羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

WBC

2006年03月20日 12時25分38秒 | Weblog
「6対0で、日本が勝っています」
「ウォー」
 パチ パチ パチ パチッ
「今、雨で中断していますが、福留が打ちました」
 思わず、教室に顔を出したカルチャーの担当者に、私は声をあげてたずねてしまった時のことだ。
 
 朝日カルチャー・日曜レッスンの最中だったが、そこに居合わせた全員が、一斉に声をあげ拍手をした。
 球場やスポーツカフェなどで、みんな揃って応援しながら、喜びを分かち合いたいと言う気持ちが、この瞬間、からだでわかった。喜びが皆のからだを駈け巡った。
 はじめての体験だった。

 今回は、理不尽な出来事があり、思いもかけない準決勝進出であり、トリノの不発もあり、応援したいという気持ちが自然に湧いた。
 まったく野球はわからないにもかかわらず、昨日は、自宅を出るぎりぎりまでテレビにかじりつき、ラジオを持つのを忘れたのに気付いて、タクシーに乗ってしまった。もちろん野球中継を聞くためである。

 そして、帰宅してから、勝ちまでの状況を、ニュースで聞こうとしている自分に苦笑しながら
「勢いに乗るって、凄いよね」なんていっぱしのことを呟いている。
 
 例は離れるが、ピアノの発表会などで、ある人がものすごくいい演奏をすると、そのあと急にピアノの鳴りが変わってくれる経験を何度もしている。流れが変わるのだ。
「弾くのは、同じ楽器なのに」である。
 なぜか、誰かが、いい音を鳴らしてくれると、その後はピアノ自体の反応が変わってしまう。
 楽器は一つの人格を持っている。楽器そのものが音楽を作ってくれる力がある。
 弦楽合奏や、オーケストラなどは、全員で作り出すものだから、音が音を呼ぶということは誰にでもナットクかもしれない。ソロのピアノ演奏だって同じことが起こるのだ。


 そういったことと野球を同一視はできないかもしれない。
 しかし、野球のチームプレーと個人技の関係を見ていると、あたかもソロ楽器を演奏する人が次々にバトンタッチしながら、あるときはオーケストラパート、あるときはソロパートと言う風に、交代して演じるコンチェルトのように思える。
 そこに一つのいい流れができ、いい流れが渦となり、いい渦が螺旋となる。そしてクライマックスへと登りつめる勝ちのドラマを見せられるのは、なんとも嬉しく気持ちいい。

 早春、門外漢の私でさえ、こんなにも熱い思いをもらっている。
 いよいよ、明日だ。
 勝負のときが来る。
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1 コメント

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ノリノリ状態 (spoonful)
2006-03-20 22:39:09
ときに、全てが良い方向にパタパタ…と進んでいくときがあります。いわゆるノリノリ状態で、何をやっても物事が調子よく進行する。

その状態って、昨日のテーマでもある「緊張と弛緩」が丁度良いバランスの時に生まれるような気がします。

さて、明日の一戦どうなりますか。早々とデスクに副校長からメモが…「ホールのテレビで観戦できるように手配をよろしく!」
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