HPより。
旧齋藤家別邸は、豪商齋藤家の四代齋藤喜十郎(庫吉1864~1941)が、大正7年(1918)に別荘として造ったものです。 砂丘地形を利用した回遊式の庭園と、近代和風建築の秀作といわれる開放的な建物は、大正時代における港町・商都新潟の繁栄ぶりを物語る文化遺産です。
戦後この邸宅は進駐軍による接収を経て、昭和28年(1953)には加賀田家に所有が移りました。
時代が移り平成17年(2005)、所有権の移転や解体の可能性などの話題が聞こえてくるようになり、保存を願う運動が市民有志によって起こされました。 署名・募金運動、市議会への請願などが実を結び、平成21年(2009)、新潟市はこれを公有化しました。
毎年あちこち雛人形を見にいってるが、出遅れた今年はもう時期を外しそう。
旧齋藤家別邸へ行ってみようか。お庭からのあの立派な建物も見たいし。
先に、新潟県の埋蔵文化センターへ寄り道。
苗場山麓ジオパークのお勉強してるが、何回か記事にしてるうちに、だんだん論文から抜粋だのウイキペディアから拝借だのが多くなり、無断使用とお叱り受けるんじゃないか?と心配になってきた。せめて写真は少しでも自分で撮って、と思い、埋蔵文化センターで無斑晶ガラス質安山岩だの、菫青石(これは埋蔵物じゃないか)などを展示してないかなぁと思って行ってみたが、それとわかるのは黒曜石の石器くらいなもの。そういうのは地元津南町や、糸魚川のフォッサマグナミュージアムにでも行かなければならないか?まだ遠くまで運転する自信なし。
じゃ、旧齋藤家別邸へ。
白壁通り(旧齋藤家別邸の壁が白で、手前の料亭の塀が黒。)
まずは1階の蔵の中のお雛様
1階の仏間として使われていた部屋。
奥の間の掛け軸
梅花鳴鶯
この色はむしろメジロに近いな。
大座敷
今年は梅もほとんど見てないので、ここでお花見を兼ねる。
2階へ
お庭に出て、この建物を外から撮影したかったが、能登半島地震の揺れで灯篭などが壊れたため、お庭は立ち入り禁止になっていた。
隣の茶室では、安田瓦の鬼がお茶を頂いていた(笑)
もっと沢山歩く予定だったが、右足の踵が割れちゃて痛くて長く歩けない。
前よりカメラを構えた時の腕の痛みは減ったけど、6枚くらい連射すると痛い。
退院してあっという間の2週間だが、看護師の監視の目がなくなってからの自堕落な生活は情けない。次の検診で怒られるんじゃ・・・。
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