、野口体操は危険思想でもなんでもなく、グリーン革命と言われエコが叫ばれる時代に先立って、地球大で人間を捉える思想だった。
 時代をはるかに先取りした体操は、きっと他にはないのかもしれない。
コメント
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