羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

兵士のアイドル

2022年08月12日 07時27分32秒 | Weblog
恋はやさし 
 野辺の花よ
  夏の日のもとに 
   朽ちぬ花よ・・・・・・・
わが心の ただひとり

昨晩、NHK・GTV  ドラマ「アイドル」
時にしっかり朗々と 
時に静かに 
時に涙ながらに歌われていた

本土で 戦場で
死にゆく兵士 一人 ひとり に思いを届けるアイドル・明日待子

ギリギリ 削ぎ落とされた脚本・演出
見るものの人生によって さまざまな想いを引き出す
自由な見方を許してくれる秀逸作品

古川琴音が演じたアイドル像は 見事だった
彼女の代表作になってもいい

写真の本は 野口三千三の戦時のイメージを膨らませるために 5年ほど前に手に入れた
海軍の肝入りで生まれ 軍部が監修して一括買上げた雑誌『戦線文庫』復刻版
これが戦時中 兵士に配られた雑誌か 戦争とは何か 大きな疑問符が

もう一冊 若い女性たちの美や性的な魅力を利用した軍の内実を描いた『兵士のアイドル』(押田信子著 旬報社)

死を前にした兵士たちは どんな思いで 美しく 可憐な 女性を表紙にした雑誌に その中のグラビアに 目が釘付けになったのだろう 
幻をみる悲しさ

慰問雑誌は国民からの慰問金 そんなこととはつゆほども知らされず 「恤兵金」から拠出されたという

前線から傷心を抱えて本土に戻った明日待子
彼女に贈られたファンレターを柳行李から取り出して見せるムーラン・ルージュの支配人

・・・・・あつい思いを 胸にこめて

笑顔の向こう
戦争の残酷さが描かれた

 







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一箱に12冊

2022年08月11日 07時35分47秒 | Weblog
野口ノート解読、本日から3箱目12冊に入る。
一つのまとまりになるだろう、と予想して昭和35年から47年『原初生命体としての人間』が出版された年までを一括りにしようと、この3箱を選んで蔵から出してきた。

2箱・24冊読んだ時点で、整理の目処が立ってきた。
自分の一枚の紙に書いた項目を手がかりに、読んだ記憶も頼りにして、後から検索することができる気がする。

こんな感じ!

・哲学する身体「体操による人間変革」
・体操に関して
・呼吸(ヨガを含む)
・体操から導かれた珠玉の言葉
・演劇  ことば・からだ・うごき
     スタニスラフスキー・システム(岡倉士朗・竹内敏晴)
     プロフィール・専門「舞台芸術の基礎としてのからだの動き」
       有馬稲子「奇跡の人」
       下條正巳「沖縄」
       山本安英「夕鶴」
       山本安英の会「ことばの勉強会」山本安英+木下順二
       その他 複雑な問題
・藝大関係
・病を生きる
・原初情報(内言)「原初生命体としての人間」考
  

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「ことばの勉強会」

2022年08月10日 08時56分21秒 | Weblog
昭和36(1960)年から昭和44(1969)年までの24冊を読み終えた。
はじめのうちは、雲をつかむようでただ文字解読に時間を費やしているようだった。それがいつの間に読みやすい文字に変化し黙読ができるようになっていく。ところがそうなると文字が内容が、頭に入りにくい経験をして、やはり重要な事柄は手書きし続けている。

体操についての思考の時期から言葉についての考察が増えるのは、『現代の眼』に寄稿する前後のころからのこと。
昭和43(1968)年、には、『原初生命体としての人間』「第五章 ことばと動き」元になった考えや思いがびっしりと書き込まれている。

写真の「山本安英の会 ことばの勉強会 第1回〜第200回の記録」を読むと、1968年2月8日 第3回“からだとことば”に登壇したことがきっかけになっているのだろうか。ことばへの学びが、急速に猛烈な勢いを増す。
合計4回も「ことばの勉強会」に出演している。

200回の記録には内容こそ書かれていないが、テーマと出演者を見るだけで、山本安英・木下順二両名の言葉(芝居)への思いの深さ、おどろおどろしいまでの執念が伝わってくる。何を恨んだのか?何を求めたのか?

ことばに関わる各界を代表する錚々たる方々を呼び、それぞれの分野から貴重な発言を引き出しただろうことが、記録から読み取れる。切磋琢磨とはこの会のことではないか。

そうしたことからも「ことばの勉強会」を通して、50歳を過ぎた野口三千三が初めてことばに目覚め、刺激を受けて、真剣に学ばれたことは容易に想像がつく。
体操の教師として、言葉の達人たちとここまでの関係を築き上げたことにも驚嘆する。

生きたことばへの思いは憧憬に変わったはず。
4回の登壇を経験する間に、『原初生命体としての人間』を上梓するのだが、4回目の3分スピーチ“ことばと私”に登壇した時の秋には還暦を迎えた。

その5年前、野口55歳、昭和44(1969)年2月11日〜13日に書かれている「夕鶴」の山本安英の演技を褒め讃える感動の文字列には、文字を写す私の手も震えた。
只事ではない感動に溢れている。
こんなにも感情をあらわにする野口にはじめて出会った。

思わず泉下の野口に話しかけた。
よかったですねー!
生きているうちに、からだの底から溢れ出る情念の虜になる経験をなさって!
芝居の魅力、芝居の魔力、芝居の怖さ、それを知らずして「ことばの勉強会」で「からだとことば」は語れないのですから。

野口ノートを読む醍醐味を味わっている昨日今日である。
今週はお盆さんだ!









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感じ方・考え方

2022年08月09日 05時42分50秒 | Weblog
野口ノート 昭和42(1967)年12月13日より

・自分の感じ方
    考え方  
    信じることは正しい

・自分の感じ方
    考え方
    信じることだけが正しい

前者でなければならない
後者であってはならない

野口三千三の授業(言葉)は、決して押し付けがましくなかった。
「鵜呑みはいけません。自分の頭で考えて!」と加える。

本日(2022・08・09)の日経新聞「春秋」は、小林秀雄が発表した文章の引用から。
《「二人の紳士が酒場で殴り合ったあげく、ともにのびている」介抱しながら店員が「申し上げたじゃありませんか」とこぼす。「平和論だけはお断りしています」自らの正しさを主張し、平和が目的だと称して相手を攻撃する独善の危うさを説いた。》

“独善の危うさ”、肝に銘じたい。


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寝食忘れて・・・・

2022年08月08日 05時28分50秒 | Weblog
昨日は、朝日カルチャーセンター「日曜・野口体操講座」のレッスンだった。

写真は、持参した台本とプログラム。

1、『沖縄』木下順二作 山本安英の会 台本、1968(昭和43)年。
2、東宝現代劇特別公演「奇跡の人」名鉄ホール プログラム 1965(昭和40)年(名古屋・シマウマ書房から入手)。

野口ノートから読み砕いた野口三千三と演劇の関係について、長話をしてしまった。3週間ぶりということで長くなったこともあるけれど。

この当時のノートには、新劇団で行う身体訓練への模索が、溢れる情熱を抑えることができない様子を湛えてメモされている。
こんなに夢中になっていたら、東京藝大の授業に差し障りが起きるのではないか、と心配になる。

プログラムの「奇跡の人」は、菊田一夫演出だが一部ヘレンとアニーの絡みシーンでは踏み込んで演技指導をしていることが書かれているし、その話は直接伺っている。
兎にも角にも演劇界へのめり込み、そしてその関係が次第に悪くなっていく。
その原因の一つになったことまで触れてしまった。

昭和30年代に関わり始め、本気になって「言葉と動き」の関係に対峙したこの時期。岡倉士朗・山本安英・木下順二・多くの役者たちとの交流はかけがいのことであった。「山本安英の会」の「ことばの勉強会」は、自身も3回登壇しているけれど、開かれた会全体に、野口は大きな影響を受けた。

そうした体験は、体操の教師として唯一と言っても間違いない経験だ。
「身体の動きの言語化」
・日々変化し続ける生きた人間の言葉への探求行動。
・世界と個人をつなぐ言葉の深淵に触れる経験行動。
・一見すると些細なことと思われる言葉がもつ本当の豊かさ・奥深さを実感する行動。(「沖縄」における『へ』の表現など)

ノート記録からは、「演劇との出会いと別れ」の二十数年の野口の生が見えてくる。
そのことの実態を見せるわけにはいかないが、プログラムと台本と『原初生命体としての人間』その三つ揃いなのだ。野口から直接聞いた話も含めてだが。

昭和40年当時、野口のプロフィールには、『専門「舞台芸術の基礎としてのからだの動き」』と書かれている。
そう書きたくなる思いに踏み込んだ。
つまり、具体的にどのような関わり方をしたのかを、二つの資料は実証してくれる。
その根拠を、昨日は、豆粒ような文字で板書した。
早くいらした方がたった一人、手書きしていたが、ほとんどの方が写メしてくれた。

こうして野口体操を編み出していく上で大きな契機となった演劇との関わり。
そのことから豊かな言語表現を得ていく過程が見えてくるノート記録のページをめくりながら、私のノートにも書き込む作業はまだまだ始まったばかり。

スリリングな私の夏は終わらない。

「食事もままならなくなって・・・・お腹も空かないし、冷蔵庫の中は空っぽ・・・・」
ふと、漏らした私の言葉に
「寝食を忘れるってことですよねッ!」
「やべッ!」ですって全員大笑い。

さぁ〜、体操しましょう。
時計は、残り1時間と少々〜 ああああっ。


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朝日新聞 はじまりを歩く

2022年08月06日 10時37分55秒 | Weblog
朝日新聞 はじまりを歩く

朝日新聞 Be「はじまりを歩く」映画館(東京、熊本、群馬)

広がる電気館 時代の波越え 
人や街の記憶 次代につなぐ

今年7月に惜しまれつつ「岩波ホール」は閉館した。

映画館は、昭和30年代に黄金期を迎えて1993年には、今では当時の10分の1となったそうだ。

その中で、高崎電気館(映画館)は現在復活していて、月に一回は「ここに泉あり」を無料上映しているらしい。
戦後すぐに高崎に誕生した「群馬交響楽団」の草創期を描いた記念すべき作品だ。私にとっては、同級生のお父さんが創立者のひとりで、あまり親しくはなかったが同級生の彼もコンサートマスターをつとめていた。

さて、この記事の「余話」に上がっていた映画館名に懐かしさを覚えている。
有楽町の有楽座や新宿ミラノ座(スカラ座もあったような)には、学校が長い休みの日に出かけて行った記憶がある。
京橋のテアトル東京(写真を見て思い出した!)の帰りには銀座まで歩く途中で、明治屋に立ち寄って輸入食品をお土産に帰宅していた。

それぞれに昭和30年代から40年代の思い出ある映画館だ。

いつか、通い慣れた高崎で「ここに泉あり」を見なければ!
今朝は、通常の3回を省略して2回だったが「はじまりを歩く」の読み練習を終えた。
午後の朝カルオンライン野口体操講座の、声を出す準備練習でもあります。

そう、そう、蛇足。
思い出す映画は、ディズニー作品群、赤い靴、若草物語、僕のおじさん、山とスキーの映画。
音楽を聴きながらウトウトしていたのは、エデンの東、ベンハー、十戒。
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ことばの勉強会

2022年08月05日 17時05分59秒 | Weblog
ことばの勉強会

野口ノート昭和43年の最後にあった案内状。
山本安英の会「ことばの勉強会」第3回1968年2月8日開催の通知。
「言葉と体」と題して野口三千三登壇。

欄外に『尚、“現代の眼”昨年九月号「体操による人間変革」をお読みになっておいでいただければ幸いです。』
この当時、コピーは難しかったので、バックナンバーで取り寄せたのだろうか。
この会に向けて、野口先生の準備は、綿密に緻密に重ねられていることが、ノートにびっしりと書かれている。

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私家版「野口三千三伝」を書きつづけるわけ・・・・・

2022年08月05日 08時16分56秒 | Weblog
正確な年月日は失念している。
ある日、としておこう。
日経新聞・文化欄担当の記者さんが拙宅に訪ねて来た。

「角田忠信さん、ご存じですよね」
「はい、右脳・左脳 『日本人の脳』を書かれた方ですよね。野口先生も皆さんに角田さんの本を薦めておられました」
「ええ、実は、私が彼を世の中に出しました。といっても五流新聞社の我が社ではなく、一流の他社さんにお願いしましたが・・・・・」
「そうですか、色々なやりようがあるんですね」
「そこで、ご相談です。野口さんに『私の履歴書』に登場していただこうと思っています」
「まぁ、嬉しいお話!」
「でも、お偉方を納得させられるだけの資料を揃えないと、話は始まりません」
「わかりました。で、何をどのようにればよろしいの」
間髪を入れず、私は答えた。

それから、電話や手紙でやりとりを始めた。

ところが数ヶ月経ったある晩のこと。
一本の電話が入った。
「今、慶應病院に入院しています。明日、手術を受けます」
「ご病気?」
「胃がんです」
しばらくの沈黙。
「羽鳥さん! 必ず生きて帰ります。おたずねします。待っていてください」

年が明けた。
彼の奥様から、スキルスがんで亡くなったことを知らされた。
まだ、小学生の一人娘さんを残してのことだ、と。

あれから25、26年以上は過ぎただろうか。
今頃、お嬢さんは良き妻、良き母、良き仕事人になっているかもしれない。
そう願っている。

私家版『野口三千三伝』を書きつづける私を、後押ししてくれる出来事の一つである。

今、書きながら、変人・奇人と自他ともに認める“体操教師の生き様”に、人としての普遍に通じる道があるのか、探している途上。

ブログに載せたこの写真は、養老先生との対談が危うく流れそうになったものの1991年1月に朝日カルチャーセンター・新宿で実現した『野口体操を解剖する』の一コマである。

日程も決まった。
募集も始まってすぐに満員になっていた。
正月3日のこと。
「新聞に書かれていた養老先生の普遍に対する考えが、僕とは違うからやりません」
「先生、それって屁理屈です。逃げないでくださいッ」
・・・・・・・沈黙
・・・・・・・沈黙
・・・・・・・沈黙・・・・・・・
「仕方がない、企画したあなたのためにやってあげる」
・・・・・・・ありがとうございます、と言ったかどうか、覚えていない。

確かに、野口三千三の人生のテーマは「個別と普遍」かも。
今になって思う。





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『現代の眼』1967年9月号「体操による人間変革」に関連

2022年08月04日 15時11分36秒 | Weblog
『現代の眼』1967年9月号「体操による人間変革」に関連

反田恭平のショパンをYouTubeで聞かながら、・・・・・今、ソナタ葬送が・・・・そして雨の音がそこに溶け込んでくる。
久しぶりに涼しい8月の午後。

野口ノートから「体操による人間変革」にかかわる文章を抜き出している。
ショパンのメロディーが、亡くなった人との対話の試みを心地よい境地に連れ出しくれる。

なんて素敵な時間なんだろう!
連日の野口ノート解読が苦痛ではなく、滋味溢れる行為にように思われてくる。

雨はさらに強くなってきた。
それさえも意識を覚醒させてくれる装置だ。

昭和42年になってから野口の書体がかわり始めた。
読みやすくなって、黙読できる。
解読に苦労して、自分のノートに写しとっていた頃が懐かしい。

定家文字は素人目には名筆とは思えない。
野口の文字も丁寧に書かれたものより、気がせいて頭の働きに手が追いつかない殴り書きに熱い想いが伝わってきていた。
そうした働きの中から野口体操が形作られていく。

ますます雨が強くなる。
ショパンも激しさを増す。
人の命を振り絞って、何事かに向かう情熱のほとばしり。

垣間見せてもらう幸福感。
文字とピアノと激しい雨、三つ巴で増してくる。
2022年8月4日3時10分

先日、青柳茂男氏から『哲学する身体』ー三千三伝ーの書名をいただいた。

プロローグのイメージが一気に浮かび上がった。
この心の動きのままに書き始めたいが、まだまだノートを読み続けることになりそうだ。
あぁ、いつになるのだろう、ノートから解放されるのは・・・・・!?


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ふたたび

2022年08月03日 05時39分58秒 | Weblog
2020年3月28日に、東京国立博物館 庭園にある「応挙館」で開催予定していた「野口三千三先生を偲ぶ会」は、新型コロナ感染症自粛要請を受けて、早々に中止していた。

今年の春・四月に、感染者数も減り始めたタイミングで、ふたたび東京国立博物館に使用の予約を入れた。

その時、8月に改めて企画書を提出する約束をしていた。
今回は感染状況を考慮して、簡略化、時間的にも内容的にもタイトにした企画案を、施設貸出担当部署にメールし終わった。

9月には現地見学を行うことになると思う。

「応挙館」は、野口三千三先生の寛永寺の墓所から一直線上にある建物で、徒歩3分くらいかと。

無事に開くことができますように、祈るばかりである。

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朝カルオンライン野口体操講座 8月6日

2022年08月03日 05時20分46秒 | Weblog
コロナ禍で生活の色々が変わった。
今までになかったことで始まったのは、オンラインによる発信だ。
我ながら驚かされる。
あっという間の2年である。
この講座は、春に手探りで初めた「野口体操ch」の5ヶ月後からだった。

伝えやすいこと、伝えにくいこと、数多あるけれど、何事もいい方を拾っていきたい。

さて、今回は6月から始めた「野口ノート」解読が縦軸として、一つの話題になるかな!

初めて参加の方には、もう一つ横軸を思案するとしよう。
当日を入れて4日だ。


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石見神楽

2022年08月02日 11時07分26秒 | Weblog
7月31日 国立劇場にて、島根県浜田市八調子『石見神楽』を鑑賞。
金糸銀糸の縫い取りが施された豪華な衣装・和紙で作られた面、激しい舞を支える太鼓に笛にチャッパの勇壮な鳴り物。
圧巻は、最後の演目「大蛇」大蛇50頭見参!
直径40センチ・全長17メートル、石州和紙と竹で作られた「石見神楽蛇胴」の迫力。

公演は一日限りだ。
小学生から70代まで「浜田石見神楽社中」総勢70、80名のメンバーが、バスを仕立てて東京にやってきて、その日のうちに帰郷するという強行軍。
連日の稽古は、放課後や仕事が終わってからだという。

郷土愛と郷土文化への熱い思いを見せてもらった。
満ち溢れるエネルギーと強烈なバイタリティーに圧倒された。

神々や鬼、大蛇が躍動する神話の世界!
石見人が伝えてきた神楽よ 永遠なれ!

野口三千三先生に見せたかった!
歓喜し感涙すること間違いなし!

*****

しばらくの間、ブログにログインできませんでした。
原因はわかりません。


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宮本卯之助商店にて

2022年08月02日 10時39分14秒 | Weblog
宮本卯之助商店にて

さる7月25日のこと、浅草宮本卯之助商店・太鼓スタジオで、何種類もの太鼓を叩かせてもらった。
「野口体操の会」会員の方で、佐渡の「鼓童」に関わっている根岸俊昭さんに引率いただいた。
防音だけでなく、床の板が素晴らしく、うるさくなく・ちょうどいい響きの部屋であった。
自由に叩くことができる太鼓の中には、ピアノで言えばスタインウェイ級の大太鼓もあった。
どの太鼓も整備が行き届いていて、いい響きがする。
早い連打や技巧的な打ち方をするわけではないので、バチをもつ手にも打つ瞬間にも余分な力はいらない。

余韻が美しい。
からだに伝わる振動が心地よい。
名器と戯れ、存分に楽しんだ2時間だった。

帰りは皆さんと隅田川のほとり、隅田公園を散策し、ちょっとお茶して地下鉄・浅草駅から帰路に着いた。
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