羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

婦人画報6月号

2016年05月04日 11時37分36秒 | Weblog
 昨晩、入院加療中の佐治さんから、電話をいただいた。夜の7時半過ぎのことだった。話をしているうちに、この月刊誌を送ってもよいですか、と。
 坂本龍一さんが、今年、癌治療から復帰された。治療中のこと、復帰後のことなどを記事にしているので、お送りしたいと思いつつ、躊躇いがあったことを告げた。
 するとご覧になりたいということで、すぐ注文し、先ほどご自宅に配送が完了したという通知がAmazonからメールがきた。
 東京のレストランの特集、その他に、宝石、ドレス、和装、その他、10万円もするような大人スニーカー等々。
 華やかな写真におさまっているのは、縁遠い”もの”ばかり。
 しかし坂本さんの「健康と音楽」のページは、編集部の良心というか、気概が感じられる紙面になっている。他との対比が実に妙なのである。
 ある意味での現代がそっくり一冊に入り込んでいる。
 数日前にFBの広告で目にして手に取った。婦人雑誌とはいえ、癌との共生は私たちの必須条件になりつつある、ということなのだろう。
 
 佐治さんがどのような思いでお読みなるのか、まだ、ちょっと心配だが。
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私はどこにいくのだろう

2016年05月04日 07時15分02秒 | Weblog
 今年のGWは、とびとびにレッスンや授業が入っている。
 まとまった休み、といった雰囲気はゼロ。
 ずっと気にかかっていた襖をあけると無造作に積み上げてあったものがドッとあふれてくる押し入れの整理を中心に、3月に出来なかった片付けを黙々とすることにした。
 衣替えまでも終えて、昨日までで、今回の予定はクリアできた。

 今朝は、激しい雨と風の予報を信じて、昨晩のうちに洗濯もすませてあったこともあって、元日のようにスッキリした部屋で手持ち無沙汰感を味わうのも悪くない、と一時の暇を楽しんでいる。

 さて、そうした合間を縫って、本を読む時間はたっぷりとれていた。
 昨年度は野口先生の郷里に照準を合わせて、江戸期から続く「地芝居」、近代日本の礎となった「養業」関連の本を読んで、群馬にも通った。
 今年に入ってからは昭和10年前から師範学校~東京体育専門学校時代、つまり先の大戦に関心が移っていった。
『満州国演義』船戸与一 9巻、そこから派生して『評伝 今西錦司』本田靖春、当然のように『大興安嶺探検』今西錦司編 1942年に行われた探検隊の記録。
 そして体操を始めた当初、野口先生からすすめられて一度読んだことがある『文明の生態史観』梅棹忠夫 を再読した。かれこれ40年ほどの時間が過ぎた。

 昭和史、とくに満州国建国、その歴史を通史として見渡すのに、研究書や歴史書といった硬派の文章ではない書の助けをかりることにした。生きた人々の息づかいはもちろん、こまやかな生活の匂いを感じながら、私もその時代をすこしでも生きてみたかったから。
 昭和5、6年から終戦までの日本を読み込むために、自分なりのレールをつくることが出来たように思っている。
 ここから時代の肉付けをしていきたい。

 で、そこまでは、自分の足場はここにある、と安定感を抱きながらページをめくっていたように思える。
 ところが今週になって手に入った本を読みはじめて、「なんだかとんでもないところに踏み込んでしまったかな~」というこわさにおそわれてしまった。
 書名は『指紋と近代 移動する身体の管理と統治の技法』高野麻子 みすず書房である。
 まず、指紋の第一発見は、維新後に来日した英国人医師フォールズが大森貝塚から出土した器の表面に残っていた指の印象に気づいたことが研究発端になっていたという。
 そして「終生不変」「万人不動」の特徴を持つ指紋を、英国がインド領で個人識別に使いはじめ、その本格的利用を目指したのが「満州国」であったという。
《一度、登録すれば照合を通じていつでも個人情報を引き出せる指紋は統治者にとって「夢」の道具だった》
 ということだ。

 植民地政策から始まった近代的な統治はどこに向かうのか?
 そしてそれが現代社会にあってますます巧妙に巧緻になっていく「個人識別生体認証システム」が、今後、どこを目指すのか?
「識別と排除」生体認証はどこへ向かうのか?

「なんだかな~」
 野口三千三の生きた時代を知りたくて始めた読書群だったが、とうとうパンドラの箱を開けてしまった気分だ。

 そうは言いながら、「ここまできてしまったから、読了するしかあるまい」といいつつ、「私は、どこにいくのだろう」と途方に暮れている。

 本は膝に乗ったままだ。
 床の間にかけた掛け物は、ぼんやりとしか映らない。
 耳を澄ますと……
 雨はすこし小振りになったようだ。
 風もすこし弱くなってきたようだ。
 
 障子からは雲間に見え隠れする刺すような光が差し込みはじめた。
 
 5月の朝。
 時は静かに刻まれていく。
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