昨日、野口体操に参加していた女性が亡くなったことが知らされた。
野口三千三先生の時代から、そして没後は、朝日カルチャー「野口体操講座」で、とりわけまとめ役として気遣いの人であった。
彼女が私から見て、左手にいてくれることで、安心感が得られていた。
個人的にもお世話になって、どれほど助けてもらったことか。
なんとも惜しい。
年齢は私より一回り以上若かったから、50代半ばだと思う。
進行性の胃癌という知らせをもらったのが、今年5月中旬のことだった。
そのときには信じがたく・・・どのような言葉をかけてよいものか、と逡巡しているうちに月日が流れた。
7月末に思い切って暑中見舞いをお出ししたところだった。
6月に亡くなっていた、と聞いたときの悔しさといったらない。
ご自身が医療機関で検査を受け、病状が確定したのが、4月中旬と手紙には書かれていた。
進行性で転移あり、手術ができない状態であったらしい。
せわしなく逝ってしまわれた。
なんともやるせない。
思い返せば、最後に電話で話をしたときからすでに4年は過ぎていると思う。
朝日カルチャーの教室に、出席しなくなって、そのことを詫びる内容だった。
しかし、何回かの電話でやめる理由を一言も話すことはなかった。
お互いの関係が悪くなってこじれたわけではない、と思う。
なぜ?
疑問符がついたままの、お別れだった。
年賀状のやり取りは昨年まで続いていた。
その後の空白の一年間に、何が起きたのだろうか。
わからないままの永遠のお別れとなった。
無念さが残る。
年が若いだけではなく、世話になったことへのお礼も、何もお返しもできなかった。
そう言えば、海外旅行は趣味の域を超えていた。
ヨーロッパが中心だったと記憶している。
お母様と一緒に、ときにはひとりで、どれほどの旅を楽しまれたのだろう。
「あなたが最後に見た風景はどこですか」
美しいところ・美しいときを胸に、安らかな床についてくださったと信じたい。
若い人の死は ただ ただ 悲しい。。。。。。
野口三千三先生の時代から、そして没後は、朝日カルチャー「野口体操講座」で、とりわけまとめ役として気遣いの人であった。
彼女が私から見て、左手にいてくれることで、安心感が得られていた。
個人的にもお世話になって、どれほど助けてもらったことか。
なんとも惜しい。
年齢は私より一回り以上若かったから、50代半ばだと思う。
進行性の胃癌という知らせをもらったのが、今年5月中旬のことだった。
そのときには信じがたく・・・どのような言葉をかけてよいものか、と逡巡しているうちに月日が流れた。
7月末に思い切って暑中見舞いをお出ししたところだった。
6月に亡くなっていた、と聞いたときの悔しさといったらない。
ご自身が医療機関で検査を受け、病状が確定したのが、4月中旬と手紙には書かれていた。
進行性で転移あり、手術ができない状態であったらしい。
せわしなく逝ってしまわれた。
なんともやるせない。
思い返せば、最後に電話で話をしたときからすでに4年は過ぎていると思う。
朝日カルチャーの教室に、出席しなくなって、そのことを詫びる内容だった。
しかし、何回かの電話でやめる理由を一言も話すことはなかった。
お互いの関係が悪くなってこじれたわけではない、と思う。
なぜ?
疑問符がついたままの、お別れだった。
年賀状のやり取りは昨年まで続いていた。
その後の空白の一年間に、何が起きたのだろうか。
わからないままの永遠のお別れとなった。
無念さが残る。
年が若いだけではなく、世話になったことへのお礼も、何もお返しもできなかった。
そう言えば、海外旅行は趣味の域を超えていた。
ヨーロッパが中心だったと記憶している。
お母様と一緒に、ときにはひとりで、どれほどの旅を楽しまれたのだろう。
「あなたが最後に見た風景はどこですか」
美しいところ・美しいときを胸に、安らかな床についてくださったと信じたい。
若い人の死は ただ ただ 悲しい。。。。。。