その会場は華やかさと熱気に包まれていた。
観客の大半は女性である。子供から高齢者まで、年令の幅はものすごく広い。
昨日(5月29日)新国立劇場・中ホールでの催し物は「江口・宮アーカイブ プロメテの火」再演であった。
江口隆哉が日本女子体育大学うや日本大学で舞踊を教えていた関係から、その伝統がモダンダンスの世界に引き継がれていることを目の当たりにした。
集まった方々はグループごとにわかれ、それぞれ同窓会のようであった。
とりわけダンスをこよなく愛してやまなかった青春時代を、なおも生きている高齢の女性達の紅潮した顔が輝いていた。
会場内は、パートにわかれたエネルギーのウェーブが、そこかしこに現れて伝わっていくようだ。
さて、15時、幕があいた。
花と蝶、木々の香りがむせぶパリのエスプリ。その色と香りが生演奏のピアノの音となって耳に心地よい。
宅孝二の曲をはじめて聴いた。
「お~、シャンゼリゼ!」
フランスの空気にのせて宮操子「春を踏む」、坂本秀子さんのダンスで公演はじまった。
「いや~ステキー」
思わず心のなかで呟いた。
「先生、宮さんに気に入られるのは、おっしゃる通り無理だったわねー」
どんなに上手に逆立ちしてみせても、彼女のお気に召すはずはないわ。
「ただ呆然と立ちすくんで、宮さんの妖艶で麗しいダンスにみとれていらっしゃたのねー、わかるわ、その感じ」
生前、野口先生からうかがったことがある。
「宮さんからは嫌われていたんだよ。江口さんと二階に上がって、ダンスの理論について語り合い、文章にしていくお手伝いを長い時間している僕に対して、踊りもしないで、わかりもしないで、理屈ばっかり、ってね」
続いてシューベルト「スカラ座のまり使い」こちらは江口隆哉作品でコミックなダンスだ。
江口さんの踊りはメランコリックだったと、金井芙三枝さんのプレトークであかされた。
三曲目は、再び宮操子「タンゴ」。
中村恩恵さんのダンスで音楽はドナートゥ。小品とはいえ圧巻だった。
宮さんでなく他の方が踊っても伝わってくる。彼女のあふれんばかりの情感とセンスは、すばらしいってことが。
ダンスを喜び、その喜びが膨張し、踊る快感に委ねられ浸されるダンスは、どれほどの至福だったろう。
敗戦後、昭和21年に、野口先生が出会った江口・宮舞踊公演に圧倒された衝撃を、十二分に思いおこさせてもらった。
「これだったのか!」
心の中で膝を打った。
「すぐにも研究所に入所を希望したはやる気持ちはよくわかりますわ」
休憩をはさんで「プロメテの火」である。この舞台を先生はご覧にはならなかったかもしれない。
66年前、1950年初演作品だから。すでに舞踊の世界は諦めて、体操に戻っていった先生だから。
この作品は、新しいアレンジで現代に甦らせたい。
場所は野外ステージ。当時のように本火を使う。音楽はもちろん生のフルオーケストラ。そこに電子音と電子音楽をドッキングさせる。踊り手は総勢100人超。コンピューターマッピングを使いながら、現代版として再構成したい。
きっと日本のモダンダンスとして最高峰の作品になりそうだ、と私は思った。
随所に息づく日本の伝統的な仕草というか振り。でありながら、十分ギリシャ神話なのである。そしてギリシャ神話を超えて人類の「火の物語」となる。
1900年生まれの日本人が、西欧のモダンダンスと出会った。その大本には謡や能、邦楽の深い素養や日本の伝統文化の造詣があったことは非常に大きい。
少し遅れて生まれてきたピアニストで作曲家の宅孝二も、江口と共通の文化的土壌に育ち欧州音楽、とりわけフランス音楽にであった。
伊福部さんになると時代はズレるけれど、こうして網羅的に近現代日本のダンスと音楽の歴史に触れることができたのだ。まさにアーカイブなのだ……。
幕がおりた時、私はまたもや隣の席の人に話しかけた。
見渡せば殆ど満席の会場。この列のなかで隣だけが空席だったが、その席は野口先生のために用意されていたのだ。
「いっしょに見ることができて幸せ……」
「そうだね、江口さんと宮さんのダンスは、敗戦後の焼け野が原におりてきた光明だったんだ!」
再炎。
観客の大半は女性である。子供から高齢者まで、年令の幅はものすごく広い。
昨日(5月29日)新国立劇場・中ホールでの催し物は「江口・宮アーカイブ プロメテの火」再演であった。
江口隆哉が日本女子体育大学うや日本大学で舞踊を教えていた関係から、その伝統がモダンダンスの世界に引き継がれていることを目の当たりにした。
集まった方々はグループごとにわかれ、それぞれ同窓会のようであった。
とりわけダンスをこよなく愛してやまなかった青春時代を、なおも生きている高齢の女性達の紅潮した顔が輝いていた。
会場内は、パートにわかれたエネルギーのウェーブが、そこかしこに現れて伝わっていくようだ。
さて、15時、幕があいた。
花と蝶、木々の香りがむせぶパリのエスプリ。その色と香りが生演奏のピアノの音となって耳に心地よい。
宅孝二の曲をはじめて聴いた。
「お~、シャンゼリゼ!」
フランスの空気にのせて宮操子「春を踏む」、坂本秀子さんのダンスで公演はじまった。
「いや~ステキー」
思わず心のなかで呟いた。
「先生、宮さんに気に入られるのは、おっしゃる通り無理だったわねー」
どんなに上手に逆立ちしてみせても、彼女のお気に召すはずはないわ。
「ただ呆然と立ちすくんで、宮さんの妖艶で麗しいダンスにみとれていらっしゃたのねー、わかるわ、その感じ」
生前、野口先生からうかがったことがある。
「宮さんからは嫌われていたんだよ。江口さんと二階に上がって、ダンスの理論について語り合い、文章にしていくお手伝いを長い時間している僕に対して、踊りもしないで、わかりもしないで、理屈ばっかり、ってね」
続いてシューベルト「スカラ座のまり使い」こちらは江口隆哉作品でコミックなダンスだ。
江口さんの踊りはメランコリックだったと、金井芙三枝さんのプレトークであかされた。
三曲目は、再び宮操子「タンゴ」。
中村恩恵さんのダンスで音楽はドナートゥ。小品とはいえ圧巻だった。
宮さんでなく他の方が踊っても伝わってくる。彼女のあふれんばかりの情感とセンスは、すばらしいってことが。
ダンスを喜び、その喜びが膨張し、踊る快感に委ねられ浸されるダンスは、どれほどの至福だったろう。
敗戦後、昭和21年に、野口先生が出会った江口・宮舞踊公演に圧倒された衝撃を、十二分に思いおこさせてもらった。
「これだったのか!」
心の中で膝を打った。
「すぐにも研究所に入所を希望したはやる気持ちはよくわかりますわ」
休憩をはさんで「プロメテの火」である。この舞台を先生はご覧にはならなかったかもしれない。
66年前、1950年初演作品だから。すでに舞踊の世界は諦めて、体操に戻っていった先生だから。
この作品は、新しいアレンジで現代に甦らせたい。
場所は野外ステージ。当時のように本火を使う。音楽はもちろん生のフルオーケストラ。そこに電子音と電子音楽をドッキングさせる。踊り手は総勢100人超。コンピューターマッピングを使いながら、現代版として再構成したい。
きっと日本のモダンダンスとして最高峰の作品になりそうだ、と私は思った。
随所に息づく日本の伝統的な仕草というか振り。でありながら、十分ギリシャ神話なのである。そしてギリシャ神話を超えて人類の「火の物語」となる。
1900年生まれの日本人が、西欧のモダンダンスと出会った。その大本には謡や能、邦楽の深い素養や日本の伝統文化の造詣があったことは非常に大きい。
少し遅れて生まれてきたピアニストで作曲家の宅孝二も、江口と共通の文化的土壌に育ち欧州音楽、とりわけフランス音楽にであった。
伊福部さんになると時代はズレるけれど、こうして網羅的に近現代日本のダンスと音楽の歴史に触れることができたのだ。まさにアーカイブなのだ……。
幕がおりた時、私はまたもや隣の席の人に話しかけた。
見渡せば殆ど満席の会場。この列のなかで隣だけが空席だったが、その席は野口先生のために用意されていたのだ。
「いっしょに見ることができて幸せ……」
「そうだね、江口さんと宮さんのダンスは、敗戦後の焼け野が原におりてきた光明だったんだ!」
再炎。