本日は、前半の50回を数える間は、いい感じの呼吸が続いていた。
落ち着いて、ある一定の心地よいリズムで、息が吐けたのでである。
ところが後半の50回に入った途端に、背骨の伸びが急に変形して行った。
同時に呼吸が崩れるのである。
さらに30回を過ぎるころには、腕の痛みを感じて、そのままの姿勢での中で、腕を少しずつ動かしてしまった。
なんとか最後の50回目を吐ききって、それから数えることはせずに、しばらく坐り続けた。
ゆっくり脚を崩して、このままでいけない、と床に座した姿勢や、仰向け姿勢等々、座禅を始める前に行なっていた体操に戻ってみた。
はて、なぜだろう。
最初に行った時よりもよくほぐれるのである。
よく伸びるのである。
短い時間だったが、気持ちよく体操ができたのだ。
同じ繰り返しだが、これほどまでの違いに、驚いている。
座禅の間、「死語」になった言葉について考えていた。
言葉が失われるということは、実態・実体が失われること。
「ひかがみ(膕)」「東亜」「省線」
バラバラな言葉たちだが、土曜日・日曜日のレッスンで、意味を説明し、体操で試し、また「時刻表」を見ていただいて、私の中で深まって行くのを感じている。
特に「ひかがみ(膕)」については、なかなかの発見があった。
この件は、改めて書きます。