雲南省や貴州省に住む少数民族の間では、今でもよく糯米が食べられている様です。特に祭り等の特別の日には、モチが搗かれ、お強(糯米)が祭りの日のご馳走として食卓に上ります。
このブログでも何度か触れたのですが、今は貴州省や雲南省に住む多くの少数民族は、その昔は長江流域に住んで居て、糯米を常食としていたとの事ですが、北方系の民族の南下に伴い、彼らは貴州省や雲南省への移住を余儀なくされ、これらの地域に定住したとの事。
貴州省や雲南省に住む多くの少数民族はその昔は一日二食と云うのが食習慣だった様ですが、これも彼らが糯米を常食としていた事と関係がある様です。良く知られて居る様に、糯米は腹持ちが良いので一日二食でも、十分にきつい労働に耐える事が出来るからです。今では、日常的に糯米を食べる習慣が無くなった貴州省はトン族の村で、田を耕す時や田植えや稲刈り等重労働をする際には矢張り糯米を食べないと力が出ないとの話を村人から直に聞いた事があります。その様な場合には、昔ながらに糯米を食べるとの事でした。
NHKのドキュメンタリー番組「人間は何を食べてきたか 第一集 モチ米 神に捧げる神の食」の中で苗族の正月に当たる苗年には、家々でモチが搗かれる様子が映されています。私も貴州省のある苗族の村で苗年を経験した事がありますが、その村でも家々で、モチが搗かれ、食卓には祭りのご馳走としてお強も出されました。普通はうるち米を食べるとの事ですが、矢張り苗年の様なハレの日にはお強やモチを食べるとの事でした。
ある苗族の村では、その昔はその民族も中原に住んで居たとの事ですが、矢張り北方系の民族の南下に伴い黄河を超え、更には長江も超え、その後漸く現在地に定住したとの伝説があるとの話を現地の人から直接聞いた事もあります。
苗族には文字が無い為、彼らの民族の歴史は口伝で代々語り継がれて来たと同時に、その服装に彼らの歴史が縫い込まれているとの話も地元の人から直接聞いた事もあります。従ってこの番組の紹介の中で結論付けている様に、苗族がこの地でモチ米文化を育てたと云う説は問題がある様な気がします。今現在貴州省に住むトン族や苗族の人々は、その昔は黄河の中流域や長江流域に住んでいたとの伝説があるからです。そして、貴州省で育てられた苗族の糯米文化が形を変えて日本へ伝わったという様な説にも問題があると云わざるを得ません。
中国では呉や越に住む人々は、その昔は糯米を常食としてと云われている事から、この流域に住む民族が日本へ直接糯米を持ち込んだとも考えられるからです。良く知られている様に呉服とはその昔、呉の国から日本へ伝わった織物の一種との事ですので、糯米もこれらの地域から直接日本へ伝わったと考えてもおかしくないと云えるからです。
また、中国では万里の長城等の城壁を築くにあたり接着剤の役目として糯米が用いられたとの記録等もあることから、貴州省に住む苗族のモチ米文化が日本へ伝わったかの様な説には問題がある様な気がします。
トン族、苗族、壮族等の村では祭りに際には、必ずの様にモチが搗かれ、糯米が食卓に上ります。また、これらの地域の農貿市場では餅が売られているのを良く見かけます。
昆明市の農貿市場で見かけた餅。冬場に売られている様で、夏場は余り見かけません。私は1989年に昆明市の雲南民族学院に語学留学して居たのですが、その際に度々この形の餅を買った事を思い出します。
貴州省黔東南苗族トン族自治州黄崗村で祭りの際に見かけた餅。残念ながら餅つきの現場は見ておりません。
この様に色付けされています。この様に色付けされた餅は、他の村でも何度か見かけた事があります。
雲南省紅河ハニ族イ族自治州の紅河県の農貿市場で見かけた餅。芭蕉の葉に包まれ売られています。
中には、小豆、ゴマなどが入っています。
雲南省保山市で見かけた搗きたてのモチ。
保山周辺では、黄な粉を塗して食べる様で、二個で5元。
貴州省貴陽市で見かけた餅専門店。機械で搗いた餅を売っていました。黄な粉、小豆、ゴマだれの三種類あります。
貴州省黎平県肇興郷トン族の村の餅つきの様子。この村では、舟形の臼と横杵で餅を搗きます。
この様にして売られています。黄な粉味で2個で5元。
貴州省貴陽市内で見かけた餅つきの様子。搗きたてのモチを売るのが、この店の売りとなっています。