日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、元東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

イタリア文化セミナー「イタリアオペラと巨匠リッカルド・ムーティ、仮面舞踏会」に参加しました(2023.2.22)@吉祥寺LCI

2023年03月04日 | イタリアの歌・音楽

イタリア文化セミナー「イタリアオペラと巨匠リッカルド・ムーティ、仮面舞踏会」に参加しました(2023.2.22)@吉祥寺LCI

 

昨年はオンライン参加だったので 吉祥寺駅北口の新しいLCIを訪れるのは初めてでした😊 年に一度のイタリア文化セミナーは欠かさず参加しています

今年はイタリアオペラ リッカルド・ムーティ (Riccardo Muti 1941年ナポリ生まれ)の この3月の来日公演に照準を合わせてのテーマです! (昨年はポンペイ展に合わせてのテーマでした)

 

第1部:『イタリア・オペラの歴史』

オペラ(l'opera lirica)は メロドラマ(Melodramma)とも呼ばれました 

台本(il libretto)は台本作者(il librettista)によって書かれており 

'700年代はopera seria(上流社会)と  opera buffa(庶民の喜劇)に分かれておりました 

 

女性の声はソプラノ(soprano) メゾソプラノ(contralto o mezzosoprano) 

男性の声はテノール(tenore) バリトン(baritono) バス(basso)   それぞれの声は役によって分かれていました 

レチタティーヴォ(recitativi)は朗誦で 話すように歌います 

一方 アリア(arie)はとても難しいですが   最も重要なポイントです 

コンチェルタート(concertati) は幕の終わりの協奏曲ですね   

 

最初は宮廷(corti)で生まれ やがて劇場(teatro)で演じられました 

貴族の威信を高める目的で 発祥の地はフィレンツェ 

6~7世紀のCamerata de' Bardi というアーティストグループで  場所は

conte Giovanni Bardiの住んでいたpalazzo Bardi とのこと ガリレオの父も参加していたそうです

ルネッサンス時代には 多声音楽(musica polifonica)が主流で 複雑すぎるとのことから単声の曲(una voce sola)を好み ギリシャ悲劇(tragedia greca)の再興としてオペラが誕生したのですね 

1637年から商業的娯楽としてチケットを売るようになり 貴族から庶民にも広がりました

ヴェネツィアのサンカッシァーノ劇場(Teatro San Cassiano)が  最初の公共のオペラ劇場でした 

一番最初のオペラは 1598年の"Dafne"ですが 完全な楽曲は残っていないそうです

なので 1600年の"エウリディーチェ(Euridice)"が 現存する世界最古のオペラとのこと これは悲劇ですが Maria de' Mediciとフランス国王アンリ4世との結婚式で披露されたためハッピーエンドになっています 

初演はフィレンツェのピッティ宮殿(Palazzo Pitti)でした   台本にはメディチ家の紋章(stemma Casa dei Medii)があしらわれたそうです

クラウディオ・モンテヴェルディ(Claudio Monteverdi)が 「オルフェオ(Orfeo)」でオペラの新しいモデルを示しました 

 

700年代のオペラは 妙技のアリア(aria da "bravura")でそのテクニックが披露されました また シャーベットのアリア(aria di sorbetto)といって 端役が歌う間に観客たちがシャーベットを食べていたのだそうです😲 またホットチョコレート(cioccolata calda)も当時とても高価でした🍫

 

Eunuco は去勢(castrazione)された男子で 3オクターブ半もの音域を歌ったという「Farinelli」の映画もありましたね🎥 ←観たことあります😊 しかしその後禁止されました 

'800年代は 興行主(impresari)がオペラを開催し フランス語やドイツ語で書かれた楽譜も出版・販売されました

 

   *     *     *

 

第2部:『指揮者 Riccardo Muti』

マエストロは厳しい印象がありますが プーリア人の厳しさとともに ナポリ人のユーモアも持っています 

26才から81才の現在まで指揮をしていますが これは子供の頃はヴァイオリンとピアノを習っていたのを バーリ音楽院のニーノ・ロータ校長が満点で合格させてくれて 両親を説得してプーリアからバーリまで通ったそうです

そのうちに ナポリの音楽院の学長Jacopo Napoliが 指揮をしてみないか?と持ちかけたことがきっかけで生まれて初めて指揮に目覚め そして今の世界的に有名なマエストロ リッカルド・ムーティが誕生したのですね🌠

 ...このことを ラストに感想を聞かれた時に答えましたが "Se il direttore di そconservatorio non gli avesse consigliato a dirigere nell'orchestra, Riccardo non sarebbe diventato un dirigente molto famoso... と接続法を使って言えればもっとよかったかも(笑) 

 

そして さまざまなキャリアを経て ミラノ・スカラ座(la Scala)で指揮棒を振ります  音楽監督だったトスカニーニアンコール(il bis)を禁止し 電気も消して女性の帽子も禁止したそうですが 1986年12月7日ヴェルディのナブッコ(Nabucco di Verdi)でムーティがデビューした時は bisの声がリクエストの声が上がり迷った末 合唱団がOKしたので応じたとのエピソード...  他にも最後までカットしない 楽譜にない高音を入れない等 厳しい決まりがあったそうです

 

2004年に若者のためのルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ管弦楽団(Orchestra Giovanile Luigi Cherubini)を設立し 2015年イタリアオペラアカデミー(l'Italian Opera Academy)をラヴェンナに設立しました 2019年からは東京の春の音楽祭(Tokyo Spring Festival)で来日していますね

ヴェルディをほぼすべて演じることのできる唯一の指揮者として「ヴェルディの王(il re di Verdi)」(N.Y.Times)と称されました 

 

   *     *     *


第3部:『Verdiの作品:un Ballo in Maschera(仮面舞踏会) 』

これは ナポリのサンカルロ劇場の依頼で 実際に起きたスゥエーデンのグスタフ3世(Gustavo Ⅲ)の暗殺未遂事件を元に書かれたのですが フランスのブルボン王朝の支配から脱出して イタリア統一を支持していたヴェルディは公演禁止を言い渡されてしまい やむなくストーリーを変更し 主役をボストンのリッカルド伯爵に変えて 1859年にローマのアポロ劇場(teatro Apollo)で初演されました この劇場は今は泉と石碑のみが残っています 

主演のリッカルド(テノール)はホセ・カレラスやパヴァロッティが アメリア(ソプラノ)はマリア・カラスやガブリエレ・レヒナー等が演じており その素晴らしい歌声を聴かせていただきました💕

この「仮面舞踏会」のテーマは かなわぬ恋心 裏切り 嫉妬 許し 母性愛などですね 

仮面舞踏会(un ballo in maschera)」のあらすじは こちら

3人の先生方に貴重なお話をしていただき しばしオペラの余韻にひたったひとときでした💕 

セミナーは こちら

 

LCIの皆様 とても素晴らしいセミナーをありがとうございました!!

ちなみ"l'arte italiana dell'Opera lirica" イタリアオペラの歌唱の芸術は 

2023年のユネスコの無形文化遺産候補なのです 12月が楽しみですね💕

 


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