「何とかしてみましょう」
新宿ゴールデン街で知り合ったJR関係のKさんは僕にそう言ってくれた。
その頃、僕が関わっていたドラマが、松下由樹さん主演、遊川和彦さん企画・原案、横田理恵さん脚本の「フレーフレー人生!」(2001年7〜9月)だった。
第一話に、このドラマの内容を左右する重要なシークエンスが出て来る。
やもおえない事情から松下さん演じるヒロインが、赤の他人の子供三人を新幹線の車内に連れ込んでしまう。秋田駅での出来事。
途中、秋田新幹線「こまち」の中でも芝居があって、途中駅でも新幹線車内とホームでのシーンがある。最後は上野駅での撮影。
確か、Kさんの話ではこのドラマの撮影、いろんなところに話を通さなければならない。
秋田鉄道管理局、盛岡鉄道管理局、仙台鉄道管理局、東京鉄道管理局。(呼称が正確では無いかも知れない)
そして、撮影に使う秋田新幹線「こまち」は臨時列車。ダイアグラム(列車の運行を決める表)にも、新たに「線」を引いてもらわなければならない。その部署への連絡も必要だ。
通常の「こまち」は盛岡駅で、東北新幹線「はやぶさ」と連結され、東京へと向かう。
しかし、撮影用臨時列車「こまち」は、盛岡駅での連結無しで、単独で上野駅へ向かう事になっていた。
秋田新幹線「こまち」が単独で上野へ向かう事は無いので、「鉄道ファン」にとっては垂涎の出来事だったろう。誰も知る由は無いが。
秋田に前日入りしたロケ隊は万全の準備をして、撮影当日の朝を迎えた。夏とは言っても、北国の朝は寒い。
秋田駅には白い靄がかかっていた。撮影用「こまち」が定刻、静かに入線して来て、ゆっくり止まる。
JRの係員の方のOKを確認した上で、戦争の様な長い1日が始まった。
秋田駅でのホームと「こまち」の出入口のシーン。始まりは順調。
撮影終わりで、出演者・スタッフ、全ての機材、取材記者の皆さんが「こまち」に乗り込む。
続いては、動く車内での撮影。
秋田新幹線は、大曲駅で進行方向が変わるので、出演者の座り位置も反対側になる。
車内での撮影は、盛岡駅到着ギリギリまで続いた。
次は、「盛岡駅」という「テイ」で、「水上駅」でホームと列車、トイレ付近の撮影。「盛岡駅」は全ての列車が止まる主要駅なので使えないのである。
列車の停車時間は秒単位で決められているので、車内ロケよりキツい。他の列車のダイヤを乱さずに何とかロケ終了。
ここからは、宣伝部のパート。隣の車両に出演者が移動。高速で走っている列車内で、出演者を囲んでの「会見」が始まる。
新幹線の走行音で、「出演者と記者のやり取り」が聞こえ辛いところはあったものの、「動く列車の中での記者会見」、出演者も記者も少し興奮して、受け答えを続けてくれた。大成功!
最後は上野駅で松下由樹さんと三人の子供たちが新幹線を降りるシーンの撮影。
「こまち」の車内、上野駅のホームと階段を使う。
上野駅のこのシーンも撮影時間に制限がある。上野駅も東京駅に向かう新幹線の途中駅なので、停車時間も厳密に決められている。
撮影をその時間内に収める為、各セクションが必死になって、動き回る。何とか、撮れた。
一日の撮影が終わると、キャストもスタッフもグッタリしていた。
しかし、何ものにも代え難い達成感があった。
新宿ゴールデン街で親しくなったJR関係のKさんがいなければ、このロケは成立していなかった。
本当にKさんには感謝している。
新宿ゴールデン街で出会った人々。そこから、様々な縁が生まれ、ドラマが生まれたと思う。
ドラマ「silent」で一躍有名になった「小田急・世田谷代田駅」。
小田急はこれからも「使用料」を取って、ロケ隊を呼び込む体制を作っているとの事。
22年前の新幹線を使ったこのドラマ。
今、こんなロケを新幹線を使って出来るのだろうか?
後日談になるが、新幹線車内のロケ、実は撮り切れていなかった。
美術の箕田英二くんがスタジオの中に、秋田新幹線の車内、トイレから出入口付近のセットを再現してくれた。
使った素材は、JRに問い合わせて、全て本物を用意したという。
出来上がったセットに立ってみると、本当に「こまち」の車内に乗っている様な居心地だった。
ドラマを御覧になった視聴者の方で、新幹線の車内、ロケで撮影した部分とスタジオのセットで撮影した部分の違いが分かっただろうか?
撮影はやはり、「人」である。
最近、痛切にその事を感じている。
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