苗場山麓ジオパークのお勉強その10
朝7時頃、津南町着。
歴史民俗資料館や「なじょもん」は、勿論まだ開館していない。
逆光になるのはわかっていたが、道の確認だけでもと思い、「川の展望台」へ。
越後田中駅近くの踏切渡り、山に上ってゆく。
案内板はこれひとつだが、まあ迷うことは無い・・・と思ったら帰りに道間違えた。
展望台着。
だが、やはり眩しすぎて撮影無理。他を回ってから出直す。
石落とし、逆巻の川原、穴藤ダム、資料館など回った後、再度訪れた。
ワクワク。
広すぎて、18mmでは収まりきらない。
北東方向から時計回りに。
木が邪魔なので、展望台から降りて。
津南の河岸段丘は、中津川の右岸に発達している。その理由は、当間山。
当間山の隆起に伴い、その周辺の地盤も隆起。そのため、中津川はどんどん西に追いやられ、右岸側に段丘面が広がったのだそうだ。
また、
再度登場のこの図でわかるが、大割野面Ⅰ、Ⅱ面上にはローム層がなく、正面面から上位の段丘面は貝坂ローム層に覆われている。
大割野面が形成されたのは、およそ1万5千年前と「津南学Vol.4」から学んだ。
つまり、1万5千年前以降には、広い範囲に大量の降灰をもたらすような大噴火がなかった、という事だが・・・。
同じく「津南学Vol.4」の記載されている、
長野県栄村の、北野天満温泉近くの天代(あましろ)の火山灰露頭では、
・鬼界アカホヤK-Ah (供給源:九州南方鬼界カルデラ 噴出年代:7300年前)
・浅間草津As-K (給源:浅間山 噴出年代:1万5千年前)
・姶良丹沢AT (給源:鹿児島湾姶良カルデラ 噴出年代:2万9千年前)
・鬼界アカホヤK-Ah (供給源:九州南方鬼界カルデラ 噴出年代:7300年前)
・浅間草津As-K (給源:浅間山 噴出年代:1万5千年前)
・姶良丹沢AT (給源:鹿児島湾姶良カルデラ 噴出年代:2万9千年前)
・・・・・・・・・・・・・・・
が確認されている。
これと矛盾する。
隣りの栄村・天代の露頭で確認されているK-Ahが、大割野面では見つかっていないのか?
約8000年程度という、悠久の歴史の中のほんの一瞬の時間だから、離水したばかりの大割野面に積もったK-Ahは、時折降る大雨で増水した中津川の水に洗い流されたのか?
8000年前、というのは、この地が、日本海に対馬暖流が流れ込み始めた事で豪雪地帯になった頃。豊富な雪解け水で増水した中津川の水に洗い流されたか?
また、新たな疑問。
しかも、津南学Vol.8には、大割野面が陸化したのは1万年前以降と記載されてる。
正しいのは何?。
面白過ぎる。
(次は佐渡沖かと思っていたら、愛媛高知か。あちこち揺れるなぁ。夜遅い時間。高知の人々は、津波からの避難行動を取ったのだろうか?)
では、山岳展望を時計回りに。
写真撮ってると、キャンピングカーがやってきて食事の準備を始めた。
上着が暑く感じられる初夏の陽気の一日。
色々加筆修正するかと。
間違いがあったらご指摘ください。
続く。
(インドネシアでは大規模噴火だって・・・)
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