難民一人一人に声をかける
今年1月、高嶋はアフリカ・ウガンダのサバンナに、隣国ケニアの暴動から逃れてきた難民たちを保護するための一時避難所を設立した。2000人を越える難民が身を寄せるこの避難所では、人々が高嶋に次々と相談をもちかける。今まで築き上げてきた財産や家族を一瞬で失ってしまった難民たち。中には自暴自棄になるひとも少なくない。だが高嶋は、ただひたむきにその声に耳を傾け続ける。ものがなくなったとしても、人間としての価値が下がるわけではない。そのことを本人たちにも忘れてほしくはないと、高嶋は考える。
交渉もUNHCRの大切な仕事
難民に寄り添うことだけが高嶋の仕事ではない。ともに協力して難民を支援する政府や他の国連組織、NGOとの調整や交渉も、高嶋の大きな仕事だ。特に、難民の処遇を決める受け入れ国の政府との関係は重要だ。高嶋は、役人との話し合いにおいて、丁寧にまた時に強気に交渉をすすめる。難民のことを思う「熱い心」とともに、一歩引いて全体を見ながらあらゆる手段を考える「冷静な頭」も必要だと言う。
難民2000人に語りかける
3月下旬。設置から2か月たったケニア難民の一時避難所では、テント生活が続く中、落ち着いた場所に定住したいという不満が多くあがっていた。折しも、ウガンダ政府から、国内で新たな定住できるキャンプの提供の申し出がくる。難民の代表たちとキャンプを下見し、好感触を得た高嶋だが、難民の中には祖国ケニアに帰りたいという人々もいた。たとえ少数でも、難民の意志を尊重したい。高嶋には、難民に対するひとつの思いがあった。「自分で決めてこそ、人生は切り開ける」
(NHKの番組HP
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/080527/index.htmlより引用)
UNHCRとは?
UNHCRの設立の背景
UNHCRは、1950年12月14日に国連総会決議によって設立された国連機関で、1951年1月1日に活動を始めた。その任務は、難民に対する保護と支援を行うことである。
1921年にノルウェーの探検家であるフリチョフ・ナンセンが、国際連合の前身である国際連盟によって難民高等弁務官に任命され、第1次世界大戦やロシア革命で故郷を追われた人々の支援を行った。その後、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA、1943年設立)、国際難民機関(IRO、1946年設立)などが難民や避難民の支援を行ったが、初期の難民機関は十分な成功を収めるには至らず、法的保護は未熟なままだった。国連の主な加盟国は、より強力な難民制度が必要であるという結論に達し、1950年にUNHCRが設立された。
UNHCRは、当初3年間の期間限定の機関として発足し、第2次世界大戦後、120万人にものぼったヨーロッパの難民を再定住させることを目的としていた。しかし、その後も難民問題は続き、UNHCRの活動期間は5年ごとに延長されてきた。2003年12月、国連総会の決議により、UNHCRは難民問題が解決するまで活動する恒久的機関となった。
UNHCRは、約120か国に250の事務所を置き、約6500人の職員が1900万人以上(2005年)の支援にあたっている。年間予算は10億ドル以上に達し、半世紀にわたる活動の中でUNHCRが支援した難民や避難民はのべ5000万人を超え、1954年と1981年にノーベル平和賞を受賞した。UNHCRの予算と活動計画は、68か国からなる執行委員会において承認される。
UNHCRの援助対象者
UNHCRの事務所規定では、難民とは、人種、宗教、国籍もしくは政治的意見または特定の社会集団に属するなどの理由で、迫害をうけるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができない、またはそれを望まない者と定義している。しかし、故郷を追われても、自国内にとどまっている人々も多い。出身国内で援助すれば人々は国内にとどまることができ、結果的に難民問題の予防策となるため、国連総会などからの要請を受けて、UNHCRは次第にこれら「国内避難民」と呼ばれる人々の支援にもあたるようになった。世界には、2500万人の国内避難民がいると推定され、UNHCRは他の国連機関と協力して、法的保護、住居の提供、キャンプ運営などの分野で、約560万人の国内避難民に支援を行っている。また、2004年のインド洋大津波、2005年のパキスタン大地震の被災者に対しても被害を受けた国の政府の要請に基づき、援助物資の提供やキャンプ運営の支援を行った。
UNHCRの活動
UNHCRの主な活動の一つは、難民の保護である。難民は故国を逃れてきたため、滞在している国のパスポートや入国許可証も持っていないことが少なくない。その場合、難民が入った国は難民を不法入国者として取り締まることもできる。しかし、難民条約では難民の意思に反して迫害のおそれのある国に追い返してはならないと定めており、UNHCRは難民が入国した国の政府に働きかけ、難民の安全を確保するための保護活動を行っている。また難民支援においては、住居、食糧、水、衛生などの基本的生活条件が満たされた状態でなければ、効果的な法的保護を与えることができないため、UNHCRは援助物資の提供や、難民の80%にあたる女性や子供を対象にした活動も行っている。UNHCRの青いビニールシートから作られた緊急テントは、1990年代におけるバルカン紛争、スーダンとチャドで進行している緊急事態においても、援助を求める人々にとって認識しやすいシンボルとなっている。
緊急援助から解決へ
UNHCRは、3つの方法で難民問題の解決をはかっている。
1) 本国自主帰還
難民が自国に戻っても安全であるような状況になった場合に、帰国を希望する人々を支援する。
2) 一次庇護国定住
帰国が難しい場合には、逃げ込んだ国で生活ができるように、その国の政府と交渉する。
3) 第三国定住
逃げ込んだ国でも安全が確保されない場合は、その他の国で生活できるように各国政府に受け入れを要請する。
UNHCRはまた、難民が帰還した地域全体に役立つような小規模ながら即効性のあるプロジェクト(Quick impact projects=QIPs)を展開し、学校、診療所、道路、橋、井戸などの再建に力を入れている。これらは緊急援助から他の諸機関による長期的な開発援助へ移行するためのものである。
(上記文章はこちらのHPより引用
http://www.unhcr.or.jp/)
素晴らしい番組を観てしまった。高嶋由美子さん(38)の眼は輝いていた。そして、顔はいつも元気よく笑っていた。最高の「顔」だった。「志」を持った人。最近の通勤電車で見ない「顔」だった。難民にちゃんと移住地を視察させて、「難民自身の意思で、どこに行くか決めさせる」・・・つまり、「自分の人生の責任は自分で取らなければならない事」を高嶋さんは難民に理解させた。凄い人がいると思った。「決断、決断の毎日」なので、ダンナになる人には「すべて『決断』をゆだねられる強い人」が理想と語った。NHKのスタジオまで彼女を呼んで話をするというのはどうかと思った。現地でしなければならない事はたくさんあるのに・・・
「プロジェクトX」との違いは、「スタジオ部分」のあるなしだけ。ナレーションも断定調だし、脳科学者の茂木さんを出演させて、「誤魔化している感」は拭えない。それが残念。
この本の中の「英語塾の教師」の話を是非読んで欲しい。放送を観た時、心が震えた。
DVDも出ていた。
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内容紹介
受験生を中心に爆発的な人気となったマンガ『ドラゴン桜』。そのモデルとなった英語教師が竹岡広信である。「好きだからこそ身につく」という信念のもと、英語を「好きになる」きっかけを与え続けている。生徒一人ひとりと真剣に向き合う熱血英語教師の仕事を追う。(2006年3月14日放送)