昨日、放送分だったが、思わず笑ってしまったシーンがある。
太巻さんが喫茶店に入って来る。そのとき携帯電話でなにやら忙しそうに話をしている。
もう、それだけで太巻さんが出世したことがわかる。
さて、ここからが笑いのシーン。
田舎に帰るという春子ちゃんを引き止める。一生懸命引き止める。
しかし、頑として譲らない。あげく声を荒げて太巻さんを切って捨てる。
その数秒前のことだが、当時の携帯電話はセパレートになっていて、電話機も大きかったが、それ以上に受信発信する本体が男性用の中セカンドバックくらいの大きさがあって、重さも相当だった。
「この携帯がもっと小さくならないと……」
太巻さんは、言う。
「売り出すのは無理だ」と。
携帯電話の初期は、「携帯」とは名ばかりで、持ち歩きは非常に不便だった。
その上、ビルの中や地下道では送受信ができず、使えるところの条件が沢山あった。
近くに大きな建物がないこと。木造の建物だとしても、窓際や出入り口のみの使用。
更に機器の値段も通話料金も相当に高かった。
実は、当時、野口先生は、朝・昼・夜(時に夕方のプラス)と一日に最低3回ほど、用事があってもなくても我が家に電話を入れていた。つまり定期便なのだ。
で、外出した際は、外からも電話をかけて来る。そんなとき公衆電話を使うのが面倒なので、始まったばかりの携帯電話をほしがったのである。
「金に糸目はつけません。あったら便利そうだしね」
そこで池袋駅前にあったNTT、今はdocomoになっているのかな? 調べる役目を私が仰せつかった。
聞いた結果は、先にかいたような状態で、結局は持っても無駄だ、ということでこの話はボツになった。
「もっと、小さくて、軽くて、つながりが自由だったらいいのに」
朝ドラを見ながら、二昔以上も前に引き戻された。
なんとも懐かしかった。携帯の進化はものすごいね!社会の有り様を根底から変えちゃったわ。
今、野口先生がご存命だったら、真っ先に飛びつかれたにちがいない。私も先生からの電話定期便時に、自宅に待機している必要はなかった!のだ、と苦笑しつつも、過ぎてしまえば懐かしい、の一言。
そういえば、ある超著名な先生は、電話で受けるだけの私設秘書を雇っていらした。当時はそういう仕事があった。用事がある時は、そこに連絡する。しばらくすると折り返しの電話がご本人から入る。
そういう時代だった。
おばさん、おじさんが「あまちゃん」をついつい見てしまうわけは、こんな細部の緻密な描写にあるんだなぁ~。時間的な厚み、空間的な厚み、生活や習慣、流行を再現してくれることで、朝の一時、昔を思い出して時間が引き戻される。
若い人には言葉の説明が必要だが、中高年者は身体感覚として記憶が刻まれているので説明は必要ない。それどころか、ちょっとしたシーンから派生して、豊かな、でもちょっとほろ苦い経験までもが呼び覚まされる。
「そうそう、あーだったのよ。そういえばそんなこともあったわねぇ~」
そして、現代の若者と一緒になれる感覚が、たまらないのかも?!
ごちそうさまです。
太巻さんが喫茶店に入って来る。そのとき携帯電話でなにやら忙しそうに話をしている。
もう、それだけで太巻さんが出世したことがわかる。
さて、ここからが笑いのシーン。
田舎に帰るという春子ちゃんを引き止める。一生懸命引き止める。
しかし、頑として譲らない。あげく声を荒げて太巻さんを切って捨てる。
その数秒前のことだが、当時の携帯電話はセパレートになっていて、電話機も大きかったが、それ以上に受信発信する本体が男性用の中セカンドバックくらいの大きさがあって、重さも相当だった。
「この携帯がもっと小さくならないと……」
太巻さんは、言う。
「売り出すのは無理だ」と。
携帯電話の初期は、「携帯」とは名ばかりで、持ち歩きは非常に不便だった。
その上、ビルの中や地下道では送受信ができず、使えるところの条件が沢山あった。
近くに大きな建物がないこと。木造の建物だとしても、窓際や出入り口のみの使用。
更に機器の値段も通話料金も相当に高かった。
実は、当時、野口先生は、朝・昼・夜(時に夕方のプラス)と一日に最低3回ほど、用事があってもなくても我が家に電話を入れていた。つまり定期便なのだ。
で、外出した際は、外からも電話をかけて来る。そんなとき公衆電話を使うのが面倒なので、始まったばかりの携帯電話をほしがったのである。
「金に糸目はつけません。あったら便利そうだしね」
そこで池袋駅前にあったNTT、今はdocomoになっているのかな? 調べる役目を私が仰せつかった。
聞いた結果は、先にかいたような状態で、結局は持っても無駄だ、ということでこの話はボツになった。
「もっと、小さくて、軽くて、つながりが自由だったらいいのに」
朝ドラを見ながら、二昔以上も前に引き戻された。
なんとも懐かしかった。携帯の進化はものすごいね!社会の有り様を根底から変えちゃったわ。
今、野口先生がご存命だったら、真っ先に飛びつかれたにちがいない。私も先生からの電話定期便時に、自宅に待機している必要はなかった!のだ、と苦笑しつつも、過ぎてしまえば懐かしい、の一言。
そういえば、ある超著名な先生は、電話で受けるだけの私設秘書を雇っていらした。当時はそういう仕事があった。用事がある時は、そこに連絡する。しばらくすると折り返しの電話がご本人から入る。
そういう時代だった。
おばさん、おじさんが「あまちゃん」をついつい見てしまうわけは、こんな細部の緻密な描写にあるんだなぁ~。時間的な厚み、空間的な厚み、生活や習慣、流行を再現してくれることで、朝の一時、昔を思い出して時間が引き戻される。
若い人には言葉の説明が必要だが、中高年者は身体感覚として記憶が刻まれているので説明は必要ない。それどころか、ちょっとしたシーンから派生して、豊かな、でもちょっとほろ苦い経験までもが呼び覚まされる。
「そうそう、あーだったのよ。そういえばそんなこともあったわねぇ~」
そして、現代の若者と一緒になれる感覚が、たまらないのかも?!
ごちそうさまです。