昨年の今頃、多くの人がオリンピック競技中の酷暑を心配していた、と記憶を手繰りよせている。
私もその一人。
その記憶もすっかり失せるほど、遠い過去になってしまっている。
コロナ禍の強烈な日常、いや、非日常、いや日常に、すっかり打ちのめされているからだろうか。
それでも、気が進まなくても、やる気を失っていても、とにかく日課の体操・坐禅・逆立ちだけは、どんよりした気分のまま、はじめていた。
体操をしていると、胃がんで亡くなったMさんのことが思い出された。
なくなる数年前には、理由も告げずに、曖昧なまま、教室を去っていった。
それでも旅に出る前には、復帰するお気持ちはあったのだろう。
「トルコに行ってきます。帰国したら、お土産を持って生きますね」
体操のことでも、私的にも、お世話になった。
彼女は、体操の仲間にも、一年に一度は必ずあって教室の報告をしていた独楽作家の福島さんにも教室をやめる理由については、一言も話さなかったという。
たくさん、たっくさん、言いたいことはあったのだろう。
でもそれを言うと何かいちばん大事な素敵なことが、すべて裏返って、いちばん嫌なことにでもなりかねなかったのかもしれない、と今朝になって気づかされた。
2018年5月16日付けの手紙で、病気療養が告げられていた。
その後、ほぼ1ヶ月半、6月27日に亡くなられた、とお兄様から手紙で知らされたのは、8月下旬のことだった、と今、2通の手紙を読み返している。
三回忌。
55歳は若すぎる。
言葉が見つからない。
ありがとう、だけはいいたかった。
この時には、すでに疎遠になって数年以上が過ぎていた。
2年前も、一年前も、今年の今に、かき消されていくようだ。
このブログに向かう少し前には、土砂降りの雨の音を聞きながら、逆立ちの姿勢で息する回数を数えていた自分がいた。
今、この時、この場で、生きている自分の命に、不思議さを感じることは、はじめてのことかも知れない。
やるせなく
かたじけなく
せつなく
ありがたく
いとおしく
しみじみ 思うこと 多し。