『「野口体操」ふたたび。』が出版されて、ほぼ5ヶ月。
その間、私は何をしていたのだろう。
いろいろあった。
そして8月。
お盆も終わった。
日暮れも早くなって、空を見上げると、月の光は秋を思わせる色に変わりつつある。
「そろそろ、三千三伝に戻らないと」
思いはあるのだけれど、今ひとつのジャンプが必要だ。
確かに、野口ノート読みは一区切りした。
後は同時期の新聞・週刊誌・月刊誌等々の資料を読むこと。
ほとんどが、デジタル化してあるのでPCで読むことになる。
「反田さんのショパンを聞きながら、いつまでも資料読みを続けていたーい」
キッカケがほしい!
始める前に、キャビネットにしまってある本の整理をしておこう。
見つけたのがこの本である。
『戦地の図書館ー海を越えた一億四千万冊』モリー・グプティル・マニング著 松尾恭子訳 東京創元社
米国と日本の戦時における兵士への向き合い方の違いに気づいかされた一冊だった。
そもそもナチスドイツが「純粋なドイツ人」らしからぬ本を一億冊焚書したことに対抗して、米国が戦地に一億四千万冊の本を送った話。
シェイクスピア、ディケンズなどの名作や詩集、ミステリ、娯楽本に混じって、復員後の職業選択に道を開く実用本まであったという。
兵士は戦場で死なせるのではなく、本国へ帰還させ、それからの人生をよりよいものにしたい。その思いがこめられたプロジェクトだといえる。
本は武器だ、といってしまうと身も蓋もないが、食糧・水・医薬品、安全な寝床と同じ必需品。
かけがいない「精神の糧」を配ることで、兵站が本当に充実したものになる。
米国の図書館員は全国から寄付された本を、次々と戦場に送った。
さらに軍と出版業界は、写真にあるようにポケットにも入るサイズ、ペーパーバックの「兵隊文庫」を発行して、あらゆるジャンルの本を世界中の戦地に送り届けた。
兵士の手に届く本は、いっさい検閲を行わなったという。
フィリピンで、兵士が「捨て駒」として消耗される様を描いたものまで、戦場の真実として、知る権利として、推薦図書として送り届けた、という。
2016年7月3日(日)の日経新聞書評
《ヒトラーは書物や文学の言葉が人を動かすこと、その脅威を知っていたからこそ、死にもの狂いで本を燃やしたのだ。そのメモリサイド(記憶の虐殺)に対抗するのが、兵隊文庫だった。(評 翻訳家 鴻巣友季子)》
私家版とはいえ、私の手元にある資料の山を見ながら、書くことの重さを測っている。