最近のベストセラーの題名が非常に長くなった、という記事を読んだ。
以前、拙著の題名をつける時に、編集の方から「11文字以内で考えましょう」と言われてことを思い出した。
本日のブログの件名は19文字になってしまった。
さて、ここからが本題。
竹内敏晴の『ことばが劈かれるとき」を再読しながら、野口三千三の心情をあれこれ想像した。
文章に落とし込む手前で立ち止まっている。
野口曰く
「竹内さんは ぶどうに会 から離れて路頭に迷っていたわけ。そこで自分にできることをやってあげたいなぁ〜」
野口の竹内さんに対する協力は長い年月継続していた。
そもそも、名著『ことばが劈かれるとき』出版の手筈。
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宮城教育大の教員に推薦したこと
他にも挙げたらキリがない。
つまり竹内演劇研究所への全面協力だけでない さまざまな道をひらく協力を惜しまなかったと野口は語ってくれたことがあった。
それでも別れの時は訪れた。
竹内さんは西巣鴨の野口宅に日参したことがあった。
畳に額をこすりつけて懇願した。
野口は、そればかりは聞き入れず、首を縦にふらなかった。
「それがきっかけで竹内さんは来なくなったんだ」
プッツリと縁の糸が切れてしまった、と寂しげに語る野口だった。
体操の教師として一生涯をかけた野口である。
その矜持だけは譲れなかったと私は勝手に想像している。
『三千三伝』最終章 「哲学する身体」の最初の章は、ここから書き始めよう。漠然としたイメージは浮かんでいる。
しかし、私は自問自答している。
想像も含めて、拒絶を選んだ野口の心情に、どこまで踏み込んでいいのか?
最初の一行は、喉元まで上がってきているのだけれど。
今ひとつしっくりしたことばが見つからない。
焦らず待とう!か?
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