「スタニスラフスキーの本が、ぽっと一冊だけ出てきたんです。戦中だったか、戦前だったか・・・随分と昔のことなので、正確な年月日は失念してます」
コロナ前のこと『野口三千三伝』を書き始めるに当たって、九州・鹿児島在住の演出家・貫見忠司氏(当時94歳)を訪ねた時に聞いた第一声である。
貫見氏は、何かあったら訪ねるようにと、野口からすすめられていた方。
「本を読んで、頭の理解は出来たような気がしていたのです。ですが実際の動きに関しては当時の演劇人の誰もが全くダメ状態でした。そんな時、学校演劇関係の合宿で、野口さんの動きを見た瞬間に、これだ!と電撃が走ったんです。私だけではありませんでしたよ。スタニスラフスキーの言っている動き(体操)に通じるんじゃないか、と思ったんです」
そもそも野口が日本の新劇界に引き出されたきっかけは、演出家の岡倉士朗氏が娘さんから知らされた野口の藝大での体育授業内容(体操)が、スタニスラフスキーシステムを理解する手掛かりになるに違いない、という直感が発端となった。そう野口から聞いていた。
2018年早春、インタビューに快く応じてくれた貫見氏の言葉に、“やはり、そうか”と納得したのだった。
それ以来、このシステムのことを調べ始めていた。
「三千三伝」を書くからには、スタニスラフスキーのことを調べなければいけないと思い続けていたが、本腰を入れたのは『スタニスラフスキーとヨーガ』の著者セルゲイ・チェルカッスキー氏のワークショプを見学し講演を聞いてからだった。
以前から思ってはいたものの、著作に使われる野口言葉(思想)と、行動・情動の発露としての話し言葉、双方の間に強い“違和感”を強く感じるようになった。
その違和感を、理路整然と言葉にのせるのは難しい。
「三千三伝」を書き始めた頃は、漠然とした違和感にすぎなかった。
今では、その違和感がもっと膨らんでいる。
それでも 不器用ながら違和感を言葉にしてみると・・・・・。
野口三千三の出自、育ち方、受けた教育、ついた職業、本来の性質。
60代半ばから83歳で亡くなるまで間、私が直接知っている野口の言動・行動から受ける印象と『原初生命体としての人間』における文体・語彙・内容との間に横たわる溝、違和感はいかにも大きすぎる。
野口に限らず、著書を読んで著者に会ってみると、あまりの印象の違いに愕然とするというようなことは往々にしてある。
それはそうなのだけれど・・・・。
野口の場合は、そうなのだけれどのままにはしておきたくない。
そこを掘り下げることが、野口三千三・野口体操を理解する鍵と鍵穴になるのではないだろうか、と思っている。
そのことを解くために最初に選んだのはこの2冊である。
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山田肇訳 スタニスラフスキー『俳優修行』
向かって右は、1943(昭和18)年 9月15日発行 道統社版
向かって左は、1975(昭和50)年 5月10日新装第一刷発行 未來社
2005(平成17)年 11月10日第18刷発行
日本でいち早くスタニスラフスキーシステムに関わりを持った二人がいる。そのうちの一人は、八田元夫氏で劇団・東演。
一方の山田肇氏は「ぶどうの会」。岡倉士朗、山本安英、木下順二に実践面においてサジェストを与えた功労者である。
野口は、演出家の岡倉氏によって「ぶどうの会」に関わりを持つようになった。
遠回りになる恐れは十分にあるのだけれど、まずは山田氏が最初に英語版から翻訳した版と、数十年後に新装版として翻訳出版した日本語を比較して、野口の言語世界に与えた影響を探ってみることにした。
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加えて『俳優の仕事』第1部 岩田貴・堀江新二・浦雅春・安達紀子訳 未來社 2008(平成20)年6月30日初版 2015(平成27)年1月20日 初版第3刷発行 ロシア語版からの言葉と内容を比較する。
そのことを土台に、1950(昭和30)年代以降、新劇の人々や新劇人を通じて野口が出会った何人かの文化人の言語世界を多少なりとも調べる必要がある。
そのことはじっくりやり続けるしかなさそうだ。
いちばんのキーポイントになる本
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この本に書かれていることをヒントに読み込み、調べてみると、ある程度具体的に見えてくることがありそうだ、とだけ今は書いておきたい。