先週の月曜日、窓越し面会でのこと。
一時は簡易陰圧室での面会ができた。写真はその時のもの。
ところが、再びそれもできなくなって、窓越しに戻ってしまって久しい。
耳が遠い母とのコミュニケーションには、スケッチブックに伝えたいことを書いてそれを読んでもらっていた。
ところが最近では声を出してくれなくなった。
そして、とうとう6月13日には面会の間に、母は眠ってしまった。
「この頃、昼夜逆転しています」
介護士さんはそう話ながら、母の肩を叩いて起こそうとしてくれた。
薄目を開けるもののすぐに眠ってしまう。
そして、15分の面会時間が終わって、施設を後にした。
帰りの道道、私の心に芽生えた、次回母を訪ねることに躊躇う気持ちに気づいた。
「窓越しでもなく、陰圧室でもなく、直接手で触れる距離で会えるのなら、眠っている母でも会いに行きたい」
それが正直な気持ちだった。
本日、6月26日付け 日経新聞朝刊『高齢者の認知機能低下ーコロナ下8割の施設で確認 規制緩和 環境作り急務」の記事を読んだ。
コロナ下が長引くほど行動制限による心身の健康リスクが高まる、と書かれている。
その通り!
行動制限を緩和しやすい環境作りを施設に提言する、ともある。
その通り!
でも、母の先日の様子を思い出すと、遅きに失した感じがする。
坂を転げ落ちるスピードは、かなり早くなっている?
ある種の覚悟が自分の中に起こってきていることも感じる。
さて、パンデミックは、社会のあらゆるところに大きな負の影響を与えているが弱い人への影響は、新聞に書かれていなくても殊更に大きいとつくづく思う。
さて、これからどうやって立て直していくのだろう。
そういう私も少なからずコロナ下制約の影響を受けている。
母とのこともふくめて、どう生きるのか?
自分に問いかけているが、これだという答えは得られない。
なんでもいいから、一日を行動の中で過ごすことに。
って、わけで億劫になっていた雑巾掛けに取りかかったのは今朝のこと。