雲南省保山市や保山市にある騰沖県は、第二次世界大戦中には、日本軍と中国遠征軍と間で激戦が繰り広げられた場所として中国では良く知られています。1989年に雲南省昆明市にある雲南民族学院に語学留学している際にも、保山市を訪れようとしたのですが、その頃は保山市は外国人立ち入り禁止区域でもあり、外国人は公安の許可証が無くては立ち入る事の出来ない地域でした。また、反日感情が強い地域とも聞いていましたので昆明で語学留学している時には、保山市を旅行するのは諦めました。
先日この保山市の中でも、日本軍と中国の遠征軍と間で特に激しい戦闘が繰り広げられた所として知られる騰沖県を訪ねて来ました。実を云えば、騰沖県に行くと云った所、知り合いの中国人からは、反日感情が強いので行かない方が良いかもと云われました。私としては、特に心配はしてませんでしたが、そういう風に云われると矢張り少しは気になるものです。尤も「私は日本人です」と公言して旅行している訳でもなく、一人で旅行しているので、外見等からは中国人と区別が付かないと思いますので、それほど気にはしてませんでしたが、止めた方が良いかも等と云われると心の何処かで引っかかる物がありましたが、特に嫌な思いもしないで済みました。
保山市騰沖県には、第二次世界大戦中に中国の遠征軍との戦いで命を落とした日本人兵士の墓があります。その日本人兵士の墓は「倭塚」と名付けられ祀られています。この写真の様な墓は写真で一度見た事はありますが、実際に自分の目で見たのは初めてです。「倭」とは言う間でもなく日本人を指す言葉です。
保山市騰沖県にある日本人兵士のお墓。第二次世界大戦中に中国軍との戦いで亡くなった日本人兵士の墓です。こう云う形の墓は写真で見た事はありますが、実際に見たのは初めてです。